孫権「私が鞍を手に下馬して出迎えたならば、貴方の功績を十分彰した事になるかな?」
魯粛「不十分です! あなたが天下を統一して帝王となり、御車の中から迎え入れてくれて、初めて私は十分に彰された事になるのです」
魯粛とは、三国志に登場する人物である。
史実7割虚構3割と言われる三国志演義では、史実と異なる設定や人物像になっている者は少なくないが、その中でも端的な例と言われているのが魯粛である。
徐州の豪族の出身だったが、若い頃からかなり奇特な人物だと思われていたようだ。
若い頃から家業を営もうとせず、財産をなげうって困っている人を助けたり、私兵を集めたりしていた。
またある日、周瑜とその兵が食料が足りないから恵んで欲しいと言いに来た事があった。
そして魯家には蔵二つ分の米があったが、魯粛は片方の蔵を指さしてそっくり与えてしまったという。
そんなわけで周瑜と魯粛は親睦を深めた。
だが魯粛の声望は高かったらしく、曹操(の配下の劉曄)からも士官の誘いが来ていたようだ。
魯粛も曹操に仕えようかなと思った事もあったようだが、周瑜からの熱心な誘いもあって、結局孫権に仕える道を選んだ。(その辺は裏にいろんな人間関係や思想が絡んでいたようだが割愛。)
孫権「我々の今後の方針はどうすればいいかな?」
魯粛「帝王を名乗って天下を攻略すること。その前に準備として荊州をとって…」
張昭「・・・は?」
さて士官したところ孫権はすぐさま会って語り合ったという。
孫権がこれからウチの国の方針について聞いてみると、魯粛は語った。
要約すると、
それを聞いた国の重鎮・張昭は、ナニイッテンダコイツという態度で、「こいつは若くて粗忽だから任用するには早いですよ」と言った。
それも当然というか、当時の孫呉は、孫策が死んだ直後で反乱起きまくり、荊州攻めどころか自分の国すらいっぱいいっぱいという状態だった。
そもそも漢王朝は一応健在なのに帝になれって…おい
だが孫権は、すぐ魯粛に賛成はしなかったものの、ますます彼を尊重したという。
さて荊州の南郡(江陵)。それを曹操が袁紹を倒している隙に手に入ることが計画の第一歩だったのだが、ここで誤算が発生した。
荊州への門番的存在であった武将・黄祖が強すぎたのである。(もしくは孫権が弱すぎた。)
さんざん苦戦し、漸く黄祖を倒したころ(208年)にはとっくに曹操は河北を制圧していた。(207年)
致命的な出遅れであり、曹操が来る前に荊州を得ることは絶望的になってきた。
だが魯粛は諦めない。幸か不幸かこのタイミングで荊州牧の劉表が死去したのだ。
ここで魯粛は劉備と協力するという策を思いつく。
劉備を中心に荊州内の反曹操勢力をまとめ、こちらの味方とすれば、まだなんとかなるはず!
そう孫権に進言し、劉備に会いに荊州へと向かった。
だが、ここで第二の誤算が発生。
劉表の子劉琮が早くも曹操に降伏してしまい、劉備は追われて逃げてくるところだった。当然曹操軍も堂々の荊州入り。致命的な出遅れその2…
こうして曹操が来る前に南郡をとる計画は完全に崩壊…
しかしまだ魯粛は諦めなかった。
呉の諸将たちは曹操に降るべきだと進言し、抗戦派は周瑜と魯粛(あと魯粛が連れてきた諸葛亮)のみであったという。
だが、孫権は抗戦を選んだ。
魯粛の演説が見事だったのか、軍事トップの周瑜の意見が大きかったか、それとも孫権はどうしても皇帝になりたかったのか(もしくは孔明の仕業か)いわゆる赤壁の戦いが勃発した。
結果は皆さんご存知のように呉の勝利、曹操を敗走させることに成功。
孫権はあの時降伏しなくてよかったと魯粛に感謝した。魯粛が帰国すると
孫権は諸将を総動員して魯粛を出迎え、自ら彼に敬礼した。
そして魯粛に言った言葉と、その返事が冒頭のやりとりである。
聞いた孫権は、手を叩いて愉快げに笑ったとのこと。
だが気を抜くわけにはいかない。魯粛の計画においては南郡をとる事こそが真の目的であり、赤壁は前哨戦に過ぎない。
南郡(江陵城)は曹仁・徐晃といった魏の名将がおり当然堅く守っていたが、戦闘期間1年と多大な兵(+周瑜の寿命おそらく20年分)を費やして、ついに孫呉は南郡を手に入れたのであった。
劉備が荊州を都督したいと言い出した。
「南郡は我々が苦労して手に入れた土地であり呉の要だ!簡単に渡せるか!」諸将は反対したが、
魯粛だけは逆の事を言った。「彼に貸してやって、共同して曹公に対抗しましょう」
なぜ貸したかについては諸説あるが、本気で南郡を争い合えば、呉が損をする可能性が大だからだろうか?
