令和現在、日本国内で生産される競走馬(サラブレッド)の約98%が北海道で生産されている。しかしかつて、青森県東部は北海道と並ぶ一大馬産地であった。
古くから南部藩(盛岡藩、現在の青森県東部~岩手県)では南部駒(南部馬)と呼ばれる日本在来馬の軍馬・農耕馬の生産が盛んで、血統表も管理されていたという[1]。
そんな青森の近代競走馬生産の歴史は、1880年代、七戸町に盛田牧場が創業、アメリカから牝馬を輸入して厩舎を作ったことに始まる。20世紀に入り、軍馬の改良を目的として本格的に各地で競馬が開催され始めると、青森でも馬匹生産の機運が高まり、1908年には野辺地町に国営種馬場が開設、1912年には青森県立種馬育成所[2]が創設された。
青森県内の競馬場としては、1906年に野辺地町に大平競馬場(野辺地競馬場)、1910年に八戸市鮫町に八戸競馬場、1916年には金木町に金木競馬場(芦野競馬場)が開業、それぞれ競馬が行われた。1928年には八戸競馬場が八戸市根城に移転、1931年には大平競馬場を移転する形で青森市佃[3]に青森競馬場が開場、その後田茂木野に移転して開催されたが、1939年に軍馬資源保護法が公布、地方競馬が軍の管轄となった際に青森の3競馬場はいずれも廃止となってしまった。
戦後の1947年には八戸競馬場が根城で、1949年には青森競馬場が佃でそれぞれ地方競馬の青森県営競馬として再開されたが、八戸は1951年に「県営競馬協力会事件[4]」というのをきっかけに休止ののち1954年に廃止、青森は1952年に売り上げ不振のため廃止になっている。
ちなみに青森競馬場では道外で唯一ばんえい競馬が開催されていた記録が残っている。
地元の競馬場は地方競馬場として定着はしなかったが、1936年に日本競馬会が設立され現代の中央競馬に繋がるレース体系が整備され始めると、青森産馬は盛田牧場に加えて下田町の益田牧場、東北町の東北牧場が中心となって多くの活躍馬を輩出した。
第2回帝室御賞典(春)勝ち馬ハセパーク(盛田牧場産)や第2回横濱農林省賞典4歳呼馬(現:皐月賞)勝ち馬ウアルドマイン(東北牧場産)を皮切りに、戦後になるとマツミドリ(東北牧場産)が1947年の東京優駿を制して青森産馬初のダービー馬となり、名牝トキツカゼ(益田牧場産)は同年の農林省賞典(現:皐月賞)と優駿牝馬を勝利。1949年にはトサミドリ(盛田牧場産)が皐月賞と菊花賞の二冠馬に。
50年代には1954年のゴールデンウエーブ(川俣牧場産)、トキツカゼの仔である1955年のオートキツ(益田牧場産)、1957年のヒカルメイジと1959年のコマツヒカリ兄弟(盛田牧場産)、1958年のダイゴホマレ(牛寺洋一牧場産)と青森産馬はダービーを5勝した。他にも1962年のダービー馬フエアーウイン(七戸町・濱中牧場産)、こちらもトキツカゼの仔で年度代表馬となったオンワードゼア(益田牧場産)、同じく年度代表馬のオンスロート(横浜町・青森牧場産)、牝馬二冠馬カネケヤキ(青森牧場産)、ヒカルメイジ産駒の菊花賞馬グレートヨルカと春天・有馬記念馬アサホコ(ともに盛田牧場産)、癖馬カブトシロー(十和田市・佐々木倬牧場産)などなど、50年代から60年代にかけて青森産馬は日本競馬に非常に大きな存在感を誇っていた。ヒカルメイジが勝った1957年の日本ダービーは1~3着を青森産馬で独占したほどである。
ちなみに当時から青森の競走馬生産はアングロアラブよりもサラブレッドが主流であったそうな。
しかし60年代半ばからサラブレッドの生産は北海道に集中していき、最盛期には200以上の牧場があり生産頭数も500頭を超えていた青森の馬産は、家族経営の牧場が中心だったこともあって経営者の高齢化・後継者不足による廃業が相次ぎ、各牧場や軽種馬協会が導入した種牡馬が総じてあんまりパッとしなかったのも響いて、みるみる存在感が薄くなっていってしまう。
それでも70年代はカネヒムロ(青森牧場産)がオークスを勝ち、カネミノブ(青森牧場産)が有馬記念を、そしてグリーングラス(天間林村・諏訪牧場産)が菊花賞・天皇賞(春)・有馬記念を勝つなど、まだ辛うじて存在感を示していたが、80年代に入るといよいよ馬産は北海道一極化が進み、青森産馬は重賞での活躍もなかなか見られないような状況になってしまった。
