ここちょっと消えてますね。
25番という選手の記事があったんですけど。
新井貴浩とは、「生涯広島宣言」と思われる発言をしておきながら、2008年に広島東洋カープから阪神タイガースに移籍したことで、広島の歴史から消された野球選手である。なお2015年にその歴史が復活している。
25番という選手とは、広島ファンからその存在を抹消されていた頃の新井貴浩選手の俗称である。
2008年にフリーエージェント行使で広島東洋カープから阪神タイガースに移籍した新井貴浩(背番号25)は、そのFA権行使時の記者会見において「辛いです。カープが好きだから」「僕のことを野次るファンよりも僕の方がカープを愛してる」などと発言。
新井はこのFA権行使前、ドラフト6位で広島に「拾ってもらう」ような形で入団をしたことから、広島には恩義があり、「生涯広島」と解釈される発言をしていたと言われている。そのような過去の発言を翻す行為に加え、この広島ファンの心理を逆なでするような会見での発言、更にはこの会見後に阪神関係者と笑顔で会食していた所の目撃情報(記者会見の出来レース疑惑を高めた)は波紋を呼び、広島ファンの中には「広島にもともとあんな選手は居なかった」と過去に遡ってその存在を否定するものも現れた。
その移籍から2年後の2010年、広島の本拠地であった旧広島市民球場が閉鎖されることとなり、8月31日に最後のバックヤードツアーが開催された。その様子はテレビでも放映されたのだが、選手全員のサインが書かれていた壁を「カープかたりべの会」の会長である男性が指差し、
「ここちょっと消えてますね25番という選手がいたんですけど」
「私は広島を出ることはありませんと子ども達の前で3年間言い続けたが、
悲しいけど出ますと泣き泣き出て行った」
とコメントした。そこにあったものは新井貴浩のものと思われるサインが指で消された跡であり、先述の経緯から広島ファンの誰かが移籍への怒りから消したものであると推測された。会長も消された人物の実名を出さなかったため、新井の阪神への移籍に未だ納得していない模様であった。
この事により、件の記者会見での発言に因んだ「辛いさん」と並び、新井貴浩の俗称として「25番という選手」がネット上で定着することとなった。
さてその新井貴浩は、2014年に阪神の新外国人選手マウロ・ゴメスにレギュラーポジションを奪われて出場機会が減少、同年オフに古巣広島へ背番号28の選手として復帰する。これに対し広島ファンからは移籍時の経緯、更には阪神最終年の状況から、歓迎しない声も少なくなかった。
しかし2015年シーズン、新井は4番スタメンの主砲としてチームに大きく貢献、新井を白眼視していたファンの多くも手のひらを返すこととなる。
そして2016年、阪神時代もつけていた「25」の背番号に復帰。「25番という選手」が広島へ名実ともに返り咲くこととなった。
この年には名球会入りの条件となる2000本安打、そして300本塁打を達成。更には広島カープ25年ぶりのリーグ優勝にも大いに貢献した。菊池涼介が「新井さんはゴッド(神)。打って欲しい時に打ってくれる」と発言したことにより、「新井神」という新しい俗称も生まれている。
現役引退時に背番号「25」はふさわしい選手が出るまで凍結ということになっていたが、2023年に新井が1軍監督に就任した際に改めて「25」の背番号を着用、「25番という監督」となった。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/03/29(金) 21:00
最終更新:2024/03/29(金) 21:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。