鎌倉大地震とは、1293年5月20日に発生した地震である。また、ここではついでに1257年に発生した正嘉大地震についても供述する。
鎌倉時代後期に発生し、当時幕府が置かれていた鎌倉に大きな被害を与えた。家屋の倒壊・大火事が酷く、山崩れ、液状化現象、地割れなども発生し死者23020人、更に若宮大路の損壊、鶴岡八幡宮・建長寺などの倒壊・炎上など。また、鎌倉大日記では余震も非常に多かった記述もある。
あまり研究がされておらず、詳細な震源・規模などは不明だが相模沿岸や三浦半島に大津波が襲来した形跡があることから震源は相模湾と見られる。
また、この混乱に乗じて、平頼綱が主君の北条貞時に襲撃される平禅門の乱が発生する。
因みに、鎌倉大地震の前にもいくつか鎌倉付近で地震があり、1213年建保地震、1240年の地震、1241年の地震津波、1257年正嘉大地震、1292年の地震など。
1257年10月2日に発生した正嘉大地震は内陸地殻内地震(所謂直下型地震)とされ、震源は相模湾付近、規模はM7.3前後、推定最大震度7で鎌倉のほとんどの建物が倒壊し、地割れや山崩れ、液状化現象の他、地割れから可燃性のガスが噴出、引火し炎上したとされる。南関東一体に大きな被害を及ぼし、死者・行方不明者多数とされる。
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最終更新:2025/04/02(水) 21:00
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