鹿島アントラーズとは、茨城県鹿嶋市、神栖市、潮来市、行方市、鉾田市をホームタウンとするJリーグに所属するサッカークラブである。
Jリーグ創設当初からのオリジナル10の一つであり、発足以来一度も降格したことがないのは鹿島アントラーズと横浜F・マリノスのみである。
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前身は住友金属工業蹴球団。ホームタウンは茨城県鹿嶋市、神栖市、潮来市、鉾田市、行方市の5市。
ホームスタジアムである県立カシマサッカースタジアムがある鹿嶋市とその周辺は、公共交通機関が充実しているとは言えず、むしろ陸の孤島とまでささやかれるほど、Jリーグクラブの本拠地としては一、二を争う田舎である。
にもかかわらず、Jリーグ発足以来、常勝クラブとして頂点に君臨し続け、2000年にはその年の国内タイトル全てを制する三冠を、2007年には国内タイトル通算十冠を、2007年~2009年にかけてはリーグ三連覇を、いずれもJリーグ史上で初めて達成した。2011年~2012年にはクラブ初となるヤマザキナビスコカップ2連覇を果たした。獲得タイトル数はJリーグ最多の16個。年間で2桁順位に低迷したのは21年間の中でたった1回だけ。J1通算398勝、通算1254得点(いずれも2013年シーズン終了時点)は共に最多と、数字からも長きに渡って強豪の地位を守ってきたことがうかがえる。2016年は年間3位だったものの、チャンピオンシップを勝ち上がり年間優勝、クラブワールドカップではレアルマドリード相手に互角の戦いで準優勝を果たした。
ちなみに、ジュビロ磐田とは一時期二強時代を築いたこともあって、磐田戦には特別な感情を抱くサポーターは今なお多い。が、最近では同じ赤がチームカラーである浦和レッズの台頭が著しく、レッズ戦のほうが盛り上がる(2004年以降、もっともホームに観客が集まるのはレッズ戦)。
ブラジルのスーパースターであるジーコが常勝チームの礎を築いており、どの試合でも勝利にこだわる「ジーコ・スピリッツ」が伝統としてクラブに受け継がれている。ジーコの影響によりレオナルド、ジョルジーニョ、ベベットなどのブラジル代表の大物選手が在籍したことがある。また、秋田豊、相馬直樹、柳沢敦、小笠原満男、中田浩二、内田篤人、大迫勇也、柴崎岳など各時代の日本を代表する名選手を数多く輩出している。
2019年7月30日、日本製鉄グループが保有していた株式の多くをメルカリに譲渡。これによりメルカリがアントラーズの株式の約6割を保有する筆頭株主となった。
チーム名の「アントラー(antler)」は英語で「鹿の枝角」を意味し、鹿島神宮の神鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしている。その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味も込められている。
クラブマスコットは鹿をモチーフにした「しかお」と、1997年3月2日に「しかお」と結婚したという設定の「しかこ」、1999年8月1日にしかおとしかこの間に誕生したという設定の「アントン」である。
先述の通り、鹿島地域は陸の孤島扱いされることもあるド田舎であり、住金サッカー部のレベルも読売クラブ(東京ヴェルディ)や日産(横浜F・マリノス)などのJSL1部チームとはお世辞にも比にもならないものであった。しかし、Jリーグ発足にあたり参加チームを選定する中で、当時12チームあったJSL1部の内、浜松の本田技研と川崎の東芝は参加を蹴り、残り2枠を他地域で争うことになった。まず内定したのは設備などが整っていた静岡・清水の市民クラブ(後の「清水エスパルス」)で、最終的に残り1枠を主に柏の日立製作所(柏レイソル)、平塚のフジタ(湘南ベルマーレ)、磐田のヤマハ発動機(ジュビロ磐田)、大阪のヤンマーディーゼル(セレッソ大阪)、そして鹿島の住友金属で争うことになった。しかし、ド田舎かつ弱小(住金以外はこの地点で天皇杯優勝経験あり)の鹿島住金は圧倒的不利であり、当時のJリーグ理事長川淵三郎に「住金が加入できる確率は、99.9999%ダメだ」とまで言われた。サッカーの実力、ホームタウンの人口などを考えれば当然である。しかし少しも引き下がることはなく「ならば0.0001%の確率は残っているんですね」と言い返した。
そして何よりJリーグの加盟に必須条件である競技場が鹿島にはなかった。先の発言につけ加えて「日本で初の屋根つきサッカー専用スタジアムでもあればねぇ」なんて川淵に言われる始末。しかしそれを聞いた関係者はすぐさま県に働きかけて、本当に県立カシマサッカースタジアムを作ってしまった。建てた後にも「スタジアムがあったってお客さんが入らなきゃ意味無いよ」と突っ込まれ、工業地帯はじめ地元企業、市町村の協力をとりつけた。中には当時鹿島とともにJリーグ加盟を目指していた浦和レッズの母体である三菱グループの企業も含まれていたという。
