天保6年(1835年)4月24日、唐橋在久の子に生まれ、のち錦小路頼易(よりおさ)の養子になる。錦小路家は平安時代の医家丹波康頼を祖とする。中絶後江戸時代に再興。家格は半家に属す。
安政5年(1858年)、通商条約の勅許を得るため老中首座・堀田正睦が上京するとこれに反対する攘夷公卿達の起こした八十八卿列参事件に名を連ねる。
文久3年(1863年)2月、国事寄人に就任。同年7月に三条実美らと図って攘夷親征・大和行幸を建言したが、8月18日の政変によって一転、官位を剥奪され京都を逐われる身となった。(七卿落ち)
三条ら同志と長州藩に落ち延びたが、元治元年(1864年)4月27日、下関滞留中に発病し死去。享年30。王政復古の政変後に名誉を回復した。
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最終更新:2025/12/07(日) 09:00
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