長谷川勇也単語

ハセガワユウヤ

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長谷川勇也(はせがわ ゆうや1984年12月22日-)とは、山形県出身の元プロ野球選手外野手)である。現在福岡ソフトバンクホークスコーチ

概要

田南高等学校では2年と3年春の甲子園に出場。専修大学に進むと1年からレギュラーを掴み、4年時にはチームの東都1部昇格の原動となった。

2006年大学生社会人ドラフト5巡名され福岡ソフトバンクホークスに入団。背番号30。

ソフトバンク時代

2007年(1年)は即戦野手として期待されるが、怪でほぼ棒に振る。


2008年先に一軍昇格すると、低打率ながら度々好機に好打を放ちアピール。対右投手時はスタメンで出るなど、若手野手の中でも期待されたが、場に小骨折して離脱、そのままシーズンを終える。


2009年多村仁の出遅れと新外国人の不振により開幕直後からレギュラーの座を掴み、逆方向へのシュアなバッティングで高打率キープ。6番か7番(チーム状況により5番)でセンター定位置として143試合に出場、打率.312パ・リーグ打率ランキング4位に入った。またオールスターに選手間投票で初選出を果たし、試合では内野安打1本と好守を見せた。


2010年は、事実上の2年目のジンクスに陥り、レギュラーで起用され続けたものの打率は上がらず、打率.255、3本塁打と前年より大きく成績を落としてしまった。


2011年は前年の不振と内川聖一の加入から開幕スタメンを逃し、福田秀平の台頭もあって序盤はややが薄かったが、5月半ばからセンターレギュラーを確保。しばらくは打率もなかなか上がらず苦しんだが、場からじわじわ尻上がりに成績を挙げ、シーズン終盤は故障者が続出する中で5番も任された。最終的に規定打席に到達し、打率.293、4本塁打34打点、13盗塁と好成績にまとめた。クライマックスシリーズでは、制覇のかかった第3戦で起死回生の同点タイムリー、そしてサヨナラ打を放つ5打数4安打2打点の大暴れで特別賞を受賞した。


2012年からは背番号24に変更。元々24を希望しており、念願っての変更であった。例によって先は不調で5月には二軍落ちも経験したが、6月からは調子を上げ、一時は3割を伺うところまで打率を上げた。最終的には126試合で打率.278、4本塁打37打点、16盗塁出塁率は例年通り高く.352マークした。守備では柳田悠岐の台頭で、ライトで出場することが増えた。


2013年キャンプ中に打球が直撃して頭蓋を陥骨折するというアクシデントに見舞われるが、脅威の回復で開幕に間に合わせる。この年は先から好調で、4月半ばから1番に入り3割前後をキープ交流戦に入った5月半ばからは1番に中村晃が抜され5番に回ったが、これが機し、交流戦を通してヒットを量産。交流戦史上最高打率となる.418をマークし、交流戦MVPを受賞した。
後半戦でもその勢いを維持し、最終的に全144試合フルイニング出場、打率.341、19本塁打、83打点、12盗塁出塁率.392とキャリアハイの成績で首位打者最多安打タイトル獲得、ベストナインを受賞した。フルイニング出場での首位打者王貞治1969年)、イチロー1995年)、松井秀喜2001年)、西岡剛2010年)に次いで史上5人の快挙である。また200本安打も期待されたが惜しくも198安打に留まった。 


2014年も開幕からに5番・ライトとして快調にヒットを重ねたが、例年調子を上げる6・7月に成績を落とす。8月に盛り返したが、9月3日オリックス・バファローズ戦で本塁に突入した際、右足首を痛めてしまい、以降は日本シリーズまで代打のみでの起用となった。しかし「代打に控えている」ことが要所で相手にプレッシャーを与える形となった。最終的には135試合の出場で打率.300、6本塁打、55打点


2015年は前年理をしたで右足首の故障が治しないまま開幕を迎える。開幕当初は指名打者で出場していたが、故障ので打撃も結果が出ず、しっかり治すために4月半ばに登録抹消となった。チームが好調だったため万全の状態までゆっくり調整することとなり、9月半ばの優勝直前に復帰すると、3試合連続で打点を挙げて優勝決定に貢献した。最終的にレギュラー定着後最低の30試合、打率.224の数字に終わったが、前年の約1/6の打席数で、前年とほぼ変わらない5本塁打マークした。


