鈴衛佑規とは、元由宇の妖精で阪神タイガースのブルペン捕手である。選手としては、プロに11年間在籍したものの、一軍出場数2、打席0という稀有な記録を持ち、一部にコアなファンを擁した。
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1995年ドラフト6位で広島東洋カープに入団。4年目の1999年に、代走で一軍デビュー。捕手として守備も1イニングだけであるが経験した。とまあ、ここまではよくいるプロ野球選手。
プロの世界は厳しく、選手の入れ替えは激しい。カープの捕手というポジションも例外ではなく、2000年前後、正捕手であった西山に続く捕手の育成を目論み、ドラフトではしばしば捕手の指名をおこない、多くの新人捕手が入団した。鈴衛入団後、倉義和、木村一喜、石原慶幸、山本翔、白濱裕太といった捕手がカープに入団している。無論、これらの捕手は全て鈴衛にとっては、正捕手だけでなく第二、第三の捕手を狙うライバルである。
しかし、鈴衛に決定的に足りなかったのは、実績である。後輩たちは、二軍での結果を引っさげ、一軍でのチャンスをものにしていった。当の鈴衛は、1999年以降一軍に昇格することはなく、二軍にとどまり続けた。
プロ野球ファンというのは残酷なもので、シーズン終盤に近づくと、今年戦力外になりそうな選手のピックアップ始める。2003年頃から、多くのカープファンにとって戦力外候補の最右翼といえば鈴衛であった。この時、鈴衛はすでにプロで8年目であるにもかかわらず、一軍出場数2試合。いくら育成に時間がかかると言われている捕手とはいえ、この成績を鑑みると、「鈴衛が戦力外になるであろう」という予想は、残念ながら当然のことと言えよう。
が、ここから鈴衛は脅威の残留を見せつける。03年オフ、ドラフトで地元広島の広陵高校で春のセンバツ優勝捕手白濱裕太入団も、 鈴 衛 残 留 。04年オフ、西山退団、瀬戸引退にともなう捕手不足がチームの懸念となり、昨年に続き 鈴 衛 残 留 。
この頃から、ネット上ではシーズン終盤に差し掛かると、鈴衛は残留か戦力外か、その動向に注目され始める。そして、2ちゃんねるの野球板では戦力外選手が出揃い、鈴衛の残留が決定的になると、「 鈴 衛 残 留 」というスレッドが立てられ、大いに賑わいを見せるようになった。ちなみに、「鈴衛残留」ではなく、文字と文字の間は全角スペースを入れるのが通例のようだ。なお文字間を開ける理由は不明である。
二回の奇跡的残留ののち、背水の陣となった2005年、この年、鈴衛は絶好調であった。春先から二軍で代打兼抑え捕手として活躍し、打率も3割5分以上を記録していた。その好調ぶりを買われ、一軍に昇格する。実に99年以来、6年ぶりの 鈴 衛 昇 格 である。
そして、9月14日、神宮球場でのヤクルト戦、試合はカープが序盤から突き放されている展開。本来なら、ネクストバッターズサークルには捕手の倉が入るところに、背番号63鈴衛の姿があった。プロ10年目にして「初の一軍ネクストバッターズサークル」であった。「 代 打 鈴 衛 」、そして「 鈴 衛 初 打 席 」への期待が、観戦中のファンの中で高まる。しかし、その時鈴衛がかぶっていたのは、ヘルメットではなくキャップ。代打の囮だったのだ。結局、代打には森笠繁が送られ、その後の捕手の守備には石原がつき、6年ぶりの一軍出場は実現しなかった。その後、しばらく一軍にいたものの、出場はおろかネクストにも立てず、2軍落ち。シーズンオフを迎えることになる。
2005年オフ「3度目の正直」とファンの誰もが思っていた。今年こそ鈴衛は戦力外になってしまうものであると。が、しかし、予想に反し、有望な捕手がドラフト候補にいなかったため、またしても 鈴 衛 残 留 。
2006年は終始、二軍生活であった。そして、9月25日のドラフトでカープは捕手である會澤翼を指名。鈴衛、万事休す。多くの球団は、例年10月1日に来季契約しない自由契約選手、つまり戦力外となる選手を発表する。この年のカープも10月1日に、戦力外選手を発表した1.。鈴衛の去就を注目するファンは、覚悟を決めていた。仏の顔も三度までである。しかし、予想に反し、 鈴 衛 残 留 。しかし、喜びもつかの間、10月16日、二回目の戦力外選手発表で 鈴 衛 戦 力 外 。そしてこの年をもって、 鈴 衛 引 退 。
