「感動する話は長い、短いではない。3分の歌も2時間の映画も感動の密度は同じである 」
- 阿久悠
明治大学を卒業し、広告代理店に就職後、放送作家として独立し、1960年代後半のグループサウンズブームによって作詞家としても活動を始める。
1970年代、自身も出演した伝説のオーディション番組「スター誕生!」で発掘されたアイドルたちの楽曲の作詞を手がける一方、演歌からアニソン・特撮ソングまで数多くの楽曲の作詞を手がけ、一時代を築いた。
沢田研二、山本リンダ、ピンクレディー、都はるみ、八代亜紀らの歌謡曲から、「ママとあそぼう!ピンポンパン」「ワイルド7」「デビルマン」「ミクロイドS」「宇宙戦艦ヤマト」「マッハバロン」「ウルトラマンレオ」「宇宙船サジタリウス」「はれときどきぶた」などの子供番組・アニメ・特撮番組まで数々携わり、数多くの名曲を作詞した。
生涯に提供した作詞曲のシングル総売上枚数は約6831.9万枚という大記録を残している。後続の松本隆、秋元康、小室哲哉らをもってしてもこの記録をなかなか乗り超えられなった事実が、阿久悠の残した偉大なる足跡を物語っていた。2013年3月4日付のオリコンチャートで秋元康の作詞曲累計売上枚数が約6859.1万枚に到達し記録を塗り替えたが、阿久悠が昭和の歌謡史に大きな足跡を残した事実はこれからも語り継がれるであろう。
1970年代後半、ほぼ同時期にフジテレビとテレビ朝日のイメージソングの作詞を手掛けている。
作曲:都倉俊一。当時、フジテレビは「母と子のフジテレビ」というキャッチコピーを掲げており、それに沿った内容の歌詞になっている。キャッチコピーが「楽しくなければテレビじゃない」に変更された1981年ごろまで使用。
作曲:小林亜星。1977年にNETテレビからテレビ朝日に社名が変更された際に作られた曲。1日の放送開始や終了の際にこの曲が使用された。テレ朝社内でもこの曲が流されていたようである。TVOPEDでは1987年まで使用。
掲示板
25 ななしのよっしん
2018/10/29(月) 17:09:27 ID: jvwonoMCJe
60年代=なかにし礼
70年代=阿久悠
80年代=松本隆
90年代~=秋元康
こんなイメージ
26 ななしのよっしん
2019/03/10(日) 02:43:01 ID: 3qiJ5Y8VAb
当たり前の話だけど昔からアイドルの歌はおじさんが書くものだったんだよな
リアル中高生が感銘を受ける詞、曲を遠い昔に中高生時代が過ぎ去ったおじさんが書けるのって実は凄い事だと思うんだが
27 ななしのよっしん
2019/04/13(土) 10:42:21 ID: l7Xuq4nckB
YouTubeにあるピンク・レディー「SOS」のコメント欄でゲンナリさせられるコメントがあった。
要約すると「曲そのものは素晴らしいが、被害者である女性の方を戒める詞はいかがなものか。襲う側の男が悪いに決まっている。前時代的な歌詞である」というコメント。で、それ以降はジェンダーの価値観がなんたらとか罵倒合戦が繰り広げられていた。
正直、そんな風に捉えちゃうの?と困惑した。阿久悠は男は狼、もっといえばケダモノだ、ふたりきりになれば何をするかわかったもんじゃないから「気をつけなさい、慎みなさい」と詞をつけたんじゃないのか?それがまず第一だろうと疑問しかなかったね。
本当に現代人は作り手の意図なんぞクソくらえで、捻じ曲げに捻じ曲げた独自解釈を押し付けるのが大好きなんだなと反吐が出る思いだったよ。自分の思想にそぐえば褒め称えるが、逆ならボロクソに叩くんだ。色々履き違えてるよな。
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最終更新:2024/04/19(金) 17:00
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