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鎌田実 単語

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鎌田実(かまた みのる)とは、元プロ野球選手である。故人。

概要

1939年3月8日生まれ。兵庫県三原広田出身。生後10日で父親が亡くなったため、生活は非常に困窮していたようだが、の頑りや戚の手助けもあってなんとか暮らしていけたという。

高等学校に進学。に4番ショートとしてチームの中心選手として活躍したが、甲子園大会に出場することはわなかった。

レベルでの活躍こそなかったものの、実力は複数球団から高く評価され、1957年大阪タイガースに入団。

入団初年度の1957年吉田義男の故障もあり出場機会を得ることに成功。45試合に出場。

1958年シーズン途中からセカンドコンバートし、67試合に出場。

1959年白坂長栄に代わり2番セカンドレギュラーに定着。初めて規定打席に到達し、106試合に出場して、打率.239、2本塁打、17打点記録

以降も堅い守備を武器セカンドレギュラーとして活躍を続け、1963年まで5年連続で100試合に出場。1962年にはセ・リーグ制覇にも大きく貢献している。

1964年阪急ブレーブスから移籍してきた本屋敷錦吾レギュラーを奪われたが、以降も準レギュラーとして活躍を続け、1966年には本屋敷からセカンドレギュラーを奪い返している。

1967年近鉄バファローズへ移籍。近鉄でも在籍した3シーズンいずれも100試合以上に出場するなどセカンドレギュラーとして活躍した。

1970年阪神に復帰。復帰初年度には規定打席には到達していないものの、キャリアハイとなる打率.290記録している。

1971年からはコーチを兼任。1972年、現役を引退

引退後はスポーツ用品店を経営する傍ら、野球解説評論家として活動。1993年1994年には近鉄で総合アドバイザーとしても活動。その後は、少年野球チームを結成したり、神戸大学科学部の監督中学野球導者として活動するなど、アマチュア野球導者として活動していた。

2019年8月1日がんのため死去。享年80歳。

人物・エピソード

広い守備範囲と麗なグラブさばきで、鉄壁内野の一を形成していた守備の名手。バックトスを日本野球に導入した選手とも言われ、滅多に使用しなかったものの、チームピンチ時に披露し危機を救う場面も見られた。

打撃面では悪球打ちの選手でもあり、顔付近の高さのボールにも積極的にスイングしにいった。一方で選球眼は良くなく、打率出塁率の差がどない成績を残している。

プロ入り前は同じポジションに『牛若丸』と呼ばれた名手・吉田義男がいたこともあり、阪神入りを拒否していたが、庭の経済状況もあり進学できなかったため、渋々阪神入りを決断している。

大の飛行機嫌いとしても有名であった。

通算成績

打撃成績

通算:16年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1482 4747 4451 403 1041 24 264 84 109 16 153 14 360 66 .234 .261

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