魯粛 単語

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孫権「私がを手に下して出迎えたならば、方の功績を十分した事になるかな?」

魯粛「不十分です! あなたが下を統一して帝王となり、御の中から迎え入れてくれて、初めて私は十分にされた事になるのです」

魯粛とは、三国志に登場する人物である。

概要

生年172217。字は子敬。

史実7割虚構3割と言われる三国志演義では、史実と異なる設定や人物像になっている者は少なくないが、その中でも端的な例と言われているのが魯粛である。

孫権に仕えるまで

徐州の族の出身だったが、若い頃からかなり奇特な人物だと思われていたようだ。
若い頃から業を営もうとせず、財産をなげうって困っている人を助けたり、私兵を集めたりしていた。
またある日、周瑜とその兵が食料が足りないから恵んで欲しいと言いに来た事があった。
そして魯には蔵二つ分のがあったが、魯粛は片方の蔵をさしてそっくり与えてしまったという。

そんなわけで周瑜と魯粛はを深めた。
だが魯粛の望は高かったらしく、曹操(の配下の劉曄)からも士官の誘いが来ていたようだ。
魯粛も曹操に仕えようかなと思った事もあったようだが、周瑜からの熱心な誘いもあって、結局孫権に仕えるを選んだ。(その辺は裏にいろんな人間関係や思想が絡んでいたようだが割愛。)

覇業を語る

孫権々の今後の方針はどうすればいいかな?」
魯粛「帝王を名乗って下を攻略すること。その前に準備として荊州をとって…」
張昭「・・・は?」

さて士官したところ孫権はすぐさま会って語り合ったという。
孫権がこれからウチのの方針について聞いてみると、魯粛は語った。
要約すると、

  • 室(朝廷)を復することはもう不可能
  • 曹操を除去することも即座には
  • 西に進撃し、荊州(正確には南まで)を手に入れる
  • すなわち長江以南をすべて抑える。すると長江という名の巨大なで長期戦に持ち込むことができるようになる。
  • そして帝王名乗り下を攻略する!

それを聞いたの重鎮・張昭は、ナニイッテンダコイツという態度で、「こいつは若くて忽だから任用するに早いですよ」と言った。

それも当然というか、当時の孫呉は、孫策が死んだ直後で反乱起きまくり、荊州攻めどころか自分のすらいっぱいいっぱいという状態だった。
そもそも漢王朝は一応健在なのにになれって…おい

だが孫権は、すぐ魯粛に賛成はしなかったものの、ますます彼を尊重したという。

遠い荊州

さて荊州の南(江陵)。それを曹操袁紹を倒している隙に手に入ることが計画の第一歩だったのだが、ここで誤算が発生した。

荊州への門番的存在であった武将・黄祖が強すぎたのである。(もしくは孫権が弱すぎた。)
さんざん苦戦し、漸く黄祖を倒したころ(208年)にはとっくに曹操は河北を制圧していた。(207年)
致命的な出遅れであり、曹操が来る前に荊州を得ることは絶望的になってきた。

だが魯粛は諦めない。幸か不幸かこのタイミングで荊州牧の劉表が死去したのだ。
ここで魯粛は劉備と協力するという策を思いつく。
劉備を中心に荊州内の反曹操勢力をまとめ、こちらの味方とすれば、まだなんとかなるはず!
そう孫権に進言し、劉備に会いに荊州へと向かった。

だが、ここで第二の誤算が発生。
劉表の子琮がくも曹操に降してしまい、劉備は追われて逃げてくるところだった。当然曹操軍も堂々の荊州入り。致命的な出遅れその2…

こうして曹操が来る前に南をとる計画は全に崩壊…
しかしまだ魯粛は諦めなかった。

南郡をとりかえせ

の諸将たちは曹操に降るべきだと進言し、抗戦周瑜と魯粛(あと魯粛が連れてきた諸葛亮)のみであったという。

だが、孫権は抗戦を選んだ。
魯粛の演説が見事だったのか、軍事トップ周瑜の意見が大きかったか、それとも孫権はどうしても皇帝になりたかったのか(もしくは孔明の仕業か)いわゆる赤壁の戦いが勃発した。
結果は皆さんご存知のように勝利曹操を敗走させることに成功。

