零式水上偵察機とは、大日本帝國海軍が運用した航空機である。
連合軍が付けたコードネームはジェイク(Jake)。
1937年、帝國海軍は九四式水上偵察機に代わる次世代機「一二試三座水上偵察機」の試作を愛知航空機と川西航空機に命じた。艦船・水上基地ともに運用可能で、最高速度は370キロが出せる性能が求められた。当時、各航空機メーカーは対米戦を見込んだ発注が立て込んでおり、忙殺されていた愛知は期日の1938年9月までに試作機を造れなかった。間に合った川西の試作機のみが審査され、事実上愛知は脱落した。それでも完成させれば実験機としてデータを得られるとし、試作機の開発を続行。1939年1月に完成した。
そんな中、椿事が発生した。1939年6月に海軍でテストしていた川西の試作1号機が事故で喪失したのである。2号機も行方不明になり急遽代用機を求めた海軍は、愛知が造っていた実験機に着目。テストしてみると良好な性能だったので、1940年12月に制式採用。まさかの逆転勝利を収めた。一二試三座水上偵察機は零式水上偵察機1型と命名された。のちの1942年に11型と改名されている。
武装は7.7mm機銃1丁と250kg爆弾1発。諸元は全幅14.5m、全長11.49m、重量3650kg、出力1060馬力、乗員3名、最高速度376キロ、航続距離3326km。
開戦までに、零式水偵は巡洋艦以上の艦船に幅広く搭載された。唯一5000トン級巡洋艦には搭載できなかったので、九四式水偵で代用された。革新的ではなかったものの堅実な性能を発揮した零式水偵は、要所要所で活躍。大東亜戦争開戦劈頭では真珠湾への事前偵察やZ艦隊の触接など、日本艦隊の勝利に寄与した事も少なくない。前機種の九四式水偵よりも130キロ速く、航続距離は1000km以上拡大し、エンジンの信頼性も高いという有能な機体だった。偵察以外にも索敵、照明弾の投下、対潜哨戒にも従事し多種多様な場面で縦横無尽に駆け巡った。商船を改造しただけの特設水上機母艦にとって、零式水偵は貴重な戦力だった。飛行場の建設が終わっていない基地に進出し、航空隊が進出するまで制空権の維持や対潜哨戒を行うのも零式水偵の重要な任務だった。ソロモン方面からインド洋方面まで、活躍の場を選ばす飛び回った。
しかし連合軍の迎撃体制が整ったり、新型機が登場し始める戦争中期以降は撃墜される事が増えた。零式水偵の弱点は戦闘能力の低さであり、せいぜい機銃しか持たない零式水偵が敵戦闘機に出会ってしまうと助かる術は無かった。悪い事に海軍はまともな偵察機を殆ど持っておらず、1943年末に彩雲が登場するまで最前線で戦わざるを得なかった。急場を凌ぐためレーダーを搭載した11型甲が、対潜仕様の11型乙が登場している。一線を退いた後も後方で様々な任務に投入され、終戦まで使われ続けた。非常に便利な機体だったためか特攻には使われなかった。
終戦までに1423機が生産された。この数は水上機最大の生産数である。ちなみに内訳は愛知133機、広工廠90機、残りは渡辺鉄工所が製作した。
現存機は3機あり、日本国内に2機、パラオに1機が展示されている。このうち、鹿児島県南さつま市に所在する万世特攻平和祈念館で一般公開されている機は重要航空遺産に認定されている。1945年6月4日、沖縄方面へ夜間偵察に向かった機が燃料不足で吹上浜沖に不時着水し、3名の乗員が脱出した後に沈没したものだという。
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