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隆慶一郎単語

リュウケイイチロウ

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隆慶一郎(りゅう・けいいちろう 1923~1989)とは、歴史小説作家である。
本名は「池田一朗」で、この名義で映画テレビドラマ脚本家としても活躍しており、氏のキャリアとしては脚本家時代の方が長い。

「隆慶一郎」としての代表作は『吉原御免状』、『一夢庵流記』、『影武者徳川家康』など。
「池田一朗」としての代表作は、映画『にあんちゃん(監督今村)』、テレビドラマ『破れ奉行』など。

概要

ニコニコ動画的には、原哲夫が漫画化した『花の慶次かなたに』の原作者であると言えば分かりやすいかと思われる。原題は『一夢庵流記』。
漫画を読んだ方ならすぐにお分かりのとおり、様々な苦難をものともせず、自由に生きていく人々を爽やかに描く作を特徴としており、その強い文章は、現代もなお多くの読者を魅了し続けている。

以下、簡単に氏の略歴を記述する。

隆慶一郎の作家デビュー

前述の通り、隆慶一郎はその65年の人生の中で、「池田一朗」として大半の期間を過ごしていた。
ペンネーム「隆慶一郎」を名乗って作家活動を行ったのは60歳を過ぎてからと、遅咲きのデビューである。

この遅咲きのデビューについては、隆慶一郎自身が「柴田錬三郎賞」を受賞した時の「受賞の言」で、以下のようにっている。

思えば六年たつ。
六十歳を迎え、還暦とやらいって奇妙な赤子に戻った日からである。
私はそれまでの生き方に倦んでいた。
新しい生き方をしたいと思い、映像でなく文章に、それも伝奇的手法及び文章を使いながら、
歴史事実を再構成したいと決意した。

すでに脚本家として長いキャリアを持ちながら、「それまでの生き方に倦んで」、伝奇歴史時代小説を書こうと一大決心をした、というのがその動機だったようである。
他にも理由はあったみたいですけどね。[1]

隆慶一郎の作風

隆慶一郎の作は、過去の時代を舞台にした時代小説歴史小説を伝奇的な手法で描く、というものである。
作品中には人的なを持つ剣豪忍者武士、呪術者たちが登場することが多く、現代のライトノベル読者にも違和感なく読みやすい作となっている。

……と、それだけなら隆慶一郎はそれほどしい存在ではないのだが、氏の作の最大の特徴は、こうした「過去の時代を描く」「伝奇的な手法を用いる」ことが、そのまま歴史学の研究によって明らかにされた中世日本の姿」を描くことに繋がっている点である。

詳しくは外部サイトなどを参考にしてほしいが、網野善の研究で特に有名な、「々の輩」や「界」など、の支配も受けず自由日本を放浪していた人々が中世日本には存在していた、という学説に強く影を受けたらしく、隆慶一郎の作品にはこうした「自由な」人々が多く登場する。

影武者徳川家康』の魔一族、『麿』の山人、『捨て童子・松平忠輝』の傀儡子などがその一例である。

氏の作品中では、こうした異の漂泊者たちが、時には権者と戦い、あるいは協し、様々な時代の制約の中で、「自由」を貫いて生きようとする姿が描かれる。これは歴史学が明らかにした、「様々な身分の人がせめぎ合う、ダイナミック中世世界」という知見に沿うものと言ってもいいだろう。とりあえず記事作成者はそう思う。

歴史学の知見とエンターテイメント性が、伝奇小説という手法でハイレベル融合されていることが、当時の時代小説界にとっては凄まじいインパクトだったようだ。
作家活動がわずか5年で終ってしまったことにより、惜しくも直木賞の受賞は逃したが、代表作『一夢庵流記』は、第2回柴田錬三郎賞を受賞している。

長文を書いてしまったけれども、とりあえず作品を読めばその凄さがきっとわかる。
隆慶一郎の文章に触れた人は、

などの感想を持つこと間違いなしである。 [要出典]

