金本位制 単語

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キンホンイセイ

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金本位制とは、経済学の言葉である。

概要

定義

金本位制は、以下の3つの意味を持つ言葉である。

  1. 地金本位制のことをし、カレンシーボード制を採用して塊と自通貨名目為替レートを固定し、自通貨兌換銀行券にする制度のことをいう。
  2. 為替本位制のことをし、1.で兌換銀行券となった通貨と自通貨名目為替レートを固定する固定相場制を導入し、不換銀行券の自通貨兌換銀行券の性質を与える制度のことをいう。
  3. 貨本位制のことをし、塊でできた正貨を通貨に採用する制度のことをいう。

歴史的に金本位制というと1.をす。

1.の金地金本位制

金本位制を代表するのが地金本位制である。(きんじがね)とは塊のことである。

塊を一種の外通貨と見なし、カレンシーボード制を採用しつつ塊と自通貨との名目為替レートを固定するのが地金本位制である。ゆえに地金本位制は、カレンシーボード制を採用する固定相場制の典例である。

地金本位制において自通貨兌換銀行券になる。兌換銀行券はいつでも好きなときに中央銀行から塊を取り立てることのできる債権である。人々は兌換銀行券を支払って、つまり中央銀行に対する債権を譲渡して、財・サービスを受け取るようになった。

制限通用[1]を与えられた通貨塊でできた正貨と兌換銀行券とする。正貨とは素材価値と額面額が同じ金属貨幣である。

ただし、正貨は重くて使いにくいので、実際に人々が通貨として使うのは軽くて使いやすい兌換銀行券ばかりであり、正貨や塊は銀行の倉庫に眠ったままとなる。正貨が摩耗することもないので、合理的な制度として広く受け入れられた。

2.の金為替本位制

A地金本位制を採用して自通貨兌換銀行券にする。このときA通貨のことを為替(きんかわせ)と呼ぶ。

そしてB不換銀行券を自通貨として発行しつつ、カレンシーボード制を採用したり採用しなかったりして、A通貨を対とする固定相場制を採用する。B通貨不換銀行券の体裁を取りながらも兌換銀行券としての性質を持つようになる。このとき、「B為替本位制を採用した」と表現される。

経済的規模が小さくて自中央銀行が十分に塊の準備高を確保できない場合、この為替本位制を採用することになる。

為替本位制は19世紀末インドで初めて採用された。1945年から1971年までのブレトンウッズ体制も、アメリカ合衆国以外の為替本位制を採用した制度と言える。

3.の金貨本位制

塊でできた正貨(素材価値と額面額が同じ金属貨幣)を通貨にすることを貨本位制という。

貨本位制では自由鋳造自由融解を認める。自由鋳造自由融解というのは、一般人塊や他正貨を中央銀行に持ち込めば、中央銀行がそれと自正貨を交換してくれるものである。中央銀行は受け取った塊や他正貨を倉庫に収め、必要に応じて鋳つぶし、自正貨を鋳造する。

貨本位制は、塊そのものを一通貨にする制度である。

塊でできた正貨は重くて持ち運びにくい。また正貨を日常生活に使っていると次第に摩耗して塊の量が減っていき、内にある塊の量が減少して、国家が損をすることになる。つまり貨本位制は優れた制度ではない。

歴史的に見ると地金本位制と貨本位制を併用するが多かったが、実際には正貨を好んで使う人が少なく、地金本位制こそが金本位制の代表格であった。

ちなみに、江戸時代日本は小判(貨)を通貨としていたが、この小判は名貨幣であって正貨ではなかった。名貨幣とは素材価値よりも大きい額面額で通用する貨幣のことである。つまり江戸時代日本貨本位制を採用していない。

金地金本位制の性質

長所と短所

地金本位制は、カレンシーボード制を採用する固定相場制の典例である。

カレンシーボード制を採用する固定相場制の長所と短所は、カレンシーボード制の記事の当該項目を参照のこと。

自国通貨の切り下げが発生した

地金本位制を採用して、自通貨1単位と交換される塊の量を決めたとしても、それが未来永劫守られるわけではなかった。

通貨1単位と交換される塊の量を減らし、自通貨を切り下げて、名目為替レートを上昇させた例がある。タテ軸名目為替レート・ヨコ軸実質GDPマンデル=フレミングモデルでいうと、LM*曲線を右に行移動させて名目為替レートを上昇させる行為である。そうなると同じ塊準備高であっても多くの自通貨を発行することができ、マネーサプライMを増加させることができる。

19世紀から20世紀初頭にかけて金本位制を導入していた諸でもしばしば自通貨塊の名目為替レートを変更していた。たとえば1930年代世界恐慌のとき、デンマークフィンランドノルウェースウェーデンイギリス地金本位制を維持しつつ、自通貨1単位に対して支払う塊の量を約50%も減らし、マネーサプライMを増やし、自通貨塊に対して切り下げし、名目為替レートを上昇させた。こうしたは、短期において物価が硬直的なので実質為替レートが上昇し、純輸出が伸びた。そのもあって、世界恐慌から速やかに経済回復した[2]

その一方で1930年代世界恐慌のとき、フランスドイツオランダイタリア地金本位制を維持しつつ、自通貨1単位に対して支払う塊の量を維持した。おかげで純輸出が伸びず、長期間の経済停滞に苦しんだ[3]

あまりにも名目為替レートが高いと、実質的に金地金本位制からの離脱になる

2024年2月現在において市場塊1グラムが1万円程度の価格になっている。

このため2024年2月日本地金本位制を採用するのなら、塊1グラム=1万円程度の名目為替レートになるのが妥当と思われる。

塊1グラム=1兆円という極端に高い名目為替レート地金本位制を採用することも可であり、その名目為替レートでも一応は地金本位制と言える。しかし、その名目為替レートでは一人として塊と日本円を中央銀行窓口で交換しようとしないので、実質的に地金本位制から離脱している状態とされる。