そして当時住金のサッカーの実力は日本リーグ2部レベル。とてもじゃないがプロと呼べるものではなかった。しかしスーパースターであるジーコはじめ、先に挙げた本田技研から黒崎、長谷川、本田などを獲得。あれだけ弱かったクラブをJリーグ初年度の1stステージ優勝クラブにまで育て上げた。もちろんジーコが入り、本田技研から選手が入ったからってJリーグ初年度からあれほどの成績を残せるわけではない。同じくホンダから移籍した、当時の監督である宮本征勝は、Jリーグ開幕までに元から住金にいた選手たちを一定レベルに底上げする必要があった。このときの様子を、本田泰人は『サッカー批評』38号でこう語っている。
「(当時の住金の選手たちは)止めることと蹴ることが、全くできていませんでした。それを宮本さんがすぐに気づいて、走ることと基本練習をまず1ヶ月やろうと。で、1ヶ月経ったら宮本さんが『もう1ヶ月やる。また同じことを反復するけど我慢してくれ。』って言っていましたね。」
※なお、住金と最後まで参入争いを繰り広げたチームはその後Jリーグ参入を果たしている。また、参加を蹴ったチームのうち東芝は本社方針でアマチュアリズムを掲げていることから本社支援を離れ北の大地へ。現在は北海道コンサドーレ札幌としてアントラーズと鎬を削る。本田技研は度々プロ化しての参加が囁かれるが色々あって頓挫。今に至るまで一介のアマチュアチーム「Honda FC」として活動を続けている。本田技研とプロとの関係については当該項目参照。
カシマサッカースタジアムは後の日韓W杯に合わせ4万人規模に改修。現在、田園地帯のど真ん中に建つ巨大スタジアムの脇には現在の鹿島の礎を築いたジーコの銅像が建てられている。また試合日には茨城県内だけでなく関東各地からファンが参集する他、「グルメスタジアム」と呼ばれるほど売店の飲食物(特にモツ煮)が異常に旨い。人気店はキックオフ3時間前の会場直後に行列ができるほど。
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 | 備考 |
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- | 監督 | ランコ・ポポヴィッチ | 1967.6.27 | 2024 | FKヴォイヴォディナ 監督 | 【新】 | |
1 | GK | 早川友基 | 1999.3.3 | 2018 | 明治大学 | ||
2 | DF | 安西幸輝 | 1995.5.31 | 2021 | SCポルティモネンセ | ||
4 | DF | ミロサヴェリエヴィッチ | 1992.7.30 | 2024 | FKヴォイヴォディナ・ノヴィサド | 【完】 | |
5 | DF | 関川郁万 | 2000.9.13 | 2023 | 流通経済大学付属柏高校 | 【H】 | |
7 | MF | チャヴリッチ | 1995.9.19 | 2024 | ヴィラ・ノヴァFC | 【レ】 | |
8 | MF | 土居聖真 | 1992.5.21 | 2011 | 鹿島アントラーズユース | 【H】 | |
10 | MF | 柴崎岳(C) | 1992.5.28 | 2023 | CDレガネス | 【H】 | |
13 | FW | 知念慶 | 1995.3.17 | 2023 | 川崎フロンターレ | ||
14 | MF | 樋口雄太 | 1996.10.30 | 2022 | サガン鳥栖 | ||
15 | MF | 藤井智也 | 1998.12.4 | 2023 | サンフレッチェ広島 | ||
16 | DF | 須貝英大 | 1998.10.27 | 2023 | ヴァンフォーレ甲府 | ||
25 | MF | 佐野海舟 | 2000.12.30 | 2023 | 町田ゼルビア | ||
26 | MF | 須藤直輝 | 2002.10.1 | 2021 | ツエーゲン金沢 | ||
27 | MF | 松村優太 | 2001.4.13 | 2020 | 静岡学園高校 | 【H】 | |
28 | DF | 溝口修平 | 2004.2.13 | 2022 | 鹿島アントラーズユース | 【H】 | |
29 | GK | 梶川裕嗣 | 1991.7.26 | 2024 | ジュビロ磐田 | 【完】 | |
30 | MF | 名古新太郎 | 1996.4.17 | 2018 | 湘南ベルマーレ | ||
31 | GK | 山田大樹 | 2002.1.8 | 2020 | ファジアーノ岡山 | 【復】 | |
32 | DF | 濃野公人 | 2002.3.26 | 2024 | 関西学院大学 | 【卒】 | |
33 | MF | 仲間隼斗 | 1992.5.16 | 2022 | 柏レイソル | ||
34 | MF | 船橋佑 | 2002.7.12 | 2021 | 鹿島アントラーズユース | 【H】 | |
36 | FW | 師岡柊生 | 2000.12.9 | 2023 | 東京国際大学 | ||
37 | FW | 垣田裕輝 | 1997.7.14 | 2016 | サガン鳥栖 | 【H】 | |
