電気グルーヴとは、テクノを主体とした男性音楽グループである。静岡が生んだ暴れん坊。
現在のメンバーは石野卓球(Vo,Syn,エレクトロニクス)、ピエール瀧(Vo,瀧)の2人。キューンアーティスツ所属。 当人は自分達を「電気」と略しているし、ファンからもそう呼ばれている。
知名度が低かった頃は、「電気グループ」と誤表記されることも多く、本人達もネタにすることがあった。電気グループでも電気グルーブでも電気グローブでも電撃ネットワークでも無いので注意していただきたい。
電気グルーヴの前身はナゴムレコードに所属していたコミックテクノバンド「人生」である。その解散後、1989年に人生のメンバーから選抜されたメンバーにより電気グルーヴを結成。
結成当初はギターやドラムもおり、5人組だったらしいが、ドラムが最初の打ち合わせの後即脱退したのを皮切りに、頻繁にメンバーの脱退と加入を繰り返す。その後、インディーズで卓球、瀧、耳夫、高橋嵐の4人組で1枚アルバムを発表。1991年に卓球、瀧、CMJKの3人でメジャーデビューした。最初のシングルはTMNとのコラボレーションで「RHYTHM RED BEAT BLACK/TMN VS 電気GROOVE」としてリリースされた。
ファーストアルバム「FLASH PAPA」リリース後CMJKが会見を開き、全裸で出席した瀧と卓球に対して「もうこんなバカ共とはやってられない」として脱退し、新被害者メンバー砂原良徳(まりん)が加入。
その後もシングル・アルバムを精力的にリリースする一方、ラジオ番組「電気グルーヴのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)にレギュラー出演し、石野・瀧の2人による毒舌・ギャグが大人気を博した。まりんによる小学校時代の卒業文集「たきの自然学校の思い出」は2chのコピペになるほどネタにされた。
コンサートツアーも独特のギャグセンスを活かした奇妙なツアータイトルが付けられる事が多く、漫画キャラのパロディーTシャツ等のグッズも販売されていた。
初期の楽曲ではテクノサウンドに風刺やギャグを織り交ぜたラップを乗せるという作風が多く、ラジオ番組と連動したネタが入る事もあった。自らネタとして「おもしろラップユニット」と名乗っていた。が、1993年にリリースされたアルバム「VITAMIN」以降は、ギャグよりもテクノサウンドを重視した作風に変化していき、インストゥルメンタル曲も多く含まれるようになった。この時期のライブは電気グルーヴ史上でも特に異質なものであり、瀧が真面目にROLAND VP-330を演奏していた。
1996年に発売された「ORANGE」ではテクノサウンドにナンセンスな歌詞が乗っかり、初期の「おもしろラップユニット」に戻ったが、電気グルーヴを真似た「宇宙犬」なるグループが活動開始、47都道府県すべて行うツアー「ツアーめがね」開催など「電気グルーヴが一番舐められていた時期」と語っている。
上層部から『売れるような曲を作れ』と言われ、1997年にリリースしたシングル「Shangri-La」はストリングスをフィーチャーしたラブソングという、これまでのテクノ+ギャグ路線とは異なる曲調であり、テレビCMでも流れた影響もあり大ヒットを記録した。同時期に発売された「A (エース)」も過去最高の売り上げを記録し、一般にも広く知られるようになった。このあまりの変わりように驚いた伊集院光が制作意図を尋ねたところ瀧は『ドリカムとか聴いてるやつらが買ったら笑うから』と答えたとか。また、以上のように曲は非常にキャッチーな仕上がりであるが、ライブでの演奏スタイルは歌詞のカンペを仕込んだニワトリのゴム人形を振り回しながら歌うというもので、相変わらずであった。
1997年のツアー「野球ディスコ」より、キーボートとシーケンサーからDJブースへとシフトされ砂原と卓球が後ろに付き、瀧のみが従来の踊って騒ぐというスタイルとなった。
砂原によると電気グルーヴが『フリッパーズギターの「ヘッド博士の世界塔」』を越えるまで解散させてたまるかと思っており、これに満足した砂原は1999年に瀧と卓球の借金を抱えて飛んだ。(大嘘)
砂原脱退前から制作されていた新アルバムはボツとなり、二人で作ったシングル曲「Flash Back Disco」ではディスコ方向へとシフト。旧来のファンや一部の音楽雑誌からは「ユーモアセンスを失った」と非難された。
2000年、卓球のDJ仲間であったKAGAMIとTASAKA、田中フミヤの力を借りて「VOXXX」を発売。「エジソン電」に代表される意味不明な歌詞など、再び不条理なギャグが復活した。
