愛知県出身・在住。デビュー以来、名古屋にいながらにして漫画家活動を続けている。
週刊少年ジャンプ連載の『Dr.スランプ』で大ヒット作家となり、続く『DRAGON BALL』で日本漫画界の頂点に立つ。
当時のジャンプ編集者・鳥嶋和彦(Dr.マシリト)とは盟友のような関係で、二人三脚で漫画界に革命を起こし続けた。
現在では手塚治虫、トキワ荘組らに続く、生き神に近い扱いを受ける漫画界の大御所であろう。
実は鳥山明という名前はペンネームでなく、本名である。当初「水田二期作」というペンネームを考えていたのだが、「どうせ売れるわけない」と本名を使用したところ、Dr.スランプとドラゴンボールの爆発的ヒットにより変えるに変えれなくなってしまったというエピソードがある。(そのため、名古屋在住の鳥山明なんていう名前は非常に珍しく、いたずら電話がすごかったという話まである)
作風としては、背景をシンプルにとどめ、構図やデッサンや効果だけでダイナミックな動きのある絵を描く。
また、スクリーントーンを最小限にしか使わず、「白」と「黒」のペン画だけであらゆる世界を描き出す。
カラーイラストはDr.スランプ時代は安物の水性のサインペンを絵皿に塗り、それを水で溶いて着色するという偶然発見したという色ムラの少ない独特の手法を使っていた。本人曰く、田舎住まいのため手法や画材を知らなかったため、このような手法を編み出したのだという。DRAGON BALL時代は少女マンガ家から教わったルマという水彩絵の具をパレットに入れて使っていた。滲みや乾くとムラになるという欠点もあるため、計算してテキパキ塗るのがコツだという。
岸本斉史、真島ヒロなどが使っていることで有名なカラーマーカーCOPIC(コピック)は一時使用を試みたことがあったが、当時の製品では思ったような色合いとならなかったため、使用を断念したという。
元来、アメリカンテイストを持つSF寄りのギャグ作家であったが、『ドラゴンボール』連載中から超人同士のバトル表現において目覚ましい進歩を遂げるようになった。
『ドラゴンボール』中期以降のスピード感&立体感溢れる高速戦闘や筋肉描写、怒りで目覚めたキャラクターのオーラによって岩が浮き上がるような演出、光球から線を引くエネルギー波といった表現は、後の尾田栄一郎、柴田亜美をはじめとするあらゆる作家たちに多大な影響を与えている。
また、メカが大好きで、独特の丸味を帯びたメカが鳥山ワールドの特徴的なアイコンとなっている。
いわゆる「黄金期ジャンプ」の立役者。
『ドラゴンボール』連載終了後は、マッキントッシュを用いたCG作品をマイペースで描き続けている。経緯は→「もうちっとだけ続くんじゃ」へ
このためか現在はイラストレーターとしての活動が主となっており、連載漫画もコミックス1巻で終わる中編が中心となっている。
『Dr.スランプ』のアニメは、テレビアニメ視聴率歴代3位の36.9%を記録し、東海テレビでは、視聴率40%超えを記録。社会現象を起こした。海外でも人気があり、特に中国やタイ、ヨーロッパでは人気がある。ヨーロッパでは平均視聴率30%だった。
また、ナイトスクープによると、『Dr.スランプ』を放送している国のうんちの絵は、どくろのうんちのマークを描いている。『Dr.スランプ』がどくろのうんちマークを海外に広めたアニメである。
『ドラゴンボール』のアニメはアジアから欧州に至るまで各国語に翻訳されて世界に浸透しており、大友克洋、宮崎駿らと並んで世界的な影響力を持つ作家と言える。
まさに「世界のトリヤマ」。
漫画だけでなく、エニックスのRPG『ドラゴンクエスト』シリーズでのキャラクター&モンスターデザインを手掛け、日本中の子供たちのカリスマとして君臨した。
堀井雄二、すぎやまこういちと共に『ドラクエ』には欠かせない人物である。
ほかに、『クロノトリガー』、『ブルードラゴン』などのゲームでキャラデザインを担当している。