2016年李大浩の退団により指名打者レギュラーに固定。8月27日千葉ロッテマリーンズ戦で通算1000安打を達成。内川聖一指名打者で出場した際はベンスタートが多かったため、規定打席に3打席届かなかったが、打率.271、10本塁打2013年以来の二桁)、51打点復活を遂げた。


2017年指名打者アルフレド・デスパイネが加入したため外野のレギュラーを争うが、極度の不振により上林誠知ポジションを奪われ、レギュラーシーズンは23試合の出場に留まった。ポストシーズンでは調子を落とした上に代わって出場機会を得、日本シリーズでは初戦で井納翔一からホームラン記録した。10月18日海外FA権を取得。オフ2014年から故障のを引きずる右足首の治をし右足の関節を手術した。


2018年は前年オフの右足手術のもあり6月まで二軍調整。6月半ばに昇格したものの、しばらく出場は代打メイン8月1日西武戦で4安打してからはレフト指名打者でスタメン出場の機会も増えたが、レギュラー再奪取とまではいかなかった。最終的には55試合の出場に留まる。


2019年4月半ばに一軍昇格したが、1試合に出ただけで左アキレス腱痛により離脱。7月に復帰後はレフト代打で起用され3割中盤の打率マークしたが、足の不安でフル出場できない使い勝手の悪さもあり8月抹消。再復帰は閉幕直前になり、25試合の出場に終わった。ポストシーズンでは左の代打の切り札として起用され、CSファイナルステージ第1戦で8回に同点タイムリー日本シリーズ第3戦で決勝点となる勝ち越し犠飛など要所で活躍を見せた。


2020年は開幕一軍入りしたが、7月7日に右の筋挫傷で戦線離脱。二軍調整中の8月1日新型コロナウイルス感染が判明、開幕後初の選手の感染者となった。9月末に一軍復帰後はたまにスタメンか代打要員として起用、10月15日オリックス・バファローズ戦では自身初の代打満塁ホームランを放ったが、29試合で打率.224に終わった。日本シリーズでは代打の2打席のみでノーヒットだったが、第3戦で二死満塁の場面でのヒット性の当たりを吉川尚輝ファインプレーに阻まれ、一塁へヘッドスライディングするもアウトになり地面をいて悔しがる姿は、シリーズ名シーンのひとつとなった。


2021年は開幕から代打の切り札、たまに指名打者でスタメンとして起用。前半戦は結果を出していたが、9月以降は全く打てなくなり10月2日二軍落ちすると、10月8日に現役引退を表明。翌日の引退会見では右足が限界に達したことが引退の理由とった。10月21日の本拠地最終戦引退試合となり、日本ハム伊藤大海から一塁ゴロを放って一塁にヘッドスライディングして現役生活を追えた。

引退後

そのままチームに残り、2022年からは一軍打撃コーチを務める。

プレースタイル・人物

称は「ハセ」。ネット上では「ハッセ」と呼ばれることが多い。

ホークス野手ではしい、じっくりと球を見極めて出塁を狙うタイプで、出塁率の高さが武器。王監督(当時)に「もっと積極的に打ちにいけ」と言われてもそのスタイルを変えなかった勇者である。打撃に関してはかなりの理論であり、独自の打撃理論らせるとが相手でも止まらなくなるらしい。ミリ単位の打撃技術を追いめる、人呼んで「」。2020年新型コロナウイルスに感染した際も、ファンからの反応は「え、なんで長谷川が?」というもので、表された行動履歴も球場と自宅の往復のみであり、クラスターを発生させるような行動はしておらず、むしろさが知られて感染してかえってが上がったというしい選手となった。

アベレージヒッターの印が強いが、一軍1年は低打率だがパンチのある打者として売り出していた。その年に骨折した小まっすぐ伸びなくなったことで握力が低下してしまったため、上半身のに頼っていたフォームを修正し下半身を強化することで翌年アベレージヒッターとして開眼したという経緯がある。とはいえ元々パワーはあるので、ときたま意外なところで一発を放り込む。

2013年は頭蓋を陥骨折しながら開幕に間に合わせ、例年調子の悪い先から好調を維持したため、上記の小の件と合わせて「長谷川骨折するとパワーアップする」と冗談交じりに言われたこともあった。

