茨城県央部から鹿島方面への接続を目的とした計画の一つ。こうした計画は歴史上複数浮上しており、
の3つが存在していた。
石岡駅から霞ヶ浦の西浦(大きい方)の東岸に沿って南下し、西浦と北浦の間を通って延方に到達する計画だった。なお、当初の終点は香澄村とされていたが後に延方に変更されたらしい。
霞浦鉄道と2の初代鹿島参宮鉄道は申請時期もほぼ同時期で、起点こそ隣の駅であるもののほぼ同一の区間を辿るとあって完全に競合する計画となった。霞浦鉄道と初代鹿島参宮鉄道の両社は合同での事業実施について何度か協議を行ったが話がまとまる事は無かった。1914年に免許は初代鹿島参宮鉄道へ交付され、霞浦鉄道の申請は却下されてしまった。
しかしながら、初代鹿島参宮鉄道の方も経済・資金上の理由から4度に渡り工事の延期を繰り返し、1917年には遂に免許が失効してしまう。
後に2代目鹿島参宮鉄道は石岡駅から東に進み西浦の北部の鉾田駅まで路線を開通させ、汽船事業によりその名の通り鹿島参宮の事業を達成した。尚、この路線は後に関東鉄道鉾田線となり、鹿島鉄道として独立後に廃線となっている。
鹿島参宮鉄道の開通後も千葉県から鹿島線によって鹿島神宮駅までが結ばれ、更に北浦と太平洋の間を大洗鹿島線が走るようになったが、西浦と北浦の間を鉄道が走る事は無かった。
一応、経路は異なるがそこら辺の地域には東関東自動車道が開通する予定となっている。
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最終更新:2024/04/25(木) 08:00
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