38 | GK | パク・ウィジョン | 2004.5.22 | 2023 | 漢陽工業高校 | ||
39 | DF | 津久井佳祐 | 2004.5.21 | 2023 | 昌平高校 | ||
40 | FW | 鈴木優磨 | 1996.4.26 | 2022 | シント=トロイデン | 【H】 | |
41 | FW | 徳田誉 | 2007.2.28 | 2024 | 鹿島アントラーズつくばジュニアユース | 【2】【H】 | |
42 | DF | 松本遥翔 | 2006.9.29 | 2024 | JFAアカデミー福島 U-15 WEST | 【2】【H】 | |
55 | DF | 植田直通 | 1994.10.24 | 2023 | ニーム・オリンピック | 【H】 | |
77 | MF | ギリェルメ・パレジ | 1995.9.19 | 2024 | ヴィラ・ノヴァFC | 【レ】 |
※備考欄は【完】=完全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別指定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手
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国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
宮本征勝 | 1992年~1994年6月 | Jリーグ1stステージ優勝(1993年) | |
エドゥー | 1994年6月~1995年 | ||
ジョアン・カルロス | 1996年~1998年7月 | ・Jリーグ優勝(1996年) ・Jリーグ1stステージ優勝(1997年) ・ナビスコカップ優勝(1997年) ・天皇杯優勝(1997年) |
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関塚隆 | 1998年7月 | 監督代行 | |
ゼ・マリオ | 1998年8月~1999年8月 | Jリーグ優勝(1998年) |
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関塚隆 | 1999年8月 | 監督代行 | |
ジーコ | 1999年8月~1999年12月 | 監督代行(総監督) | |
トニーニョ・セレーゾ | 2000年~2005年 | ・Jリーグ優勝(2000年、2001年) ・ナビスコカップ優勝(2000年、2002年) ・天皇杯優勝(2000年) ※シーズン三冠達成(2000年) |
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パウロ・アウトゥオーリ | 2006年 | ||
オズワルド・オリヴェイラ | 2007年~2011年 | ・Jリーグ優勝(2007年、2008年、2009年) ・ナビスコカップ優勝(2011年) ・天皇杯優勝(2010年) |
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ジョルジーニョ | 2012年 | スルガ銀行杯優勝(2012年) | |
トニーニョ・セレーゾ | 2013年~2015年7月 | スルガ銀行杯優勝(2013年) | |
石井正忠 | 2015年7月~2017年5月 | ・ナビスコカップ優勝(2015年) ・Jリーグ優勝(2016年) ・天皇杯優勝(2016年) |
|
大岩剛 | 2017年5月~2019年 | AFCチャンピオンズリーグ優勝(2018年) | |
ザーゴ | 2020年~2021年4月 | ||
相馬直樹 | 2021年5月~12月 | ||
レネ・ヴァイラー | 2022年~2022年8月 | ||
岩政大樹 | 2022年8月~2023年 | ||
ランコ・ポポヴィッチ | 2024年~ |
掲示板
55 ななしのよっしん
2023/09/12(火) 18:07:32 ID: Af+JJZ29RL
そして処分へ
56 ななしのよっしん
2023/10/24(火) 06:51:36 ID: tS0Z/0kTg+
「7年連続国内タイトル獲得なし」がニュースになるチームってアントラーズだけだろうなあ。
ずっと無冠とはいえ、常にリーグ戦上位につけてるのに「低迷期」とか言われちゃうんだもんな。他のチームからしたら「何言ってんの??」って感じだと思うが。
57 ななしのよっしん
2023/12/12(火) 09:37:16 ID: XBZDVnY3Oi
それだけ目標意識高いのに今季は監督としてはド新人のOBにオファー出して引き受けてもらってるのはどうも噛み合ってないというか
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/24(水) 22:00
最終更新:2024/04/24(水) 22:00
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