文政11年(1814年)、水戸藩士・高橋諸住の長男として生まれる。諱は愛諸(ちかゆき)。
藤田東湖に学び、尊王攘夷論の影響を受ける。藤田から「常に人事をもって天を征せむとする。恐らくは畳の上にて死するを得ざらむ」と評された。水戸藩主・徳川斉昭の信認も厚く、天保12年(1841年)には奥右筆に抜擢された。
天保15年(1844年)、斉昭が幕府の嫌疑を受け隠居に追い込まれると反対運動を起こしたが、嘉永元年(1848年)、藩内保守派によって蟄居の身となる。
嘉永2年(1849年)、斉昭の復帰と共に高橋も赦され、安政2年1855年)に北郡奉行、次いで奥右筆頭取を歴任した。
安政5年(1858年)、大老・井伊直弼によって斉昭が永蟄居に追い込まれると激しく反発し、戊午の密勅の返納にも反対。再び蟄居となるが、同志の金子孫二郎や関鉄之介らと井伊暗殺計画を謀り、安政7年(1860年)2月に脱藩。自身は薩摩藩の攘夷派と合流して挙兵するため実子の高橋庄左衛門と大阪に向かった。
暗殺成功の知らせを受けた後大阪生玉に潜伏していたところを捕方に包囲され、四天王寺で庄左衛門と共に自刃。享年47。贈正四位。
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最終更新:2024/04/19(金) 21:00
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