野田浩司(のだ ひろし、1968年2月9日~)とは、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)である。現役時代は阪神タイガース、オリックス・ブルーウェーブに所属した。
現役時代は類い稀なるフォークボールの使い手として知られ、オリックス時代には1試合19奪三振という日本記録も作っている。
OB | |
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野田浩司 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 熊本県球磨郡多良木町 |
生年月日 | 1968年2月9日 |
身長 体重 |
186cm 82kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1987年ドラフト1位 |
引退 | 2000年 |
経歴 | |
選手歴
コーチ歴
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プロ野球選手テンプレート |
高校卒業後は社会人の九州産交に進むが、同野球部が入社後に廃止になってしまったため特例でドラフトの指名対象になり、1987年に阪神タイガースの1位指名を受けて入団する。
1988年(1年目)から即戦力として一軍の試合に出場するが、当時阪神タイガースは暗黒時代に突入しており、打線も守備も緩み切っていたため、野田は1988年から規定投球回に達するものの、3勝13敗、防御率3.98という成績に終わっている。
1989年には臨時コーチとして来日したメジャーリーガーに指導を受けてフォークの改良を行いこれに成功。
その後も時に先発、時に中継ぎと起用法が不安定ながらも1991年には開幕投手に指名される等活躍するが、1992年のオフに松永浩美とのトレードでオリックス・ブルーぶぇーぶに移籍することとなる。
この時ヤクルトスワローズの監督を務めていた野村克也からは「セ・リーグからフォークのお化けが消えた!」と喜ばれている。
移籍1年目から先発一本で活躍。
パ・リーグにはDH制度があったため多少打ち込まれても先発を降板させられず、またパの打者は初球から積極的に振ることが多かったため、野田の自慢のフォークにパの打者たちは次々空振りを喫してしまう。
特に移籍初勝利を挙げた4月21日の近鉄戦では2回までに3本塁打を浴びたものの、その後開き直って9回まで投げ続けた結果15奪三振を記録する完投勝利を挙げ、さらに7月4日の近鉄戦では1試合16奪三振を記録。
結局93年は17勝5敗、防御率2.56、209奪三振という成績を上げ最多勝・ゴールデングラブのタイトルを獲得した。
1994年は前年より成績を落としたが12勝11敗、防御率4.24、213奪三振という成績を残し、8月12日の近鉄戦では足立光宏・野茂英雄に並ぶ1試合17奪三振を達成している。
1995年には4月21日のロッテ戦にて1試合19奪三振という日本記録(詳しくは後述)を達成、シーズンを通して10勝7敗、防御率3.08、208奪三振で3年連続2桁勝利&200奪三振を達成しチームの優勝にも貢献、日本シリーズではヤクルトスワローズに敗れたが、2戦目に登板した際は自慢のフォークでヤクルト打線を7回まで無失点に抑えた他、4・5戦目にはリリーフで登板している。
1996年以降も2桁勝利が途切れながらも活躍していたが、フォークボーラ―の宿命か、肘の故障で98年以降は勝利を挙げられず、2000年に現役を引退した。ちなみにパ・リーグ時代は奪三振は非常に多かったが、最多奪三振のタイトルは野茂英雄や伊良部秀輝といった強敵がおり獲得することはできなかった。
現在は解説者や臨時のコーチなどでも活動、また2005年から神戸市中央区三宮で料理店「まる九」の経営なども行っている。(店の名前の由来は九州産の素材を使っているので「まるごと九州」を略して「まる九」)
1995年4月21日のオリックス対ロッテ戦。
この日オリックスの先発であった野田は前回の登板である4月15日の西武戦にて2回8失点でノックアウトされており、その雪辱を晴らすべくフォームを修正するなど気合充分でこの日の試合に向かった。
敵地であるマリンスタジアムはこの日も名物である強風が吹き荒れており、試合では名手であるイチローのファウルフライを落球する場面もあった。
しかしその強風は野田のフォークに味方し、そのフォークはいつもよりさらに鋭い変化を見せ、時には捕手のミットに収まる前にベースの上にポトリと落ちるほどの落差を見せていた。
初回、2番の平野謙に安打を許すものの、先頭の樋口一紀・3番堀幸一・4番フランコからいきなり空振り三振を奪う。
2回は6番インカビリアに安打で、8番愛甲猛に失策で出塁を許すが、5番初芝清・7番平井光親・9番定詰雅彦の三人は空振り三振。
3回には平野謙に二ゴロで初めて三振を奪い損ね、堀には安打を許すが、先頭の樋口・そしてフランコからはしっかり空振り三振を取る。
4回、初芝・インカビリアから空振り三振を奪った後、平井には四球を与えるが愛甲を投ゴロに打ち取る。
5回は定詰・樋口から見逃しで三振を奪った後、平野・堀にはそれぞれ四球と安打で出塁を許すものの、フランコは空振り三振。
6回、初芝・インカビリア・平井をそれぞれレフトフライ・空振り三振・一ゴロで打ち取るが初めて1回に2奪三振以上を記録できなかった回となる。
7回には愛甲・定詰の代打五十嵐章人・樋口の代打山下徳人を見逃し・空振り・空振りで三振に仕留める。
そして8回はロッテのスタメンで唯一三振を記録していなかった平野から自慢のフォークボールで18個目の三振を奪い、これで日本プロ野球史上最多となる1試合18奪三振を達成。なお続く堀・フランコは三ゴロに終わる。
しかしこのまま完封かと思われた9回、先頭の初芝に安打を許すと、インカビリアは三ゴロに打ち取るが、続く平井の打球を外野の田口壮が後逸して三塁打にしてしまい土壇場で同点に追いつかれてしまう。
その後愛甲・五十嵐を敬遠して満塁策をとり、守備固めに入っていた山中潔をライトフライ、平野からこの試合19個目となる三振を奪ってこの回を切り抜けたが、野田はここで降板となり、試合も後を受けた平井正史が打たれサヨナラ負けを喫していたため、野田自身は悔しさで新記録の喜びは無かった。
球種としてはストレート・フォーク・カーブを持っていたが、本人いわくカーブは「おまけ」で基本的にストレートとフォークで打者を打ち取っている。
またフォークを投げる投手はオーバースローで投球する選手が大半だが、野田はどちらかと言えばスリークオーター気味に腕を振る珍しいタイプ。
特にフォークは投球の約半分を占めているが、指先の力加減でコース・球速・落差を自在に変えることが可能だったため、試合でも同じフォークを何度も投げることはせず、フォークの攻略を一層困難なものにしている。
さらには球種がばれないように投球動作の途中に中指をずらしてストレートの握りからフォークに変更するという達人のような技も行うことが出来る。(フォークからストレートということなら行える投手は多いが、その逆を試合で行える投手は極めて少ない。)
調子の良い日にはストレートよりもフォークの方がストライクを取れることが多く、満塁でワンストライク・スリーボールからフォークを投げたこともあった。
通算:12年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 316 | 209 | 59 | 14 | 89 | 87 | 9 | - | .506 | 1614.1 | 561 | 1325 | 677 | 628 | 3.50 |
タイトル | ||
---|---|---|
最多勝利 | 1回 | 1993年 |
表彰 | ||
月間MVP | 2回 | 1992年7月、1993年8月 |
ゴールデングラブ賞 | 1回 | 1993年 |
その他 | ||
1試合19奪三振 | 1回 | 1995年4月21日、日本記録 |
毎回奪三振 | 1回 | 1991年7月30日 |
オールスターゲーム出場 | 1回 | 1993年 |
掲示板
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最終更新:2025/04/10(木) 03:00
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