高梨将弘とは、DDTプロレスリング所属の日本のプロレスラーであり、自称『汁レスラー』である。ニックネームは『ちゃんぴろん』など。本名同じ。
2002年に闘龍門(現DRAGONGATE)の第9期生として入門し、練習生としてプエルトリコ遠征に参加するものの、デビュー前に退団。このときの同期には現NOAHの石森太二、バラモン・シュウ、バラモン・ケイらが居る。
2003年6月にDDTプロレスリングに入団し、同年9月に本名でデビュー。2005年1月にはリングネームをマサ高梨に改めるものの、その後リングネームやギミックはその時々の会社の状況などに応じてコロコロ変わることとなる。
2006年には諸橋晴也とのタッグで初KO-Dタッグ王者、2008年にはDDTエクストリーム級王者に輝く。更には男色ディーノと共に世界中のプロレスのベルトの0.1%を独占することを目的としたユニット「ベルトハンター×ハンター」を結成し、このユニットは佐藤光留、ヨシヒコ、矢郷良明、石井慧介らを巻き込みDDT内の一大勢力となった。
そして2010年には次期KO-D無差別級王者挑戦者決定戦バトルロイヤルに優勝し、関本大介の持つKO-D無差別級のベルトに初挑戦。敗れはしたものの25分を超える激闘は人々の感動を呼び、誰もが高梨の明るい未来を予感したはずだった。が、好事魔多し。その試合の翌月の練習中に右膝前十字靭帯断裂、内側靭帯損傷、膝関節亜脱臼という重傷を負い、長期欠場に追い込まれてしまった。
その後1年以上の長いリハビリを経て、翌年6月に復帰。同年11月には選抜じゃんけん大会で優勝してKUDOの持つKO-D無差別級王者に再び挑戦するものの、またも25分を越える激闘に末に敗れた。
翌2012年3月にはKO-D無差別級王者男色ディーノの指名を受け、高木三四郎社長とのKO-D無差別級王者挑戦者決定戦に出場するが、敗れる。これで彼のKO-D無差別級王者への路は絶たれたかに思われた。が、その男色ディーノ対高木三四郎の防衛戦が行われる興行内で、「KO-D無差別級王者へのいつでもどこでも挑戦権」をDJニラと共に獲得すると、その興行のメインイベントで高木三四郎が男色ディーノからKO-D無差別級王者を奪った瞬間に挑戦権を行使。相手は直前に敗れているとは言え、20分近くタイトルマッチを戦った相手だけあって、わずか2分で勝利し初のKO-D無差別級王者に輝いた。
その後、翌月にK-DOJOの火野裕士にKO-D無差別級王者のベルトは奪われたものの、江戸川区で自主興行を開催したり、DDT以外にも元アイスリボンのさくらえみが興した我闘雲舞に定期参戦するなど精力的な活動を続けている。
その後はファミリア・酒呑童子の各ユニットでスポークスマン的な立場でユニット抗争の前面に立つ。2016年1月にはタッグマッチとはいえHARASHIMAから完璧な3カウントを奪ったことが鶴見亜門GMに評価され、勝った方が両国国技館で行われるDDT19周年記念興行のメインイベントにKO-D無差別級王者として立つという状況で時の王者木髙イサミに挑むものの敗れる。
7月にはリングネームをマサ高梨から本名の高梨将弘に戻した。
2018年10月30日、DDTドラマティック総選挙でユニット部門を酒呑童子として1位、個人部門で1位を獲得し2冠を達成した。そして11月25日にKO-D無差別級王座への挑戦が決定。王者が佐々木大輔というのも何かの縁だろうか。
ここでは3人以上で構成される、DDTプロレスリング内ユニット並びにSTYLE-E時代のユニットについて記す。
そんなに体のバネはないのを自覚しているため、軽量級でありながらも派手な飛び技は使わない。しかし、あちこちのリングで身につけたグラウンドレスリングの技術には定評がある。
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最終更新:2025/12/08(月) 01:00
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