非想非非想天とは、仏教において、天の世界のうちの最上位である。
輪廻にかかわる世界全体を表す「三界」と呼ばれる3つの世界の最も上位にある「無色界」の、さらに最上位が非想非非想天と呼ばれる領域。
この「無色界」は思考と精神作用のみになった者の世界ではあるが、思考は残っているので煩悩を完全に捨て去った訳ではない。その煩悩の捨て去り具合によってさらに段階が分かれており、ほぼあらゆる煩悩を捨て去る事に成功している(非想)が、まだちょっとだけ残っていて完全ではない(非非想)状態を指す。完全では無いが、一応一番上。
仏教の宇宙論的には「非想非非想処」の方が「非想非非想天」よりも一般的なようだが、「非想非非想処」を原語にあたるサンスクリットで表記すると、「नैवसंज्ञानासंज्ञायतन」(naivasaṃjñānāsaṃjñāyatana)となる。
「ナイヴァサンジュニャーナーサンジュニャーヤタナ」と読む。
漢字表記を遥かに超えた長さで、主に俺たちが死ぬ。一方、「非想非非想天」はネットを駆使してもなかなかサンスクリット語での表記に出会わないのでひょっとすると漢字文化圏に伝播されてからのオリジナル表記なのかもしれないが、もしもむりやり表記するならば、「नैवसंज्ञानासंज्ञादेवलोक」(naivasaṃjñānāsaṃjñādēvalōka)となる。
「ナイヴァサンジュニャーナーサンジュニャーデーヴァローカ」と読む。
余計長くなって死ぬ。
比那名居天子の二つ名「非想非非想天の娘」が有名。非想非非想天の娘は、アレンジ曲の曲名にもなっている。
なお見れば分かると思うが天子は別に煩悩を捨て去ったわけでも肉体を捨て去ったわけでもなく、幻想郷における天界は妖怪の山の上空に位置しており、空が飛べて妖怪や天人の妨害を退けるだけの力があれば、生身のままで自力で押し入る事が可能な場所となっている。
仏教用語としては上述の「非想非非想天」とほぼ同義。
語源であるサンスクリット語「Bhava-agra」(भवाग्र)の漢訳であり、直訳すると「有の世界の頂」と言う意味。
(なお、サンスクリットのアルファベット転写は一般的にハイフンを間に置かないので、正確には「Bhavāgra」ないし「bhavaagra」の方が適切である。)
なお「一番上」と言う概略から、知っての通り「絶頂を極め、我を忘れて調子をこく」と言うような俗語として使われている。
掲示板
10 ななしのよっしん
2014/04/16(水) 02:51:58 ID: zXelgXvGd6
レンタルマギカでこの言葉を覚えた
口に出すとなかなか楽しい
11 ななしのよっしん
2015/11/03(火) 10:36:58 ID: ucy507q7/Y
手塚治虫のブッダでは
ブラフマンを絶対的な超越者でありゴータマの精神世界の指導者にしたのがおかしいよなあ
あのブラフマン(梵天)はあくまで有頂天にいる存在で
六道輪廻から解脱できない衆生の一つなのに
その輪から解脱しようとしたゴータマをいつまでも引っ張る役割になってる
手塚ってひょっとしてブッダの解いた苦の連鎖からの解脱を否定したかったんだろうか
12 ななしのよっしん
2017/05/14(日) 23:31:41 ID: /TuVnq630c
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最終更新:2024/04/23(火) 20:00
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