金地金本位制の終焉

地金本位制というのは、カレンシーボード制を採用する固定相場制の典例であり、国家の持つ通貨発行権を強く制限するものである。

軍事危機経済危機に立ち向かうときの政府通貨発行益(シニョレッジ)を得て大量の政府購入を行わねばならず、地金本位制を維持することができない。第一次世界大戦世界恐慌ですべての地金本位制から離脱し、不換銀行券を発行するようになった。

1914年から1918年まで第一次世界大戦が続いたが、イギリスフランスドイツは1914年に地金本位制から離脱し、アメリカ合衆国日本は1917年に地金本位制から離脱した。

1929年から世界恐慌が始まったが1931年イギリス日本地金本位制から離脱し、1933年アメリカ合衆国民の塊保有を禁止し、1937年フランス地金本位制から離脱した。

第二次世界大戦を経て一のとなったアメリカ合衆国は、「自民に対しては塊保有を禁止してドル塊の換を停止する、外政府に対してはドル塊の換に応じる」という二面的な政策をとっていた。しかし1965年から始まったベトナム戦争アメリカ合衆国政府は巨額の政府購入を強いられ、多くのドルを外政府が持つ状況となり、このままでは多くの塊を外政府換されるという状況となり、地金本位制を維持するのが難しくなっていった。

1971年8月15日に、リチャード・ニクソ大統領が「ドル塊の交換を停止する」と発表し(ニクソン・ショック)、アメリカ合衆国地金本位制から全に離脱することになった。

それから50年近く経った2024年現在において、地金本位制を採用する世界のどこにも存在しない。

ブレトンウッズ体制

「ブレトンウッズ体制は金本位制」という論理

1914年から1918年までの第一次世界大戦1939年から1945年までの第二次世界大戦において、欧州から軍需物資の注文がアメリカ合衆国に殺到した。それに対し、工業大アメリカ合衆国は輸出を繰り返して欧州から大量の塊を獲得した。

1945年頃になると世界中の塊がアメリカ合衆国ニューヨークフォートノックスexitに集まっており、アメリカ合衆国世界最大の塊保有となっていた。そして、地金本位制を採用して兌換銀行券を発行できるほど塊準備に恵まれアメリカ合衆国だけになった。

そこで、1944年に締結され1945年に発効したブレトンウッズ体制で、アメリカ合衆国地金本位制を採用してドル一の兌換銀行券として発行し、それ以外の各為替本位制を採用して不換銀行券の自通貨兌換銀行券としての性質を持たせた。

以上の説明に従うと、「ブレトンウッズ体制は、アメリカ合衆国にとって地金本位制であり、それ以外のにとって為替本位制であり、金本位制の典である」となる。

アメリカ合衆国国民の金塊保有を禁止する大統領令と金準備法

1933年4月5日になるとフランクリン・ルーズベルト大統領大統領令6102exitを発し、アメリカ合衆国民が塊を保有することを禁止した。

芸術家宝石商、歯科医看板製作者に対しては特例が認められ、5トロイオンス(160g)程度までの保有が認められた。しかしそれ以外での塊保有が禁じられ、最大で懲役10年、最高で罰1万ドルの罰則が設けられた。この当時の1万ドル2020年の価値に換算すると20万ドル程度になるので、罰1万ドルは非常に厳しい罰である。

このため、1933年4月5日以降のアメリカ合衆国民はドル銀行に持ち込んでも塊に交換できなかった。ドル塊に交換して所持した時点で警察厄介になるからである。ゆえに1933年4月5日以降のドルアメリカ合衆国民にとって不換銀行券だった。

大統領6102の後に大統領6111と大統領6260と大統領6261が出され、さらに1934年1月30日に発効した金準備法exitアメリカ合衆国民の塊保有が禁止された。大統領というのは後任の大統領が独断で破棄できるものであるのに対し、法律というのは大統領の独断で破棄することが不可能である。このためフランクリン・ルーズベルト大統領大統領の座を去った後も塊保有禁止の体制が続いた。

アメリカ合衆国民の塊保有を禁止する体制は長々と続き、ジェラルド・R・フォード大統領時代の1974年12月31日に発効した法律でやっとアメリカ合衆国民の塊保有が認められるようになった。

「ブレトンウッズ体制は米ドル中心の複数固定相場制」という論理

ブレトンウッズ体制の最中は、アメリカ合衆国民によるドル塊への交換が禁じられており、アメリカ合衆国民にとってドル不換銀行券だった。

ブレトンウッズ体制の最中で、ドル兌換銀行券として扱うことができたのはアメリカ合衆国以外の民だけだった。アメリカ合衆国以外の政府FRBに対してドル塊に交換することを要した程度であり、そうした例も少なかった。

このため、「ブレトンウッズ体制は不換銀行券ドルを基軸通貨にしてそれ以外の諸固定相場制を導入した制度であり、ドル中心の複数固定相場制である」という論理が成立する。

関連項目

脚注

  1. *制限通用とは、一通貨に備わる性質の1つであり、商取引にその通貨制限に使ってよいという性質のことである。補助貨幣には使用制限が課せられることが多く、日本の硬貨は1回の取引に20枚までしか使えない(通貨法第7条)。
  2. *マンキュー マクロ経済学入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリーマンキュー』380ページ
  3. *マンキュー マクロ経済学入門編 第3版(東洋経済新報社)N・グレゴリーマンキュー』380ページ
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