本人は派手な生活や財産に対しては無頓着で、原稿料をしまう場所に困って冷蔵庫に突っ込んでいた話など浮世離れしたエピソードも多数。
そのほかにも鳥山に関わる税収(主に鳥山の個人事務所であるバードスタジオの法人税収入)は彼の住む愛知県および清須市の運営に大きな影響を与える規模であるため、地元では鳥山が快適に生活できるよう、鳥山家の前の道路を整備したという都市伝説もささやかれるほどである。
(鳥山家⇔名古屋空港までの直線道路を引いたという、通称「鳥山ロード」なるバリエーションが有名。)
また、作中にはニコちゃん大王(『Dr.スランプ』)のように名古屋弁のキャラクターが時折登場し、地元愛を覗かせる。
中日ドラゴンズのファンでもある。
元々愛知県立起工業高校デザイン科に通っており、漫画研究同好会に所属していたが、その当時漫画を読むことも描く事もぜんぜん無かったと言う(悪ふざけレベルで書いていたかもとは言っている)。漫画を読むのは小4ぐらいで止まってしまったらしい。何故それなのに同好会に入ったかと言うと、「楽しそうだったから」と言う理由だそうな。
高校卒業後には第一紙行名古屋支社にデザイナーとして勤務していたが、1977年1月に退職、以後はイラストのアルバイトを細々と続けていた。
当然ニート状態であった彼は金に困ることとなって、少年マガジンの賞金100万円に目が眩み、描いた事もなかったマンガを描き始める。
これが処女作『あわわワールド』であるが、マガジンの締め切りに間に合わず、代わりに毎月募集をかけていた第100回ヤングジャンプ賞に投稿、月例新人漫画賞の最終選考まで残ったものの、落選し、これをバネに第二作『謎のレインジャック』(スターウォーズのパロディ作で、後の鳥山作品で定番となる砂漠に水が無いという話)を描く。
このレインジャックがマシリトこと鳥嶋和彦に見出され、以後彼の元で修業に励み、Dr.スランプの連載が決まる。
最初は「10週で終わりだから」と言われてはじめた週刊連載だったが、漫画家になることなぞ想定外だったため、アシスタントも使わず、ほぼ一人で描いていたという(後にひすわしやまつやまたかしがアシスタントになっている)。しかし、その「新しい表現」は絶大な支持を集め初連載作は社会現象になるほどの大ヒット、さらに次回作ドラゴンボールは世界的なギガヒットコミックとなり、ドラゴンボール完結後は細々と単行本1巻分程度の短編を発表しながら現在に至る。
ハードなスケジュールエピソードもあり、Dr.スランプのクレイジーハネムーンの巻はデカイ蟹が登場したあたりはペン入れの記憶が無い、宅急便が無かった時代なので当時最も早かった航空便を使って原稿を贈る車で信号の色がわからないぐらいに疲労していた(前の車が前進したことで認識していた)、1週間のうち20分しか寝なかったといったこともあったという。ドラゴンボール初期では5週連続カラーというすさまじい荒業もこなしている。
このような殺人的スケジュールにもかかわらず、ジャンプ連載時、取材等で仕方なく休載した以外はたとえ風邪を引いて腕が動かない状況だろうと一回も原稿を落としたことがない(つまり鳥山氏個人の都合での休載や原稿を落としたせいでの休載は一回もない)。本人曰く「納期通りに納めるのはそれが仕事なんだから当たり前」だからで、前述のサラリーマン時代を経験したことで社会の仕組みを少しでも知っていたのが良かったということである。
また、漫画家なのにもかかわらず非常に面倒くさがりで有名で、超サイヤ人は「黒髪のベタを塗るのが面倒だった」という理由から金髪にしたり、「マンガの作業ではない」と極端にスクリーントーンを使用しなかったりとこちらも中々なエピソードがある(ただし近年の作品はPCでマンガを描いている関係上スクリーントーンを多用している。おそらく貼る作業が簡単にできるからだろう)。
