BT(戦車) 単語

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ベテーセンシャ

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BT(戦車)とは、第二次世界大戦の前からソ連開発・運用された戦車である。
当記事では本の前身となった「クリスティー戦車」ならびフィンランド軍捕獲仕様についても取り扱う。

概要

1929年末、機甲部隊設立への構想を練ったソ連兵器調団を派遣した。的は世界戦車を視察して自の機甲部隊構想に見合う戦車を探し出し、そのサンプルとなる車両ライセンス生産権の購入である。兵器調団はヨーロッパを巡り、イギリスにて「カーデンロイド豆戦車」と「ヴィッカース 6トン戦車」のサンプル車両およびライセンス生産権を入手した。これらの車両は後に「T-27豆戦車」、「T-26戦車」として生産されることとなった。

その後アメリカへ渡った兵器調団であったが、ここで出会ったのがジョンウォルタークリスティーという人物である。「USホイール&トラックレイヤー」の社長を務める彼は、第一次世界大戦から独創的な兵器開発で注を浴びていた人物であった。

彼が紹介したのは「クリスティーM1928」と呼ばれる戦車であった。この車両は武装は搭載していないものの、側面が二重構造となっている体に鋭い傾斜を持つ装甲、そして4つの大きな転輪と独特なサスペンション機構を持つ、後に「クリスティーサスペンション」と呼ばれる足回りを持っていた。航空機用の高出エンジンを搭載し整地で67.5km/hの高速を発揮、さらに最大の特徴として挙げられる「装輪装軌両用走行システム」により履帯を外しての走行も可であり、この時は実に112.5km/hもの快速ぶりを見せた。ちなみに装輪走行時では一番前の第一転輪がステアリングするようになっている(ホイールを止めているボルトで見分けることが可)。

この車両を見た兵器調団は1930年初頭にサンプル車両を購入、この時クリスティーから渡された車両の「クリスティーM1940」であった。数字を見ると10年ほどずれているように見えるが、これは「未来を10年先取りした戦車」という意味合いが込められた、いわゆる「さばを読んだ」ものである。したがって、資料によっては開発年通りの数字が振られた「クリスティーM1930」と記述されているものもある。

サンプル車両ソ連領内で試験され、1931年2月中旬に最初の生産「BT-2」がハリコフ機関車工場にて完成し、そのまま制式採用された。

実戦

BTシリーズは当時の世界戦車の中でも秀でたを持っていた。装軌状態で50km/h、装輪状態で70km/hをえる優れた機動第二次世界大戦においても希有なものであった。またの45mmドイツIV号戦車が現れるまで全周旋回に搭載されたものとしては世界最大のものであり、戦車戦はもちろんのこと、歩兵支援においても圧倒的な威を見せつけた。

しかし傾斜装甲を取り入れながらも装甲防御は十分とは言えず、対戦車や野だけでなく歩兵火炎瓶などによる薄攻撃で多くが撃破されてしまった。そして独ソ戦が始まるとより強な50mmを搭載するドイツ軍III号戦車に対して劣勢となり、それまで以上に消耗を強いられた。しかし後に戦車となるT-34KV-1といった戦車の生産体制が整い充分に配備されるまで、多くの損を出しながらも最前線を戦い抜いた。

影響

第二次世界大戦ソ連戦車徴する戦車の一つとして挙げられるT-34は、傾斜装甲やエンジン、足回りなどBTシリーズの設計コンセプトを多く受け継いでいる。BTシリーズの成功こそが傑作戦車を生み出すきっかけになったといえる。

また本による演習の様子を見たイギリス軍はこれに強い関心を抱き、独自のジャンルである「巡航戦車」を開発するきっかけとなった(イギリスクリスティー戦車の購入を打診していたものの、どういうわけかアメリカ政府の横が入ったため見送る羽となっていた)。

名前について

「BT」は「Bystrokhodny Tank(ビストロホドヌィタンク)」の略であり、ロシア語では「БТ(ベテー)」「Быстроходные Танки(ブィストラホードヌィイェターンキ)」と表記した。意味は「高速戦車」あるいは「快速戦車」である。またT-34の「ロジーナ」のような称もあり、本は「ベテーシュカ」と呼ばれていた。

以下、当記事での兵器名は「英語表記(ロシア語読み)」とする。

バリエーション

BT-2(ベテー・ドヴァー)