80年代の青森産馬というと、シンボリルドルフのライバルにしてダイタクヘリオスの父として知られるビゼンニシキ(七戸町・明成牧場産)や、未整備の80年代ダート路線で活躍したアンドレアモン(五戸町・三浦牧場産)、1986年のオークスでメジロラモーヌの2着に入りゴーカイ・ユウフヨウホウ兄弟を産んだユウミロク(三浦牧場産)が知られるぐらいだろう。あとは現10歳で中山大障害を勝ったキョウエイウオリア(タケミファーム産)とか、悲運の快速逃げ馬サザンフィーバー(中屋敷正治牧場産)とか。
90年代では重賞2勝のケイワンバイキング(東北牧場産)やインターマイウェイ(八戸市・大須賀牧場産)、重賞3勝のイナズマタカオー(八戸市・大西興産産)のほか、白毛馬ハクホウクン(五戸町・マルシチ牧場産)、1999年秋華賞でブゼンキャンドルの2着に突っ込んだクロックワーク(東北牧場産)が目につくぐらいである。
2001年にはタムロチェリー(諏訪牧場産)が阪神JFを勝ち、グレード制導入後初の青森産馬によるGⅠ制覇を挙げたが、2025年現在も中央GⅠ制覇はこれが最後である。
ほか21世紀では、中央重賞はカッツミー(階上町・ワールドファーム産)が2002年のラジオたんぱ賞、マイネレーツェル(南部町・佐々木牧場産)が2008年のフィリーズレビュー・ローズS、タムロチェリーの孫・ミライヘノツバサ(諏訪牧場産)が2020年のステイヤーズSを(最低人気で)勝ったのみ。
地方交流ではエスプリシーズ(八戸市・大橋牧場産)が2004年の川崎記念を、キョウエイギア(ワールドファーム産)が2016年のジャパンダートダービーを制した。キョウエイギアは母ローレルアンジュ(ワールドファーム産)もエンプレス杯の勝ち馬である。近年ではサルサディオーネ(東北町・荒谷牧場産)が交流重賞5勝を挙げる活躍を見せたのは記憶に新しいところ。
令和現在、青森の競走馬生産牧場は30程度とされ、実際に生産を継続している牧場はおそらく20ちょいぐらい。東北牧場や諏訪牧場は存続しているが、盛田牧場や益田牧場は2006年頃に廃業してしまった[5]。生産頭数は年間60~70頭台で、全サラブレッド生産頭数の1%弱である。
それでも数は少ないながら種牡馬も繋養されており、2025年現在では日本軽種馬協会が七戸に*アニマルキングダムとサブノジュニアを繋養しているほか、荒谷牧場にウインバリアシオンとオールブラッシュ(どちらも所有は十和田市のスプリングファーム)、東北牧場にベルシャザール・スピルバーグ・*へニーハウンドがいる。青森市の青森ホースファームにはカンパニー産駒ウインテンダネスと、地方で15勝を挙げたオールザベストがいる。
八戸市では夏に競り市の八戸市場が毎年開催されており、取引額は全頭合わせて1億円程度、1000万円を超えれば高額落札と規模は細々としたものだが、青森産馬の活躍馬が出るとちょっと盛り上がる。
2024年にはウインバリアシオン産駒・ハヤテノフクノスケ(ワールドファーム産)が菊花賞にも出走して注目を集めるなどした。青森の馬産の灯を消さないためにも、青森産馬のさらなる活躍を期待したい。JRAさん、小倉で九州産馬限定戦があるんだから秋の福島で東北産馬限定戦やりません?無理?
確認できた限り。既に廃業している、あるいは存続しているもののサラブレッドの生産からは撤退している牧場が含まれているかもしれない。
掲示板
4 ななしのよっしん
2025/03/27(木) 17:39:47 ID: EyBwFbaQmL
知り合いに諏訪牧場の人がいるけど、同窓会は中山競馬場でやってるとか
5 ななしのよっしん
2025/03/28(金) 15:10:59 ID: nQtLwro2Jp
盛田牧場があった場所は現在NAMIKIというアイス屋と牛ステーキを食べられる飲食店になってる
ステーキは食べたことないけどアイスは普通に美味しい
観光地っぽくもなってるので七戸に来たときは是非立ち寄ってみてね
6 ななしのよっしん
2025/03/29(土) 17:39:41 ID: BgIAcjsI1Y
これは良い記事。
北関東が全滅してなければ、もうちょっと賑わってたのかな。
ウインバリアシオンにかかる期待は大きいね。
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最終更新:2025/12/07(日) 19:00
最終更新:2025/12/07(日) 18:00
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