一方現役後半は、2014年の右足首の故障とその後の理が祟って足の不安に苦しめられる現役生活となった。故障ので打撃覚醒し、全盛期を迎えた直後に故障で運命が狂ってしまったという選手生活は、「禍福はあざなえる縄のごとし」という言葉が想起される。
2014年チーム日本一のために理をしたことが右足の故障にどこまで悪を及ぼしたのか正確なところは知りようがないが、前の日本一という大標のためにチームに貢献することと、その後の選手生命を重んじて大事を取るのと、プロとしてどちらを選ぶべきか、どちらが選手として幸福なのか、という問いを考えさせる。

バントが大の苦手死一塁でバント示され、2回失敗してヒッティングに切り替えてからヒットを打つのは様式美。最初から強攻させろよと言ってはいけない。…とか言ってたら2011年日本シリーズではバント大好き秋山監督をして「性格的に打たせた方がいいと思った」と言わしめた。なおその後もたびたび秋山監督長谷川バント示しては様式美を繰り返していたが、首位打者を獲得した2013年以降は見られなくなった。

守備では2011年まではセンター2012年から2014年ライト2015年以降はレフト指名打者で出場している。外野手としては、足はそこそこ俊足だが肩は微妙で、打球判断もあまりくない。一軍定着当初の2008年には飛球を追って多村と交錯、骨折させてしまったり、連携ミス原の痛を悪化させたりとチームへの大なやらかしが立った。際どい打球の好捕は結構見られ、打球判断の遅さを球際の強さでカバーするタイプだが、やらかしもある程度の守備
また打撃好調時は守備も冴えるが、打てなくなると守備でもやらかす場面が立つ。そのため、センター時代は勝っている試合の終盤では城所龍磨センターに入り、長谷川レフトに回るのがパターンになっていた。ところが守備でやらかす場面はレフトの時の方が立つ。

読売ジャイアンツで同じく2009年センターとしてブレイクした松本哲也大学同期

応援歌

球団 レス No プレイヤー
ソフトバンク 応援歌のピコカキコ一覧#75 8631
8631

成績

年度別打撃成績









































2008年 ソフトバンク 71 245 221 28 52 13 1 4 24 2 4 1 28 1 47 1 .235 .295
2009年 143 584 509 69 159 31 3 7 44 10 11 1 57 6 89 7 .312 .387
2010年 134 519 443 48 113 17 0 3 32 14 10 3 51 12 97 8 .255 .346
2011年 125 455 392 51 115 23 1 4 34 13 6 2 47 8 87 2 .293 .379
2012年 123 473 403 41 112 15 3 4 37 16 16 5 40 9 87 4 .278 .352
2013年 144 637 580 92 198 29 6 19 83 12 0 5 47 5 111 5 .341 .392
2014年 135 541 473 58 142 30 3 6 55 7 0 7 54 7 95 8 .300 .375
2015年 30 96 85 8 19 0 0 5 12 0 0 0 11 0 27 0 .224 .313
2016年 122 442 387 45 105 15 3 10 51 2 1 0 51 3 95 9 .271 .361
2017年 23 44 37 5 8 1 2 2 7 1 0 0 7 0 15 0 .216 .341
2018年 55 112 101 15 29 6 0 5 20 0 0 1 9 1 18 3 .287 .348
2019年 25 54 43 6 13 4 0 3 9 1 0 2 7 2 4 1 .302 .407
2020年 29 87 76 6 17 5 0 1 7 0 0 0 10 1 18 2 .224 .322
2021年 71 120 100 10 26 6 1 3 19 0 0 2 17 1 18 2 .260 .367
通算:17年 1233 4409 3850 482 1108 195 23 76 434 78 48 29 426 56 808 52 .288 .365

通算守備成績

機構 守備位置 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
NPB 外野手 935 1693 25 21 4 .988

タイトル・表彰・記録

タイトル
首位打者 1回 2013年
最多安打 1回 2013年
ベストナイン 1回 2013年
セ・パ交流戦MVP 1回 2013年
MVP 2回 2013年6月9月
オールスター敢闘賞 1回 2013年

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最終更新:2024/03/28(木) 19:00

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