一番最初のクリスティー戦車を基に体前端部の装甲を強化し、1人用の円形を搭載した。転輪はアルミ製のディスク輪を引き継ぐ予定であったが、アルミ精錬の不足による価格の高騰によって鋳鋼製のスポーク輪で代替することとなった。

武装にはいくつかのパターンがある。以下の呼称は分かりやすいように便宜的につけたものである。

37mm B-3(5-K)戦車を1門のみ搭載したタイプ
標準
上記に加えて同軸にボールマウント方式で7.62mm DTを搭載したタイプ
を搭載せず7.62mm DA-2連装機関銃を搭載し7.62mm DTを撤去したタイプ

本来なら標準仕様で量産が行われる予定であったが、「37mm B-3(5-K)戦車」のである「45mm 20-K戦車」の量産がスタートした関係で37mmの生産が中止されてしまったため非武装の車両が発生(45mmは本には収まらなかった)、応急処置として機関銃を搭載した機を生産することとなった。

1931年中頃から1933年中頃にかけてが60両、標準120両、機が440両生産された。生産ラインの変動によって実戦投入は予定よりも大幅に遅れ、初陣1939年冬戦争もしくはポーランド戦であった。

BT-5(ベテー・ピャーチ)

BT-2で、搭載されるがより大の45mm 20-K戦車となった。また装甲素材の品質向上が行われ防御が上がった。さらに1939年からは火炎瓶攻撃などで炎上しやすいと摘された体後部を修し、後にBT-7T-34に引き継がれる構造となった。

の違いから以下の2種類が存在する。

1933年
円筒の「KhPZ(ハリコフ機関車工場)製」を搭載したもの。
1934年
装甲が最大25mmに強化されたの「OKMO(試作機械設計部)製」を搭載したもの。
このはBA-6などの装甲車T-26戦車T-35重戦車にも採用された。

両形式合わせて1933年後半から1934年末にかけておよそ2000両が生産され、1937年スペイン内戦より実戦投入された。

BT-7(ベテー・スィエーミ)

BT-5ので、体の装甲が最大20mmまで強化され組立に電気溶接方式を導入、さらに体前部が被弾経始を考慮したデザインに変更され防御が大きく向上した。また新エンジンが搭載され重量増加による速度の低下は起きなかった。さらに燃料タンクが大化し航続距離は従来の2倍以上となった。本来なら76.2mmクラスを搭載することを的としていたが、生産不足のため従来通り45mmクラスを搭載することとなった。

の違いから以下の2種類が存在する。

1935年(BT-7-1)
BT-5 1934年と同様の「OKMO」を搭載したもので、体容積が増したことで45mm弾数は172発に増加した。一方で7.62mm機弾数は2394発となった。1936年から長用ハッチが対つきのものに変更された。
1937年(BT-7-2)
15度の傾斜を持つ円錐の「防弾強化」を搭載したもので、45mm弾数は188発に増加した。ハッチを開いた時の形状から「ミッキーマウス」とも呼ばれた。1938年から長用ハッチ対つきのものに変更され、さらに1939年からの45mm 20-Km戦車(携行弾数不明)となった。

1935年1935年初頭から1936年末にかけておよそ1500両、1937年1937年初頭から1940年初頭にかけておよそ3000両が生産された。このうち対架を装備したタイプや新戦車を搭載したタイプの割合については不明である。1939年のノモンハン事変より実戦投入された。

スペック一覧

BT戦車 BT-2 BT-5
1933年
BT-5
1934年
BT-7-1
1935年
BT-7-2
1937年
全長 5.50m 5.66m
全幅 2.23m 2.29m
全高 2.16m 2.20m 2.40m 2.42m
重量 11.0t 11.5t 13.0t 13.9t
乗員 3名(長、手、操縦手)
最高速 装軌:52km/h
装輪:72km/h
航続距離 装軌:120150km
装輪:200~250km
装軌:150km
装輪:250km
装軌:350km
装輪:500km
武装 []
37mm B-3(K-5)戦車×1
45mm 20-K戦車×1
7.62mm DT×1
45mm 20-K戦車×1
7.62mm DT×2
[標準]
37mm B-3(K-5)戦車×1
7.62mm DT×1
[機]
7.62mm DA-2機×2
携行弾数 []
B-3(K-5):96発

20-K:115
DT:2709発(63発入り弾倉×43)