地元の支持は劉備有利だし、曹操が乱入してくる恐れもある。
「孫呉の所有物」、という認識があるうちに貸しという形にしておくべきという判断だろうか。
なおここで周瑜はまた別の提案をしてきた。
どんな案だったかは長くなるので割愛するが、周瑜の病が重くなったこともあり、やはり魯粛の方針で進めることになった。その後周瑜は魯粛に後任を託しこの世を去る。(210年あたり)
そこからしばらく、劉備は益州攻略、孫権は合肥攻めなどなどしていたが…
劉備が益州を平定したとき、孫権は領土返還を求めたが、劉備は承諾しなかった。
孫権は軍(呂蒙)を派遣し長沙・桂陽・零陵を占領。対して関羽はもちろん軍を出し、劉備も益州から駆けつけ、深刻な軍地緊張が走った。
しかし曹操が漢中に軍を向けてきたこともあって、劉備は早期解決を望み、江夏、長沙、桂陽を孫権が領有することで合意した。
この時魯粛は、兵1万を率いて関羽軍を防ぐ役目を担い、単刀赴会と呼ばれる対話を行った。どんな会話だったのかは長くなるので割愛するが、簡単に言うと魯粛が関羽をかっこよく論破したというエピソードである。
あまりにカッコイイので、これによって領土問題が解決したかのような印象を受けるほどである。
まあ本気で説得で解決を計るなら、関羽じゃなくて劉備に言わないと意味ないが。
またそもそも魯粛が、返還条件や期限を決めずに土地を貸したのが、もめ事の原因なような気もするがそれはここでは考察しないことにする。
217年 魯粛は死去する。享年46 おそらく病死。 早世とはいえないが…
孫権は哀悼を捧げ、また親しく彼の亡骸に対面した。諸葛亮もやはり彼のために哀悼を捧げた。
12年後、孫権は帝位につく。魯粛がもし生きていれば58歳だった。
孫権は言った。「むかし魯子敬はいつもここへと導いてくれていた。時勢に明らかであったと言えるだろうな。」
魯粛の人となりは謹厳で着飾ることは少なく、公私にわたって倹約に努め、低俗な趣味には手を染めなかった。軍勢を統率してもよくまとまり、禁令は必ず施行され、陣中にあっても巻物を手放すことはなかった。また談論が得意で文章が巧く、思慮は遠大で人一倍の聡明さを持っていた。周瑜以後の世代では魯粛が随一の人物であった。
…と呉書には書かれている。
演義ではお人好しだが正史では違う…そうよく言われているが、
正史でも、周瑜に蔵一つ分の米をあげてしまったり、財産をなげうって困っている人を助けたり、(他の諸将の反対を押して)滅亡寸前の劉備との同盟を纏めようとしたり土地を貸そうと言い出したりなどの記述がある。
もちろん実際は単なる親切だけでしていたわけではないだろう。
しかしキャラ付けの”元ネタ”となるエピソードは正史にもたくさんあるのである。
大体の動向は正史と同じ。孫権・周瑜に次ぐ孫呉ナンバー3のような立場で登場し、かなり出番は多い。
しかし周瑜と同じく、孔明の引き立てとしての役柄が多い。
周瑜と違って自ら謀略を巡らす場面も少ないため、劉備と孔明に騙され続ける無能なお人好し外交官というイメージが広まった。
出番すら無い他の呉将たちに比べるとどちらがマシだろうか…
また「関を守るに子敬あり、江を守るに公瑾あり」という言葉があり、砦の防衛に優れるという設定があるらしい。
この名セリフは吉川英治氏の三国志が初出。演義の周瑜はそこまでは言っていないが。
