福岡ソフトバンクホークス #98 二軍投手コーチ |
|
---|---|
高村祐 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 栃木県宇都宮市 |
生年月日 | 1969年9月2日 |
身長 体重 |
177cm 82kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1991年 ドラフト1位 |
引退 | 2005年 |
経歴 | |
コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
県立宇都宮南高等学校に進学。2年春の甲子園大会では準優勝を果たしている。
卒業後、法政大学に進学。同期には諸積兼司が、3学年後輩に稲葉篤紀らがいた。3年春のリーグ戦では最優秀防御率を受賞する活躍を見せたが、4年時に成績を落とし、目立った成績は残せなかった。
1991年、近鉄バファローズからドラフト1位で指名を受け入団。
初年度の1992年、野茂英雄や阿波野秀幸ら層の厚かった投手陣の中で結果を残し、先発ローテーションの一角を任された。高村は期待に応え、シーズン通してローテーションを守り、13勝9敗、防御率3.15、153奪三振と見事な成績を残し、新人王を受賞した。
翌1993年はいわゆる2年目のジンクスに陥ったか、5勝11敗と大きく負け越したが、1994年は9勝10敗と持ち直した。
1995年、故障の影響で苦しみ10試合の登板にとどまったものの、5勝4敗、防御率1.91、3完投と出場した試合では安定した内容だった。
エースの野茂英雄がメジャー挑戦のため退団した1996年、初の開幕投手を任されると、開幕から完封勝利を含む4連勝と好調でオールスターゲームにも初出場。ただ、勝ち星には恵まれず、7勝8敗、防御率3.94の成績を残した。
1997年、2年連続で開幕投手を任され、8勝9敗、防御率4.76。
1998年、3年連続で開幕投手を任されたが不安定な投球が続き、8勝14敗でパ・リーグ最多敗戦と大きく負け越してしまった。
以降は故障の影響もあり低迷したが、2002年には9勝10敗と復調。
2003年には大塚晶文の移籍により手薄になったリリーフ投手をシーズン途中から任され、6勝4敗9セーブの成績をを残した。
2004年シーズンオフに近鉄球団が消滅し、分配ドラフトを経て東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。ただ、楽天では夏場の西武ライオンズ戦で初登板となったものの、2回を投げ9失点と打ち込まれノックアウト。結局一軍ではこの1試合のみの登板となり、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。
その後、12球団合同トライアウトに参加し、中日ドラゴンズや横浜ベイスターズの入団テストを受けたが不合格となり、現役引退
引退後は楽天で投手コーチを務めた後、2016年から福岡ソフトバンクホークスのコーチを務めている。
150km/hの速球を武器に強気なピッチングで近鉄の先発を支えた右腕。速球だけでなく、スライダーやシュート、スプリットなど豊富な変化球も持ち味であった。
一方でやや安定感に欠け、防御率もキャリアの殆どの年で4点台であった。
通算:14年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 287 | 32 | 10 | 83 | 102 | 9 | --- | .449 | 1476.2 | 614 | 1094 | 770 | 707 | 4.31 |
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/20(土) 04:00
最終更新:2024/04/20(土) 04:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。