引退発表後、カープのオンライングッズショップで、鈴衛のサインボールや背番号Tシャツなどの売れ行きがにわかに伸び始め、ついには売り切れとなった。ファンにとって、鈴衛がまさに記録より記憶に残った選手であったことを象徴する出来事と言えよう。
プロ12年間での、通算成績は出場試合数2、打席数0、通算打率―(0-0)であった。
鈴衛は、たしかに戦力外になり引退したが、翌年もカープでブルペン捕手となることが決まっていた。つまり、翌年もカープに 鈴 衛 残 留 。しかし、ブルペン捕手の契約は1年のみで、2007年オフに12年にも及ぶ残留記録に終止符が打たれることとなった。
その後は広島から阪神に移籍した金本知憲の付き人として運転手や自主練のサポートをしていたが、2009年より阪神タイガースのブルペン捕手としての入団が決まった。その際には、一部のコアなファンたちが 鈴 衛 移 籍 を祝った2.。
2011年7月14日の試合前にKAT-TUN・亀梨和也が始球式を行ったが、その際に、亀梨の捕手役を担当。その模様が8月7日に日テレ系「going sports&news」で放送された。
甲子園球場で試合前に行われているファンサービス・スピードガンチャレンジで参加者の投球を受ける捕手役も担当している。
2014年7月19日のオールスター第二戦では、公開されたセリーグ側の練習スケジュールの中に「BC(バッティングキャッチャー)鈴衛」の文字があり 鈴 衛 A S 出 場 と共に 鈴 衛 残 留 が確認された。その後も、2019年オールスターのホームランダービーや2020年の石原慶幸引退試合などに目撃される形で 鈴 衛 残 留 が確認されている。
1.プロ野球界で戦力外の発表は2回以上に分けるのが通例である。最初の戦力外の発表は、今後の去就が決まっていない選手が多く発表され、二回目以降の発表は、コーチや球団職員に内定しているなど、今後の去就が決まっている選手の発表が多い。
2.急進的な鈴衛ファンの中には、この出来事を 鈴 衛 強 奪 と呼ぶものもいる。2003年の金本移籍以降、町田公二郎、アンディ・シーツといった、かつてのカープの主力選手が、阪神へと移籍した。その先の出来事であったため、この阪神の鈴衛の獲得は、チームの屋台骨と言われるブルペン捕手を、わざわざ一年間、形の上で浪人させ、強奪に見えないように擬装した巧妙な手口であるという、身も蓋もない憶測まで飛び交った。それだけ、鈴衛は選手として愛されていたと言えよう。
鈴衛は自身のプロ生活上、2軍生活が非常に長かった選手である。そのため、いつしか人は彼のことを「由宇の妖精」と呼ぶようになった(由宇は広島カープ二軍球場所在地)。ここでは、由宇の妖精こと鈴衛の一日について紹介しよう。
5:00 起床 調理場で2軍寮の朝食を調理師の方たちと作る。
6:00 涼しい内に2軍グラウンドの草むしり
8:00 調理師の方たちと食事して皿洗い。
9:00 若手の練習を手伝う
11:00 球場へ出発
12:00 球場の食堂で皿洗い。チケットもぎり。
13:00 ウェスタンリーグの試合。ブルペンで球を受ける。五回終了時にグラウンドのトンボかけ。
16:00 試合終了。グラウンド整備。白線引きはプロレベル。
17:00 2軍寮へ戻る。調理場に駆け込み、夕食作りの手伝い。
18:00 夕食。選手達の食欲をチェックするのも仕事だ。
19:00 片付け。掃除。その後、若手の練習を手伝う。
21:00 外国人選手に困ったことはないかと電話。
22:00 練習機材の手入れ。
23:00 消灯。各部屋を回り、布団をかけ直したり、冷房のチェック。
24:00 就寝。
ちなみにこのコピペは鈴衛本人も(藤浪晋太郎経由と思われる)知っているようである。
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最終更新:2024/04/24(水) 08:00
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