20-K:172
DT:2394発(63発入り弾倉×38)
20-K:188
DT:2394発(63発入り弾倉×38)
[標準]
B-3(K-5):96発
DT:2709発(63発入り弾倉×43)
[機]
DA:2709発(63発入り弾倉×43)
装甲圧 6~13mm 6~25mm 6~20mm

派生型

BT-2系列

BT-1(ベテー・アジーン)
クリスティー戦車に与えられた形式。資料によっては「BT-2の機」とするものがあるが、これは誤りである。
BT-3(ベテー・トゥリー)
BT-2のスポーク輪から、後にBTシリーズの標準仕様となる薄い鉄板をプレス加工したディスク輪に変更したものに与えられた形式。この呼称は設計局内での使用にとどまり正式名称にはならなかった。BT-2の後期生産分より作られたとするが、その割合は不明である。

BT-5系列

BT-5TU(ベテー・ピャーチ・テウー)
71TK-1線機を搭載しハチマキ状のアンテナを装備したもの。は向上したものの線を装備しないタイプとの連携は依然としてうまく取れなかった上に、その外見がとなり敵の優先攻撃標となってしまった。特にノモンハン事変における本の損の割合はかなり大きかった。
BT-5の生産総数のうち263両がこの形式である。
BT-5A(ベテー・ピャーチ・アー)
近接支援用に76.2mm KT-28榴弾を1門(携行弾数40発)と7.62mm DT右手背面、対架にそれぞれ1挺ずつの合計3挺(携行弾数2394発)を装備した大を搭載したもの。「砲兵戦車」とも呼ばれた。最高速度が装軌で50km/h、装輪で70km/hとなった。試作のみで量産はされなかった。
XBT-5(ハーベテー・ピャーチ)
45mmの代わりに火炎放射器を搭載した化学戦車(ソ連では火炎放射戦車のことをこう呼ぶ)。試作のみ。
BT-5PKh(ベテー・ピャーチ・プカー
渡河用のシュノーケルを装備した潜戦車。試作のみ。
PT-1A(ペテー・アジーン・アー)
渡渉を与えられた陸両用戦車。試作のみ。
BT-5/V-2(ベテー・ピャーチ・ヴェー・ドヴァー
M-5ガソリンエンジンに代わりV-2ディーゼルエンジンを搭載したもの。最高速度が装軌で62km/h、装輪で86km/hとなった。試作のみ。
RBT-5(エルベテー・ピャーチ)
両側面に420mmロケットランチャーを搭載したもの。試作のみ。
TTBT-5(テーテーベテー・ピャーチ)
リモートコントロールによって戦闘ができる戦車(テレタンク)。化学戦車XBT-5とほぼ同じ仕様と思われる。
生産数は不明だが、1939年から1940年にかけて軽戦車改造タイプと共に2個化学戦車大隊を組成し冬戦争より実戦参加した。

BT-7系列

BT-7TU(ベテー・スィエーミ・テウー)
BT-5TUと全く同じ仕様のもの。
BT-7の生産総数のうち2000両がこの形式である。
BT-7A(ベテー・スィエーミ・アー)
BT-5Aと全く同じ仕様のもの。
こちらは量産が行われ、1937年155両が生産された。
より新の長身76.2mm戦車である、L-11やF-32を搭載したタイプ1938年末~1939年にかけて試作されたが採用されなかった(なお、L-11とF-32はT-34KV-1して採用されている)。
BT-7M(ベテー・スィエーミ・エム)
BT-5/V-2と全く同じ仕様のもの。
V-2エンジンT-34への搭載が決定したため、1940年に700両程度が生産された後は打ち切られた。
OT-7(オーテー・スィエーミ)
45mmの代わりに火炎放射器を搭載した火炎放射戦車。試作のみ。
TTBT-7(テーテーベテー・スィエーミ)
TTBT-5と全く同じ仕様のもの。生産関係や実戦についても同様である。

その他の派生型

BT-4(ベテー・チティーリ)
体に溶接構造を取り入れ、サスペンションに小修をほどこしたもの。試作車両として3両のみが完成した。
BT-SV"cherepakha"(ベテー・エスヴェー「チリパーハ」)
錐の底面を組み合わせたような鋭い傾斜を持つ25mmの装甲で構成された体を持つ車両。「チリパーハ」とは「」のことであり、特徴的な外見からつけられた称である。
試作のみだが、後述するBT-SV-2を含んで後のT-34の設計に大きなを与えた。
BT-SV-2(ベテー・エスヴェー・ドヴァー
BT-SVの装甲を50mmとしたもの。試作のみ。
A-20(アー・ドヴァーツァチ)
別名「BT-20」。BTシリーズT-34を足して2で割ったような外見をしている。装軌装輪両用走行システムは本まで使われていたが、切り替えの手間や構造の複雑化からT-34の試作車両A-32以降は止された。
試作のみ。