孫権はあの時降しなくてよかったと魯粛に感謝した。魯粛が帰すると
孫権は諸将を総動員して魯粛を出迎え、自ら彼に敬礼した。
そして魯粛に言った言葉と、その返事が冒頭のやりとりである。
聞いた孫権は、手をいて愉快げに笑ったとのこと。

だが気を抜くわけにはいかない。魯粛の計画においては南をとる事こそが的であり、は前戦に過ぎない。

(江陵)は曹仁徐晃といったの名将がおり当然堅く守っていたが、戦闘期間1年と多大な兵(+周瑜寿命おそらく20年分)を費やして、ついに孫呉は南を手に入れたのであった。

南郡を貸し出す

孫 ねんがんの南をついに手にいれたぞ
 貸してくれ!たのむ!

劉備が荊州を都督したいと言い出した。
「南々が苦労して手に入れた土地でありの要だ!簡単に渡せるか!」諸将は反対したが、
魯粛だけは逆の事を言った。「彼に貸してやって、共同して曹に対抗しましょう」

なぜ貸したかについては諸説あるが、本気で南を争い合えば、が損をする可性が大だからだろうか?
地元の支持は劉備有利だし、曹操乱入してくる恐れもある。
孫呉の所有物」、という認識があるうちに貸しという形にしておくべきという判断だろうか。

なおここで周瑜はまた別の提案をしてきた。
どんな案だったかは長くなるので割愛するが、周瑜の病が重くなったこともあり、やはり魯粛の方針で進めることになった。その後周瑜は魯粛に後任を託しこの世を去る。(210年あたり)

そこからしばらく、劉備は益州攻略孫権は合肥攻めなどなどしていたが…

215年、荊州領土問題が勃発する。

劉備が益州を定したとき、孫権は領土返還をめたが、劉備は承諾しなかった。
孫権は軍(呂蒙)を派遣し長沙・陽・陵を占領。対して関羽はもちろん軍を出し、劉備も益州から駆けつけ、深刻な軍地緊が走った。

しかし曹操中に軍を向けてきたこともあって、劉備期解決を望み、江夏、長沙、陽を孫権が領有することで合意した。

この時魯粛は、兵1万を率いて関羽軍を防ぐ役を担い、赴会と呼ばれる対話を行った。どんな会話だったのかは長くなるので割愛するが、簡単に言うと魯粛が関羽をかっこよく論破したというエピソードである。
あまりにカッコイイので、これによって領土問題が解決したかのような印を受けるほどである。
まあ本気で説得で解決を計るなら、関羽じゃなくて劉備に言わないと意味ないが。

またそもそも魯粛が、返還条件や期限を決めずに土地を貸したのが、もめ事の原因なような気もするがそれはここでは考察しないことにする。

死去

217年 魯粛は死去する。享年46 おそらく病死。 世とはいえないが…
孫権は哀悼をげ、またしく彼の亡骸に対面した。諸葛亮もやはり彼のために哀悼をげた。

12年後、孫権位につく。魯粛がもし生きていれば58歳だった。
孫権は言った。「むかし魯子敬はいつもここへと導いてくれていた。時勢に明らかであったと言えるだろうな。」

魯粛の人となりは謹厳で着飾ることは少なく、私にわたって倹約に努め、低俗な趣味には手を染めなかった。軍勢を統率してもよくまとまり、禁は必ず施行され、中にあっても巻物を手放すことはなかった。また談論が得意で文章が巧く、思慮は遠大で人一倍の聡明さを持っていた。周瑜以後の世代では魯粛が随一の人物であった
呉書には書かれている。

お人好しな魯粛?

