75式自走155mmりゅう弾砲とは2014年3月まで陸上自衛隊に配備されていた、国産の自走榴弾砲である。総製造数は201台で三菱重工が車体と駆動系を、日本製鋼所が砲塔と砲システム開発を担当した。通称自走15榴。
後述する理由により少量製造に終わった74式自走105ミリりゅう弾砲と並び、戦後初の砲・車体ともに純国産の自走砲である。特筆するべきは弾薬を自動装填化したことである。未だに固定角度装填、装薬は人力装填方式であったがそれでも即応弾薬18発を3分間で発射することが可能であった。
射程距離は最大装薬で19km、ロケットアシスト砲弾を用いた場合で24kmとされており、就役当時としては十分なものだった。無論、それまで用いられてきた米国供与の旧世代自走砲に比べれば格段の進歩を遂げている。但し主砲換装は計画自体は存在したが、それを行うなら新型を開発したほうが安価で確実ということから見送られた。そのため1980年代後半以降はやや不足気味な射程距離でもある。
機械化部隊との随伴も想定され、エンジンには74式戦車の2サイクルディーゼルの6気筒版450馬力を搭載。軽合金製25トンの車体に当時としては必要十分な機動性を付与している。
実は本車は当初、各師団直轄特科大隊の自走砲として開発され、師団指揮下の普通科連隊戦闘団には74式自走105ミリりゅう弾砲が配備される予定であった。しかしベトナム戦争等々で既に105ミリりゅう弾砲の威力・射程不足が露呈してしまい、75式配備対象の師団特科連隊は本車で統一された経緯を持つ。
特科教導隊や武器学校など教育部隊を除けば、主に北部方面隊指揮下4個師団(当時)の特科連隊主要装備として冷戦時代の抑止力の一翼を担った。同世代の諸外国自走砲に比べて後々射程で遜色を見ることになってしまったが、単位時間あたりの投射能力は高く、戦後初の自走155ミリ砲としては高く評価されるべきである。
後継として99式自走155mmりゅう弾砲が開発・配備されたが性能に比例して非常に高価であったことから、後継車開発から15年以上現役にあり続け、2014年3月についに最後の量産車体が退役した。現在では土浦武器学校や富士学校の他、埼玉県朝霞駐屯地に隣接する陸上自衛隊広報センターで74式自走105ミリりゅう弾砲ともども、一般無料公開されている。
意外と露出が少ない…?
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最終更新:2025/03/31(月) 06:00
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