また横山三国志では、官渡の戦いがカットされているが、正確には孫策が死んで孫権が継いだとこで切れている。
実はその次が魯粛の初登場シーンで、魯粛の人物と覇業の語りが入るはずだったのだが…
お魚さんにされました。後述の「三国志大戦」でもまさかのカード化。もうびっくりこきまくりですわ~
何故、お魚なのかというと『魯』の漢字をよく見ればお判りいただけるだろう。
当然ながら、政治知力が高めに設定されている。作品によっては統率力さえも90の大台に達することがある。近年では「三国志11」の舌戦チュートリアルでは教え子サイド?で解説。逆ギレなんて現代用語も喋っちゃう。
『三国志大戦1』で初登場。史実の蜀呉同盟にならった「同盟締結」という計略を持つ。
その効果は「減っている最大士気を回復させる」というもの。三国志大戦はカードごとに勢力が決まっており2勢力以上でデッキを組むと使える最大士気が下がってしまうというデメリットがある。しかしこの「同盟締結」を使えば単勢力のように軍が団結し大型計略を連発できるようになるのである。
『三国志大戦2』では片山まさゆき画のLEお魚魯粛、また横山光輝版の魯粛がそれぞれ同性能でカード化された。
『三国志大戦3』では、さらに3枚の魯粛が追加された。UCの「突撃兵召喚」持ちと軍師カード版、さらに大勢力の同盟をなし得た共通点からか、坂本龍馬をモデルとした「人地共鳴」という全体強化を持った魯粛が用意されている。
突撃兵召喚は、召喚した突撃兵が前に進むというもの。開幕デッキや苦楽デッキの壊れとマークされ、3.1以降下方修正を食らい今このカードを見る機会は少ない。移植されたDS版『三国志大戦・天』では突撃兵の武力が高いので一人プレイでは結構重宝される。Wi-Fi対戦では嫌われているカードの一枚。
軍師カードはスターターカードに入っており、使える奥義は再起と知勇兼陣の2つで、共に初心者に扱いやすい。使用時に叫ぶ『奥義』が『うに』に聴こえる為、うに軍師と呼ばれることも。
真・三國無双7から正式参戦。CV:楠大典
昔は空気だった(呂蒙の師が周瑜)が、晴れて正式PC化した 武器は鍬。ではなく、九歯鈀、地形によって技の演出やら効果が変わる。中の人効果もあってか、頼れるおっさんと言った感じであり、孫呉のストーリーや蜀ifでは重要な役割を担っている。
掲示板
203 ななしのよっしん
2023/06/23(金) 19:30:08 ID: VpITHL/Kmd
204 ななしのよっしん
2023/07/20(木) 23:06:39 ID: xs6YOHdymC
儒教がとても重要視されてるあの時代に漢再興は無理、そもそも統一は不可能って言ったのが型破りすぎるけど、すごい頭が切れる人だったんだなと思う。
205 ななしのよっしん
2023/12/06(水) 21:52:28 ID: vrnEPHFxf8
演義の魯粛がお人よしなのは周知なんだけど赤壁で降伏のことなんか一ミリも考えてないのは正史からそのまんまだからやる時はやる気合入った奴に見える
急上昇ワード改
最終更新:2024/11/09(土) 07:00
最終更新:2024/11/09(土) 07:00
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