演義ではお人好しだが正史では違う…そうよく言われているが、
正史でも、周瑜に蔵一つ分のをあげてしまったり、財産をなげうって困っている人を助けたり、(他の諸将の反対を押して)滅亡寸前の劉備との同盟をめようとしたり土地を貸そうと言い出したりなどの記述がある。

もちろん実際は単なる切だけでしていたわけではないだろう。
しかしキャラ付けの”元ネタ”となるエピソード正史にもたくさんあるのである。

創作品における魯粛 &関連動画

三国志演義

大体の動向は正史と同じ。孫権周瑜に次ぐ孫呉ナンバー3のような立場で登場し、かなり出番は多い。

しかし周瑜と同じく、孔明の引き立てとしての役柄が多い。
周瑜と違って自ら謀略を巡らす場面も少ないため、劉備孔明に騙され続ける無能なお人好し外交官というイメージが広まった。
出番すらい他の将たちにべるとどちらがマシだろうか…

また「関を守るに子敬あり、江を守るにあり」という言葉があり、砦の防衛に優れるという設定があるらしい。

吉川三国志・横山光輝三国志

「君の性質は、全然、外交官としてはゼロだ。ただ篤実な長者でしかない」
 馬鹿といわないばかりに腹を立て云った。

この名セリフ吉川英治氏の三国志が初出。演義の周瑜はそこまでは言っていないが。

また横山三国志では、官渡の戦いカットされているが、正確には孫策が死んで孫権が継いだとこで切れている。
実はその次が魯粛の初登場シーンで、魯粛の人物と覇業の語りが入るはずだったのだが…

長坂坡の戦い後の荊州への外交シーンが初登場となった。

漫画『SWEET三国志』

 お魚んにされました。後述の「三国志大戦」でもまさかのカード化。もうびっくりこきまくりですわ~

何故、おなのかというと『魯』の漢字をよく見ればお判りいただけるだろう。

コーエー『三国志』シリーズ

当然ながら、政治知力が高めに設定されている。作品によっては統率力さえも90の大台に達することがある。近年では「三国志11」の舌戦チュートリアルでは教え子サイド?で解説逆ギレなんて現代用語も喋っちゃう。

 

セガ『三国志大戦』

三国志大戦1』で初登場。史実の同盟にならった「同盟締結」という計略を持つ。

その効果は「減っている最大士気を回復させる」というもの。三国志大戦カードごとに勢力が決まっており2勢力以上でデッキを組むと使える最大士気が下がってしまうというデメリットがある。しかしこの「同盟締結」を使えば単勢力のように軍が団結し大計略を連発できるようになるのである。

三国志大戦2』では片山まさゆき画のLEお魯粛、また横山光輝版の魯粛がそれぞれ同性カード化された。

三国志大戦3』では、さらに3枚の魯粛が追加された。UCの「突撃兵召喚」持ちと軍師カード版、さらに大勢力の同盟をなし得た共通点からか、坂本龍馬モデルとした「人地共鳴」という全体強化を持った魯粛が用意されている。

突撃兵召喚は、召喚した突撃兵が前に進むというもの。開幕デッキや苦楽デッキの壊れとマークされ、3.1以降下方修正を食らい今このカードを見る機会は少ない。移植されたDS版『三国志大戦』では突撃兵の武力が高いので一人プレイでは結構重宝される。Wi-Fi対戦では嫌われているカードの一枚。

軍師カードスターターカードに入っており、使える義は再起と知勇兼の2つで、共に初心者に扱いやすい。使用時に叫ぶ『義』が『うに』に聴こえる為、うに軍師と呼ばれることも。

 

三國無双

真・三國無双7から正式参戦。CV:楠大典
昔は空気だった(呂蒙の師が周瑜)が、晴れて正式PC化した 武器鍬。ではなく、九鈀、地形によって技の演出やら効果が変わる。中の人効果もあってか、頼れるおっさんと言った感じであり、孫呉ストーリーifでは重要な役割を担っている。

 

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