高木豊 単語

22件

タカギユタカ

2.7千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

高木豊(たかぎ ゆたか1958年10月22日-)とは、山口県出身の元プロ野球選手二塁手)である。現役時代は横浜ベイスターズ日本ハムファイターズに所属。

概要

多々良学園高校中央大学を経て、1980年ドラフト3位で横浜大洋ホエールズ名され入団。同期入団に市川和正がいた。

横浜時代

1981年(1年)は控え選手だったが4月から一軍で起用され、外国人選手が外れてサード田代富雄ファーストに回る機会が増えた後半戦からはサードでスタメン出場する機会も増えた。

関根潤三監督が交代した2年1982年基満男の控えとしてセカンドを守っていたが、後半戦に突如外野手コンバートされて先発出場を続けた。

1983年は開幕スタメンこそ基に譲ったものの、2戦セカンド先発出場してからはそのままスタメンに定着した。前半戦は2番打者、後半戦は1番打者としてチームを引っり、自身初の3割にしてリーグ6位となる.314の高打率記録した。盗塁も27記録している。また、初のダイヤモンドグラブ賞現在ゴールデングラブ賞)にもセカンドで選出された。

1984年は開幕戦こそショートで出場したが、2戦からはセカンドに戻った。打率はやや下げた(.300ジャスト)ものの、56盗塁記録し初の盗塁王いた。高木を育てた関根監督はこの年、チーム不振の責任を取る形で辞任した。

近藤貞雄監督に就任した1985年ショート山下大輝とのポジションの入れ替えが行われ、また加藤博一屋鋪要と共にスポーツカートリオスーパーカートリオ)の一員となった。タイトル奪取はならなかったものの3年連続の3割にしてリーグ6位となる.318の高打率記録し、盗塁も42記録した。また、初のベストナインにもショートで選出された。

1986年は後半戦に加藤博一が故障し、スーパーカートリオが崩壊した。4年連続の3割にしてリーグ6位となる.310の高打率記録したものの盗塁は24に減した。

1987年からは古葉竹識監督に就任し、セカンドに戻された。打率3割は途切れ、チーム成績同様個人記録も冴えなかった。

1988年は2年ぶりの3割にしてリーグ5位となる打率.300記録したものの、やや欠場が多い年となった。

1989年ボロボロチーム状態と呼応するように成績も低迷し、レギュラー定着後最低となる低打率に終わった。

1990年からは入団当時の二軍監督であった須藤豊監督に就任した。この年もやや欠場が多かったものの、チームメイトパチョレックに次ぐリーグ2位の高打率.323記録した。2回にしてセカンドとしては初となるベストナインにも選出された。

1991年は全試合に出場し、リーグ3位の高打率.333記録。2年連続3回ベストナインにも選出された。

1992年シーズン途中で須藤が辞任するなどドタバタはあったものの、2年連続で全試合に出場し、リーグ10位となる打率.300記録した。ただ、大事な場面で打たずどうでもいい場面での固め打ちが立ったのも事実で、フロントの評価は低く年俸調停を申請する事態となった。

近藤昭仁監督に就任した1993年、守備範囲が狭くなったことを理由にサードコンバートされた。しかし弱肩でエラーを連発し、5戦からファーストコンバートされた。レギュラーの座こそ守り続けて全試合に出場したものの成績は低迷し、この年のオフに屋山崎賢一市川和正大門和彦と共に自由契約を通告された。当時は球団に対して否定的な意見が立ったが、あの解雇チームが強くなるためには必要だったと評価する意見も現在では増えている。

日本ハム時代

その後「分」こと大沢啓二監督に拾われ日本ハムファイターズに移籍するものの、出場機会に恵まれないまま1994年に現役を引退した。

通算成績は実働14年で1628試合、1716安打打率.297、88本塁打、545打点321盗塁。通算8回の打率3割は球団新記録であった。二塁守備でも名手として知られ、1987年には二塁手として守備率プロ野球記録となる.997を達成している(ところがこの年ゴールデングラブ賞に選ばれず、物議を醸した)。

引退後

一時芸能人に転向したが、その後野球解説者になる。
2001年には横浜内野守備走塁コーチに就任したが、「機密情報を漏らした」として1年で退団に追い込まれている。その後アテネ五輪野球日本代表内野守備走塁コーチを務め、2012年からは横浜DeNAベイスターズヘッドコーチに就任。中畑清監督とはアテネ五輪以来のコンビとなった。チームの最下位の責任を取る形で2013年からはチーフ兼打撃コーチに配置転換となり、その年のオフに退任した。

2018年からはYiouTubeチャンネルを開設し、元プロ野球選手史上初のYouTuberとなった。

人物

3人の息子全員サッカー選手で、「高木兄弟」と呼ばれ、長男高木俊幸(浦和レッズに所属)と次男の高木善朗(清水エスパルスに所属)はプロとして活躍している。そのため「サッカー通の野球解説者」とも呼ばれ、レギュラー出演していたフジテレビの「すぽると!」では本職の野球のほかにサッカー解説を担当することもあった。

成績

通算打撃成績

通算:14年 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1628 6711 5782 877 1716 316 40 88 545 321 99 44 747 39 816 79 .297 .378

タイトル・表彰・その他

タイトル
最多盗塁 1回 1984年
ダイヤモンドグラブ賞 1回 1983年
オールスターゲームMVP 1回 1985年
ベストナイン 3回 1985年1990年1991年
その他
オールスターゲーム出場 8回 1983年-1986年1988年1990年-1992年

関連動画

関連商品

関連コミュニティ

関連項目

外部リンク

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
ニコニ広告[単語]

提供: 推して参る

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/18(木) 09:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/18(木) 09:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP