高取城とは奈良県高市郡高取町にかつて存在した城郭である。日本100名城のひとつであり日本三大山城のひとつでもある。
南北朝時代に南朝方についた越智邦澄によって1332年(元弘2年)に築かれた城である。安土桃山時代には織田信長の命により廃城となったこともあるが、本能寺の変ののち大和を支配していた筒井順慶が再建し、その後豊臣秀長により本多利久が城主に任じられさらなる改修が行われた。江戸時代には本多氏が廃絶したのち1873年(明治6年)に廃城となるまで上村氏が代々城主を務めた。
高取山の山頂に築かれた城であり、山城としては国内有数の規模を誇る広大な城である。かつては「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」とうたわれる美しい天守があったとされており、多数の櫓・石垣に加え山城には珍しい小天守や水堀もあったきわめて堅牢な城だったという。現在は天守や櫓は残っていないものの、石垣はかなりの部分が残されており、その迫力は訪問者を圧倒するものである。
戦国時代に本願寺の一揆衆が大和に押し寄せた際には越智氏が高取城に籠城し一揆衆を食い止めている。
また、家康の会津征伐で城主不在となった際に石田三成率いる西軍から攻められたこともあったが家臣団が撃退に成功している。
幕末には尊攘派の天誅組により高取城の奪取が試みられたが、高取藩が事前に情報を察知していたこともあり城下で撃退されている。
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2025/02/13(木) 00:00
最終更新:2025/02/12(水) 23:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。