日南市飫肥地区の北側に位置する群郭式平山城で、宇佐八幡宮の神官の出である土持氏が南北朝時代に築城したもの。戦国時代には島津氏と伊東氏による熾烈な争奪戦がおよそ100年にわたって何度も繰り返さたが、伊東祐兵が豊臣秀吉の九州平定で一役買ったことから飫肥の地を島津氏から奪還。1600年に伊東氏が徳川家康から所領安堵を受けると、それ以降は1871年に廃藩置県が行われるまで、伊東氏は一貫して飫肥藩を統治。飫肥城はその中心として繁栄した。1662年以降の大地震で城は大きな被害を受けたが、藩は幕府の許可を受けて城の改修に着手、石垣を取り入れた近世城郭として生まれ変わった。
明治維新後ほどんどの建物は破却されたが、近年では1978年に大手門が復元されたほか、城内には御殿を模した歴史資料館が開設されている。また、本丸跡には日南市立飫肥小学校が建っている。
城下町は1977年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。武家屋敷跡、藩校の振徳堂、小村寿太郎生家などが残っており、"九州の小京都"として観光客の人気が高い。ご当地グルメとしてはイワシや味などのすり身に豆腐を混ぜ、味噌や黒砂糖で味付けした「飫肥天」が有名。
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2025/02/13(木) 00:00
最終更新:2025/02/12(水) 23:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。