プラモデルも趣味としており腕前も凄く、過去にタミヤの兵士人形改造コンテスト(歴史が長く現在も開催されている)に応募しており、実際にノミネートされていたほど。空想メカもよく描き、非常に緻密かつリアルなメカの描写であるが実は本人は個々のパーツの機能や役割はあまり詳しくないという。『睡眠』という行為が不要なのであればずっと趣味に没頭していたいとも言っている(仕事はヤダそうな)。
トイレの前でプロポーズの練習をしていたところたまたまトイレに入っていたみどりに聞かれそのまま結婚した『Dr.スランプ』のセンベイや、結婚を食べ物と勘違いしたまま結婚してしまった悟空など、描くのが恥ずかしいという理由で恋愛話はほぼギャグになってしまっている。
しかし、鳥山明本人のプロポーズは菓子パンを食べながら電話で世間話をしたついでにしたものという自分の漫画以上に色気のないプロポーズだった。
基本的に目立つことを嫌うらしく、自画像が必要な場面ではガスマスクをつけたようなロボットの姿を描く。
テレビ出演などほぼ皆無に等しいが、過去に『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演したことがある。
また、後姿のみではあるが、『ブルードラゴン』のテレビCMにも出演し話題となった。
テレビで動く鳥山明が登場したのは、『徹子の部屋』以来約20数年ぶりの出来事である。
忘れっぽい性格でも知られ、尾田栄一郎との対談ではその記憶力を心配させる会話がなされていた。
尾田:天下一武道会でランファンっていたの、おぼえてます?
鳥山:お~、いたいた!
尾田:「おぼえてます?」って聞くのも変だけれど、色んなキャラ、忘れていらっしゃるみたいだから(笑)
で、ランファンが服、脱いだじゃないですか。あのときのワキが、すっげえ上手かったんですよ。
ぼく、こんなにちゃんとワキ描くひと、はじめてだと思いましたもん。
ワキばっかり描いてましたね、あのころのぼくは。
あと桃白白(タオパイパイ)の手ですね。
鳥山:タオパイパイ…?ちょっとビミョーなキャラになってきたぞ。
尾田:エ~!?桃白白なんて、めちゃくちゃメジャーなキャラじゃないんですかぁ。
鳥山:おさげのヤツ?
尾田:そうそう、殺し屋ですよ柱飛ばして、自分で乗っていくヤツです。
鳥山:あ~描いた描いた。
上述の通り『ドラゴンクエスト』シリーズのキャラデザを務めているが、集英社と専属契約をしている関係上、発売元であるエニックス(現スクウェア・エニックス)から出版される公式ガイドブックに鳥山明が手掛けたイラストが一切掲載できず、代わりとして画風が近いイラストレーターが手掛けたイラストを掲載している。特に有名なのはSFC版『V』『VI』とロト編のイラストを描いた中鶴勝祥(及び東映アニメーション)や『ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場』で活躍した村上ゆみ子だろうか。
両作品共に単行本未収録だが、国立国会図書館に掲載誌の「BIRD LAND PRESS」が収蔵されているので、遠隔複写を申し込めば簡単に拝読可能。
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さくらももこにせよ、鳥山明にせよ、TARAKOにせよ、みんな50代やら60代やらで亡くなってるから、これからその辺りで亡くなるのが当たり前の時代になりそう。
冷静に考えると、江戸時代まではその辺りで亡くなるのが普通だったんだろうから、それほどおかしくはないのかも。
70歳以上生きている人のほうがおかしいのかもしれん。
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最終更新:2024/09/15(日) 22:00
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