須田幸太(すだ こうた、1986年7月31日-)とは、茨城県石岡市出身の元主砲プロ野球選手(投手)である。
OB | |
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須田幸太 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 茨城県石岡市 |
生年月日 | 1986年7月31日 |
身長 | 175cm |
体重 | 78kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2010年ドラフト1位 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
土浦湖北高校でエースとして3年春(2004年)のセンバツに出場したが1回戦で優勝校の済美高校に敗れた。
早稲田大学進学後は3年から主戦投手としてのちに同僚となる細山田武史、松本啓二朗らと共に活躍。
大学卒業後は社会人のJFE東日本に進み、2009年はHondaの補強選手として都市対抗野球に出場し抑えとして胴上げ投手となり、若獅子賞を受賞。翌年はエースとしてJFE東日本を都市対抗ベスト8に導いた。
2010年のドラフト会議で、大石達也のハズレ1位として横浜ベイスターズに指名され入団。即戦力として期待された。
2011年は開幕ローテーション入りは逃したが、4月22日の阪神タイガース戦で虫垂炎を起こした眞下貴之に代わる緊急先発として急遽登板し、6回2失点とまずまずの投球を見せた。
その後先発ローテーション入りし、6月6日の埼玉西武ライオンズ戦で6回1失点でプロ初勝利を挙げるが、援護を貰っても4回あたりで崩れるパターンが多く、統一球にも関わらず被本塁打16と飛翔癖も露呈。
8月17日の東京ヤクルトスワローズ戦、初回に8点の援護を貰いながら7失点で5回途中KOされた(試合は一時9-0から最終的に10-10の引き分けになり、この年のベイス★ボールを象徴する試合となった)のを最後に二軍落ちし、その後は一軍に上がることなくシーズンを終えた。最終的に成績は17試合で2勝6敗、防御率5.29。
一方、打撃では打率.222をマークし、この年20打席以上の投手で見事最高打率に輝く。野手顔負けの鋭いスイングに加え、チーム5位の7犠打と小技も上手く、ファンからは「野手転向しろ」との声もあった。
2012年は6月18日に一軍登録され、同日北海道日本ハムファイターズ戦に先発するが、中田翔に3ランを浴びるなど5回4失点と試合を作れず敗戦投手となる。
同月26日のヤクルト戦では4回途中5失点でまたも敗戦投手となり二軍降格。その後閉幕まで一軍登板は無く、0勝2敗、防御率8.68に終わった。
2013年は二軍で10試合、防御率1.61の好成績を残し6月下旬に一軍昇格。2試合リリーフで投げた後、7月4日のヤクルト戦に先発しプロ初完投・初完封を達成した。なおこの試合でも自らタイムリー内野安打を放った。
2014年はもっぱらロングリリーフ要員としての起用。終盤に一度だけ先発したが負け投手となった。
2015年は5月に先発ローテーション入りするが、不調に陥り二軍落ち。後半、投手陣が崩壊する中で8月1日に一軍昇格すると、以降は中継ぎとして24試合に登板(先発と合わせて29試合)。
初めはロングリリーフや敗戦処理などが多かったが、安定した投球を見せ、終盤では接戦での登板も多かった。9月5日の読売ジャイアンツ戦でセーブも挙げた。
こうした事情から打席に立つ機会は減った。
2016年は三上朋也・山崎康晃へと繋ぐセットアッパーとして起用される。62試合で5勝23ホールドを挙げ、クライマックスシリーズ進出に貢献。
9月に左太もも裏を痛め戦線離脱し、ポストシーズン出場が危ぶまれたがクライマックスシリーズで復帰(怪我は完治していなかった)し、1ホールドを挙げた。
2017年は前年の故障が響いたのか、不振に陥り23試合に留まった。
2018年も調子を取り戻せず、登板数は10試合に留まり、戦力外通告を受けた。
その後合同トライアウトに参加するも獲得する球団は現れなかった。
2019年夏の都市対抗野球では5試合に登板し4勝と大車輪の活躍を見せ、チームの初優勝に大きく貢献。決勝戦では7回2アウトの場面から登板し、最終回には三者連続三振で試合を締め、胴上げ投手にもなった。更に試合後の表彰で、最優秀選手に送られる橋戸賞を受賞した。ちなみにプロ野球経験選手の橋戸賞受賞は須田が初めて。
余談ではあるが、この大会では松本啓二朗が補強選手としてJFE東日本に加入しており、決勝戦の相手であるトヨタ自動車には細山田武史が出場していた。
2021年12月21日、自身のTwitter上で今年度限りでの現役引退を発表した。
2022年3月からはJFE物流で引き続き勤務しながら、休日には横浜商科大学硬式野球部の非常勤投手コーチとして後進の育成にあたっている。
投球スタイルは制球力を武器とし、最速150km/hの速球を投げ込み、スライダーやカーブ、カットボールやシンカーなども投げる。
先発時代は被本塁打を浴びることが多かったが、リリーフに転向後ストレートにキレが増して本塁打浴びることが減少した。
満塁の場面であっても逃げの投球はせず、あえてど真ん中に直球を投げ込み空振りを奪うなどピンチに動じないメンタルも持ち合わせていた。困ったときはど真ん中にストレートというスタイルは、伸び悩んでいるときにライオンズから移籍してきた長田秀一郎の投球を参考にし、直球を磨いたため。長田が退団した際には「僕の師匠は長田さんです。来年同じチームでプレーは出来ないけど、ずっと尊敬してます。」と選別のメッセージを送った。このスタイルは三嶋一輝や国吉佑樹に受け継がれている。
2ちゃんねるの野球板などではスッダレなる須田を主人公にしたネタスレが存在する。須田と六道聖(パワプロシリーズの登場人物である女性捕手)が和んでいるムードのところに、唐突な形でデニー友利(元DeNA投手コーチ)が乱入してくる。
「須田ァ!(バリバリバリントン)」「ああっ、○○かと思ったらデニーコーチだった!!」等のやり取りを経て須田が練習場へと引きずられていくという内容。デニーコーチは退団して中日のコーチとなったが平然と登場する。
野球板用語集の項も参照。
なお、本人もこのネタのことを知っている模様。
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011年 | 横浜 DeNA |
17 | 17 | 0 | 0 | 2 | 6 | 0 | 0 | .250 | 85.0 | 32 | 52 | 52 | 50 | 5.29 |
2012年 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 9.1 | 7 | 7 | 9 | 9 | 8.68 | |
2013年 | 14 | 12 | 1 | 1 | 6 | 3 | 0 | 0 | .667 | 63.1 | 36 | 35 | 34 | 34 | 4.83 | |
2014年 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 14.1 | 2 | 14 | 12 | 8 | 5.02 | |
2015年 | 29 | 5 | 0 | 0 | 3 | 2 | 1 | 3 | .600 | 56.0 | 23 | 42 | 26 | 24 | 3.86 | |
2016年 | 62 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 23 | .625 | 53.2 | 18 | 49 | 17 | 16 | 2.68 | |
2017年 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 9 | .000 | 16.2 | 9 | 14 | 15 | 15 | 8.10 | |
2018年 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | .--- | 10.2 | 3 | 4 | 9 | 9 | 7.59 | |
NPB:8年 | 166 | 37 | 1 | 1 | 16 | 19 | 1 | 37 | .457 | 309.0 | 130 | 217 | 174 | 165 | 4.81 |
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最終更新:2024/04/25(木) 12:00
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