 

 隆慶一郎と未完の作品

隆慶一郎の作家活動はわずか5年で終ってしまったため、未完の作品が多数存在する。
ざっと挙げてみても、『死ぬことと見つけたり』『と火の』『かぶいて』『の翁』などがある他、稿する予定があったという『の呪殺』、続編が予定されていた『かくれさと苦界行』、『捨て童子・松平忠輝』もこの範疇に入るだろう。

続編予定の一例、少しネタバレだから反転注意→一例を挙げると、『捨て童子・松平忠輝』は忠易・伊勢に配流となった時点で一旦完結はしているものの、本来は忠の生涯(完結段階で忠は24歳だが、忠が死去するのは実にその67年後、91歳である。)を描く予定だったようだ。また、『吉原御免状』に続く『かくれさと苦界行』も、次は上野寛永寺が新たな対吉原要塞になる予定だったとされている。

一部の作品には、「今後こういう展開になる予定だった」という構想やシノプシスが残されているものもあるが、現代の々には、最それらの作品の結末は知り得ないものとなってしまった。「もし隆慶一郎があと5年生きていたら、どんな作品が読めただろうか」と思わざるを得ない。

とはいえ、途中まででも異様に面作品が多々あるので、隆慶一郎の作品に魅了されてしまった人は、未完作品にも積極的にチャレンジしてみてほしい。

関連リンク

隆慶一郎わーるどexit
隆慶一郎のお子さんたちが設立した「池田会」の公式サイト。作品解説や墓所案内など。
ちなみに隆慶一郎の墓所は箱根の十にあるが、電車バスを駆使しても結構距離があり、お参りが大変である。

関連動画

関連商品

完結している長編小説
ただし、『吉原御免状』は本来は四部作になる予定だったそうで、その意味では2巻までしか刊行されていません(単品としては完結)。

未完の長編小説。特に『死ぬことと見つけたり』は、ラスト直前で止まる寸止め感がすごいですが、名作です。

記事作成者のオススメ。

関連項目

脚注

  1. *隆慶一郎と同じ東大文科卒で、氏の師匠として知られているのが、近代日本文学批評界の巨人小林秀雄である。小林秀雄は、「芸術」とか「文学」とか下手に口にすると、相手が泣くまで舌戦でやりこめるという人物だったそうで、隆慶一郎自身も、エッセイの中で「師匠が生きてる間は恐ろしくてとても小説など書けない」と思っていたそうである。この逸話はエッセイ『時代小説の愉しみ』で読める。

掲示板

  • 32ななしのよっしん

    2016/02/24(水) 00:54:08 ID: hGV98nIpcm

    前田利益直江兼続は今や、隆慶一郎が作り上げたイメージを拭う事が困難な状況となり、徳川秀忠イメージにも未だに少なからぬ影を遺している感がある。

    活動期間が短く、活動範囲も狭くマイナーな事柄を中心に物語を紡いだから立たないが、もしそうでなければ彼は下手したら司馬遼太郎に匹敵する捏造(褒め言葉)の持ちとして後世にその名を遺していたかも知れない。

  • 33ななしのよっしん

    2016/11/11(金) 09:48:24 ID: j7M8XpFWHH

    >>28
    そこの管理人病気かなんかかと思わざるをえない。ちょっと執拗すぎる。先生も癖のあるっていうか好き嫌いの別れる人だけどこれは酷すぎるだろ。

    >>31
    世界びにその手の脅しが果たして通じるか…というか多分だけど清麿は結構プライド高いからそういうことしたくなかったんじゃないかね。を切る時もわざわざ血の掃除の事まで考えてやってるし。

  • 34ななしのよっしん

    2018/06/19(火) 17:22:02 ID: qnSbm9goSk

    作家活動5年っていくらなんでも短すぎる、本当に勿体無い

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