2001年に活動休止を宣言。ただし、ロッキンオンジャパンで連載されている『メロン牧場』は休止中でも継続されており、その中で「電気グルーヴ、尻だけ復活」や「二人が脱退して新たな人物が電気グルーヴを名乗る」と様々な復活案が出されたが、2004年にベストアルバムを発売し普通に活動を再開。
2007年に発表したシングル「少年ヤング」から本格的に新曲リリースも再開し、2008年にはシングル「モノノケダンス」、アルバム「J-POP」「YELLOW」をリリース、2009年には結成20周年記念アルバム「20」、シングル「The Words」「Upside Down」をリリースするなど、2000年代前半までの沈黙を取り戻すように活動を活発化させていく。
活動再開後に製作されたPVでは、1980年代に流行したファッションや小ネタをはさんでリアルに描写した「少年ヤング」、昭和アニメ風カオスPVの「カフェ・ド・鬼(顔と科学)」、ギターに魅せられた一人の男の夢と挫折をコミカルに描いた「弾けないギターを弾くんだぜ」、奇妙な妖怪達が登場する紙人形劇「モノノケダンス」、珍奇な歌詞をそのまま漫画化した「電気グルーヴ20周年のうた」などが話題となっている。「カフェ・ド・鬼(顔と科学)」「弾けないギターを弾くんだぜ」「モノノケダンス」は親友でもある漫画家・天久聖一がイラストやアニメーションを手掛けている。
2019年、電気グルーヴが結成30周年を迎えるアニバーサリーイヤーとなったことから、石野卓球の思いつきでピエール瀧を「ウルトラの瀧」という芸名へ1年間の期間限定で改名させる。当初は瀧の俳優活動などすべてにおいての改名を推していたもののさすがにストップがかかり、電気グルーヴとしての音楽活動のみの変名に留まった。
結成30周年記念アルバム「30」の発表、テレビ番組への露出、東阪福でのライブツアー「電気グルーヴ30周年“ウルトラのツアー”」と激しい活動の最中、突然激震が走ることとなる。
2019年3月12日深夜、ピエール瀧が麻薬及び向精神薬取締法の容疑で逮捕。この突然の逮捕により、ライブツアーの最終公演であった東京公演の中止、音源・映像商品の出荷停止・在庫回収・デジタル配信停止という巻き添えを食らうことになる。
この事態に対し異を発した有志により反対署名6万4千人分の署名が所属のソニー・ミュージックレーベルズに提出されるなど波紋を起こす。また瀧の相方である卓球への注目度も上がり、ワイドショーなどのマスコミに対する不信感を隠そうとしない卓球の発言をネタにバッシング報道が起こることとなった。
ピエール瀧はこの逮捕にともないそれまでの所属事務所「ソニー・ミュージックアーティスツ」とのマネジメント契約を終了させられる。卓球も自主的にマネジメント契約を終了させ、電気の二人による個人事務所「macht inc.」を設立することとなった。
この個人事務所設立と同時にニコニコチャンネルなどで新ファンクラブ「DENKI GROOVE CUSTOMER CLUB」を開設。有料で自らの近況報告を行う動画をアップロードするなどのサービスを行っている。
2019年4月2日、ピエール瀧は保釈保証金400万円を支払い保釈される。同年6月に東京地裁で公判が行われ、懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の判決を受けた。
この判決言い渡しの際に裁判官から、証拠写真の中に写っていた「人生」という貼り紙を元に「人生をどうしたいのか」と説諭をされた。
2020年6月19日をもってCD・映像作品の出荷やデジタル配信が再開。8月24日に2年半ぶり「Set you Free」を配信し活動を再開した。
同年のFUJI ROCK FESTIVAL(8月21日開幕)に出演し本格的なライヴ活動再開となる予定だったものの、同年より世界的大流行した新型コロナウィルスの影響で開催延期(実質的な中止)となってしまう。
この事態を受け、同年12月5日にファンクラブ「DENKI GROOVE CUSTOMER CLUB」限定の無観客有料配信ライブを行っている。
その他、「HAPPY BIRTHDAY」が「なるほど!ザ・ワールド」のEDテーマに、「虹」が「マジカル頭脳パワー!!」のEDテーマに使用されたことがある。
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最終更新:2025/03/30(日) 22:00
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