風魔小太郎単語

フウマコタロウ

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風魔小太郎とは、関東地方一帯で活動した忍者魔一党の忍者である。なお正しくは「風間小太郎」と書く。

概要

江戸時代中期に書かれた軍記物「関八州古戦録」によれば、北条氏康に仕えた忍者・二曲輪助(二郭伊助元ネタ)の忍術の師。時代的には北条氏綱~氏康の時代の人物なのだろう。

記録に残る風魔小太郎の情報は以上である。「関八州古戦録」は史料としてはあまり信憑性のあるものではないため、著者である槇昭武が創作した人物であるという可性もあるだろう。少なくとも実在したと認めることは難しい人物である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さすがに味気ないので、もう少し補足情報を以下にまとめる。

風魔一類

」とは相州乱波(らっぱ)と呼ばれていた忍者である。これは北条氏政・氏直に仕えた三浦浄心という人物の著作「北条五代記」や「慶長見聞集」に登場するので、こちらはきちんと実在したものといえる。

乱波とは大名に召し抱えられた元盗賊のことで、盗賊としての才を認められて諜報活動に従事するようになった者たちのことである。乱波たちは討ち(放火、敵のを放ち暴走させる、敵将を生け捕りにする)などでも活躍し、ある武田氏との合戦では200人の乱波をそれぞれ50人づつ分けて破壊工作に当たらせている。この乱波には4人の頭領がおり、また山賊海賊強盗盗賊の4組に分けて運用されたという。
これら乱波や頭領たちの中でも特段悪名高かった人物が「」だったとされる。この「北条五代記」に登場する魔の外見は、身長七尺二寸(215cm)の筋々の体を持ち、頭が長く面に高い、そしてが逆さに裂け口に4本の牙が生えた顔をしていた、などと怪物のような貌をしていたといい、その異形は敵方までも知れ渡っていたとのことである。

そんな魔一類も戦乱の世が終わると居場所を失い、築かれ始めたばかりの江戸の町を盗賊として強盗や乱暴を働いて荒らし回るようになる。徳川家康は彼らの掃討に乗り出したものの、腐っても元忍者だけあってか中々成果を上げることができなかった。
しかしまた別の盗賊である高坂甚内が徳に協を申し出ると状況は一変。徳も全面的に甚内をバックアップして関東中を総洗いした結果、魔たち関東盗賊は根絶やしとなり、こうして魔一類も滅びた。

なお実際に当時の書状などの文献にも「風間」は登場し、「風間出羽守」という人物が実在したことも判っている。

これらの文献に「小太郎」の名はない。上記の魔の情報がすべて仮託された存在こそ、現在広く知れ渡っているキャラクター「風魔小太郎」なのである。

創作上の風魔小太郎

その恐ろしくも格好良い名前めいた存在から創作世界でも実際人気ある。

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最終更新:2024/03/29(金) 18:00

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