「長船貞親」(おさふね・さだちか ? ~ 1588)とは、腹黒さに定評のあるイケメン梟雄・宇喜多直家に仕えた最古参組の家臣であり、側近として創業から宇喜多直家を支えて没落した宇喜多家再興に尽力し、築き上げた深い絆に定評のある宇喜多三老の一人に数えられる重臣。
宇喜多三老 |
岡利勝(岡家利) |
戸川秀安(富川秀安) |
長船貞親 |
島村盛実の姦計により祖父・宇喜多能家を殺され、父・宇喜多興家も失意のうちに没して、武家の最下層にまでおちぶれた状態からはいあがらんとした宇喜多直家が奇跡的に浦上宗景の家臣となった際に与えられた300石の小城・乙子城にて宇喜多直家の家臣となった。
岡利勝や戸川秀安、花房正幸らと共に没落した宇喜多家の復興に尽力し、宇喜多直家と三村元親の間で勃発した明禅寺合戦においては、敵将・荘元祐を討ち取る戦功を上げる等の武勇を発揮した。その後も宇喜多直家の元主君・裏紙浦上宗景と戦うなど各地に転戦し、宇喜多直家が毛利氏について織田信長旗下の羽柴秀吉の軍と上月城で戦った際は、秀吉軍の黒田孝高を破った。
主君・宇喜多直家が、天然人たらしに定評のある羽柴秀吉と意気投合して織田信長についた後は、長船貞親は毛利氏と戦った。宇喜多直家の死後は、宇喜多秀家が宇喜多氏を相続する事を織田信長が認めた際に、お礼の為に安土城に赴いた。
宇喜多直家の死と共に、筆頭家老を務めていた戸川秀安が隠居した際は、古参の重臣として宇喜多家筆頭家老となり国政を預かり、豊臣秀吉の四国征伐に従軍する等していたが、長船貞親に不満をもっていた娘婿の石原新太郎に、新年の祝賀に招かれた際に暗殺されてしまった。
岡利勝とはお互い武辺者同士反目することもあったが、戸川秀安がクッション役になった為、宇喜多三老は協力して宇喜多家を盛り立てるのに尽力したが、長船貞親の子・長船綱直や戸川秀安の子・戸川達安らの頃になるとお互いに反目しあい、結果、宇喜多家は崩壊の危機に瀕するまでになったのだった・・・
※その他「長船貞親」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
▼history-reproduction「直家謀反」に宇喜多三老として登場。
▼「信長の野望革新PK」地方別武将ランキング中国編にて総合8位で登場。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 29 | 政治 | 44 | 魅力 | 59 | 野望 | 44 | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 42 | 政治 | 63 | 魅力 | 62 | 野望 | 49 | 教養 | 59 | ||||
覇王伝 | 采配 | 62 | 戦闘 | 52 | 智謀 | 59 | 政治 | 58 | 野望 | 49 | ||||
天翔記 | 戦才 | 124(B) | 智才 | 128(B) | 政才 | 136(B) | 魅力 | 62 | 野望 | 50 | ||||
将星録 | 戦闘 | 56 | 智謀 | 69 | 政治 | 71 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 46 | 戦闘 | 37 | 智謀 | 70 | 政治 | 68 | ||||||
嵐世紀 | 采配 | 37 | 智謀 | 62 | 政治 | 59 | 野望 | 57 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 54 | 知略 | 65 | 政治 | 62 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 54 | 知略 | 65 | 政治 | 63 | 教養 | 55 | ||||||
革新 | 統率 | 67 | 武勇 | 52 | 知略 | 73 | 政治 | 71 | ||||||
天道 | 統率 | 67 | 武勇 | 52 | 知略 | 73 | 政治 | 71 | ||||||
創造 | 統率 | 64 | 武勇 | 56 | 知略 | 71 | 政治 | 69 |
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最終更新:2024/03/29(金) 04:00
最終更新:2024/03/29(金) 04:00
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