釧路湖陵高校 単語


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北海道釧路湖陵高等学校とは、北海道釧路市所在する、立の高等学校である。
(北海道で立高等学校につい立○○高等学校という表記はしない。「北海道○○高等学校」が正式名称。ただ立学校であることをハッキリさせる必要がある場合や報道などでは道立~」の表記をすることがある)

概要

北海道釧路市3丁1番31号所在する。が、開校時から平成2(1990)年までは、北海道釧路市富士見3丁2番地(旧標記では釧路市富士見町71番地)にあった。
釧路市富士見3丁」は(はるとりこ)の畔を見下ろす高台の区域であり、現校名の由来の地でもある。

全日普通科全日制理数科、定時制普通科を開設しており、全日制と定時制では別々の校歌を持っている。

釧路地方進学校である。また2011年現在北海道東部の高校で理数科があるのは本校のみであり、北海道内では本校を含め、理数科を設置している高校は6校である。

校訓は「・勇」で、全日制の校歌と共に、旧制中学校だった時代からの董品もとへ、伝統である。

前身は(旧制)北海道庁立釧路中学校(→釧路高等学校)で、1912年明治45年)に設立が認可された。

併合学校は、(旧制釧路商業中学校間→旧制釧路市中学校→)釧路市富士高等学校がある。(現在定時制課程)

校舎について

【3代目校舎】緑ヶ岡校舎 (平成2(1990)年9月25日供用開始~現在)

平成2年9月工のコンクリート製の校舎(同生はこれを校舎と呼ぶ)は4階建てであり、4階から下へ順に1年・2年・3年というように教室が割り振られているのだが、1年生教室から見える色の美しさは、生徒の疲れた心の癒しとなっていたらしい。部活動でも1年生教室やその他4階から色が見える教室を利用できることがあり、夕陽に映えるの美しさは、まさに「聞は一見に如かず」であるとされている。

【2代目校舎】富士見校舎(2代目)(昭和29(1954)年8月31日供用開始~平成2(1990)年9月26日解体)

この記事の立て(陵36期)が在校していた頃(昭和56年~59年頃)の校舎(富士見校舎と呼ぶが正確には2代目富士見校舎である。昭和29年工)は一部コンクリート、一部木造、一部プレハブという長い歴史に合わせて増改築をした姿でありコンクリート部分は3階建て(しかも突貫工事のためRC造のだったのが木造モルタル構造の部分が上層階に…後年老朽化して判明するのであった…)他は2階建てで、暖房現在校舎の集中暖房と違い、石炭ストーブであった。(釧路は産炭地である)

1年生の一部が入っていたプレハブの3教室が一番断熱性が良く、からはストーブをほとんど余熱状態で使用しても暑かった位であった(先輩方には羨望ので見られたが、大体何故プレハブ教室が羨望ので見られねばならなかったか?…理由は→)だが、他の大部分の教室ではストーブの周りだけが灼熱地獄、それ以外は冷凍庫と大して変わらず、防寒を着たまま足踏みしつつ授業を受ける事が日常で、石炭ストーブの外鈑がになってひん曲がるほど全力で焚いても状況が変わらず、日直2名が放課後熱状態のストーブを取り外して用務員室横の捨て場に捨てに行くのが日課であった。(その姿は機関士と機関助士のようにも見えなくもい…一方、プレハブ教室石炭ストーブ完全燃焼しており、に焼けた状態になることはあまりなかった)

木の床は所々、強度が著しく低下しており、生徒が床下に落下する事もままあった(筆者もその一人である)が、当時の生徒は「このボロ校舎」と着と改築を願う、相反する万感の気持ちを込めて呼んでいた。当時は基本的には1階が1年生、2階が2年生、3階が3年生のクラスが並んでいて、放課後が近くなると定時制用の給食室から良い匂いが漂ってきていた。一方トイレ近くの教室には時として大迷惑な臭いが漂ってきていた。校舎の中央階段は重厚な木製でりしていたが、中央階段1階パン売り場があり、4時の授業を終えたら脱の如く買いに行くのだが、良く売り切れていた。

体育館には50周年記念図書館があり、数千冊近い蔵書とゆったりとした床面積を誇ると同時に、自習のスペースでもあり、生徒の憩いの場でもあった。筆者もよく図書館カウンター図書委員友人達と駄弁ったり本を読んだりしていた。(ちなみに陵36期生の在学当時は「図書局」ではなく「図書委員会」だったのを思い出した…何時ごろ組織変更されたのやら?)

校舎3階からはが見えたが、周囲の宅地化のため絶景とは参らなかった。
しかし、2代目富士見校舎が工した頃は絶景だったであるし、床も抜けずピカピカの自慢の校舎だったはずである。
当時を知るニコニコ動画巡回中の先輩の皆様で、この項加筆して下さる方が出てきて欲しいと筆者は願っている。

【初代校舎】富士見校舎(初代) (大正2(1913)年9月16日供用開始~昭和28(1953)年2月22日焼失)

初代富士見校舎は木造2階建ての洋館建物大正2(1913)年完成釧路襲にも耐えた重厚かつ落た造りの、上品で質な伝統の校舎だったが、木造ゆえに火には弱く、昭和28(1953)年2月、廊下の羽付近から出火し、一部離れになっている建物を除いて全焼した。出火原因は現在も不明である。(この火災により当時、隣接していた釧路学校は類焼し全焼してしまった…)

出火した2月22日は毎年、同校の「防火の日」になっていた。現在は防火の日を止している模様だが、復活させて避難訓練でも充実させては如何だろうか?と昨今の重大災害の度に思うこの頃である。

筆者在校時の校長の手により、初代校舎の精密な模型制作され、同窓会館に展示されている。

歴史

詳しくはWikipediaの該当項目exit同窓会誌などを参照されたい。

関連商品

祝い事になると地「福」関連のスイーツが出てくることがある。もちろん卒業して幾霜の同窓会には地「福」が出てくる。

校歌・壮行歌・応援歌・寮歌など

校名余話

余談ではあるが、北海道小樽市所在する北海道小樽潮陵高等学校(こちらも立の高等学校進学校である。校内の雰囲気はよく似ている)と、校名を頻繁に間違えられることでも有名(?)で、釧路根室地方後志地方以外の地域での校外行事、あるいは修学旅行等で配られた弁当、あるいは宿泊施設の表示に「釧路潮陵高校」「小樽高校」と誤記されることは日常茶飯事である。(小樽市内の道路の避難所案内標識が校名を間違えていたという悲惨な出来事があった…)

もし両校関係者が同じホテルに宿泊したと仮定した場合、ホテルと両校関係者の混乱ぶりは想像に難くない。

※ しかし「潮」で、後に続く文字が「陵」と同じなら、間違えるのも理はないかもしれない。「釧路はみずうみ、小樽はしお」と覚えたら良いかもしれない。

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