高村祐 単語

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高村祐(たかむら ひろし)とは、元プロ野球選手である。

概要

1969年9月2日生まれ。 栃木県宇都宮市出身。

県立宇都宮高等学校に進学。2年春の甲子園大会では準優勝を果たしている。

卒業後、法政大学に進学。同期には諸積兼司が、3学年後輩稲葉篤紀らがいた。3年リーグ戦では最優秀防御率を受賞する活躍を見せたが、4年時に成績を落とし、立った成績は残せなかった。

1991年近鉄バファローズからドラフト1位名を受け入団。

初年度の1992年野茂英雄阿波野秀幸ら層の厚かった投手の中で結果を残し、先発ローテーションの一を任された。高村は期待に応え、シーズン通してローテーションを守り、13勝9敗、防御率3.15、153奪三振と見事な成績を残し、新人王を受賞した。

1993年はいわゆる2年目のジンクスに陥ったか、5勝11敗と大きく負け越したが、1994年は9勝10敗と持ち直した。

1995年、故障ので苦しみ10試合の登板にとどまったものの、5勝4敗、防御率1.91、3投と出場した試合では安定した内容だった。

エース野茂英雄メジャー挑戦のため退団した1996年、初の開幕投手を任されると、開幕から完封勝利を含む4連勝と好調でオールスターゲームにも初出場。ただ、勝ちには恵まれず、7勝8敗、防御率3.94の成績を残した。

1997年、2年連続で開幕投手を任され、8勝9敗、防御率4.76。

1998年、3年連続で開幕投手を任されたが不安定な投球が続き、8勝14敗でパ・リーグ最多敗戦と大きく負け越してしまった。

以降は故障のもあり低迷したが、2002年には9勝10敗と復調。

2003年には大塚晶文の移籍により手薄になったリリーフ投手シーズン途中から任され、6勝4敗9セーブの成績をを残した。

2004年シーズンオフ近鉄球団が消滅し、分配ドラフトを経て東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。ただ、楽天では場の西武ライオンズ戦で初登板となったものの、2回を投げ9失点と打ち込まれノックアウト。結局一軍ではこの1試合のみの登板となり、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。

その後、12球団合同トライアウトに参加し、中日ドラゴンズ横浜ベイスターズの入団テストを受けたが不合格となり、現役引退

引退後は楽天投手コーチを務めた後、2016年から福岡ソフトバンクホークスコーチを務めている

人物・エピソード

150km/hの速球を武器に強気なピッチングで近鉄先発を支えた右腕。速球だけでなく、スライダーシュートスプリットなど豊富な変化球も持ち味であった。

一方でやや安定感に欠け、防御率もキャリアどの年で4点台であった。

通算成績

投手成績

通算:14年 登板 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 287 32 10 83 102 9 --- .449 1476.2 614 1094 770 707 4.31

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