フィンランド軍捕獲仕様

BT-42(ベテー・ソーラクドヴァー
冬戦争で捕獲したBT-7-2の改造を加え、イギリス軍のQF 4.5インチ榴弾を自向けに良した114 H/18(114mm榴弾18)を1門(携行弾数不明)を搭載した突撃で、機は撤去された。外見はKV-2をそのまま小さくしたような感じである。
114mmは高火力を誇るが旧式であった。を旋回させるハンドルを操作するハンドルがそれぞれを隔てた離れた位置にあり、さらに分離であったため移動標に対して照準が困難だった。
1942年9月から1943年2月までに18両が完成した。フィンランド軍内では専ら「クリスティ突撃」と呼ばれた。
BT-43(ベテー・ソーラクトゥリー)
同じく捕獲したBT-7-2のを撤去し、トラックの荷台のような兵員室を搭載した兵員輸送。乗員2名、兵員8名の合計10名が搭乗できる。
1943年11月に試作完成テストが行われたが性不足と判断され、量産には至らず試作1945年5月に退役・棄された。

関連動画

模型紹介

価格は全て税抜である。

タミヤ BT-7 1935年 (1/35スケール)
タミヤから発売されたキットで、シリーズ番号309
模型を取り扱う家電量販店でも入手が可で、定価は3800円である。
二重構造の体側面はもちろん、戦闘室やの内部まで細かく再現されている。エンジンルーバーには精密感あふれるエッチングパーツが採用されているだけでなく治具も用意されているので、エッチングに慣れていないモデラーでも安心して組立ができる。
アンテナは選択式でBT-7TUを作ることもできる。キャタピラ連結組立式であるが、すべての輪が動くので位置決めが容易である。あえてキャタピラを取り付けずに装輪状態を再現して、転がるようにするのもいい。
東部戦線及びノモンハンの5種類のマーキングに、地図を広げて作戦を練る指揮官戦車兵のフィギュア2体が付属する。定価はやや高めだが、パーツの精度と組み立てやすさを考慮すれば十分以上の設定である。
なお初回限定版にはロシアのクビンカ戦車博物館で撮されたカラー写真が収録されていた。
タミヤ BT-7 1937年 (1/35スケール)
タミヤから発売されたキットで、シリーズ番号327
模型を取り扱う家電量販店でも入手が可で、定価は同じく3800円である。
最大の特徴であるなだらかな傾斜を持つだけでなく、機動輪や履帯などの違いでも先発1935年との差別化を図っており、なおかつ同様の精度と組み立てやすさを誇る。付属する2体のフィギュア車両に搭乗しているシチュエーションのものである。
合計3種類のマーキングソ連だけでなく、ドイツ軍捕獲仕様も用意されている。
なお体を塗装する際はタミヤカラーの混色が定されているが、特にこだわりがなければMr.カラー135番「ロシアグリーン(1)」を使った方が手っ取りいかもしれない。
タミヤ BT-42 (1/35スケール)
タミヤから発売されたキットで、シリーズ番号318
模型を取り扱う家電量販店でも入手が可で、これも定価は3800円である。
同社から発売されている「III号突撃砲G(フィンランド仕様)」と並ぶフィンランド軍のキットで、海外製品でもあまり見かけない本の発売に喜んだファンも多いはずである。製品の発売にあたっては、本一現存するフィンランドのパロラ戦車博物館底的な取材を敢行するこだわりぶりである。
先発のBTシリーズ同様、内にまで至る再現率の高さと精度、組み立てやすさの全てが高い準でなされている。特に後部のリヤゲートが最大の魅となっている。乗員のフィギュアが1体、マーキングは3種類が用意されている。
このキットも初回限定版に現地で撮されたカラー写真が収録されている。

関連コミュニティ

関連項目

第二次世界大戦時のソ連軍の戦車
戦車快速戦車 BT(戦車) / T-26
戦車 T-28中戦車 / T-34
戦車 T-35重戦車 / KV-1 / KV-2 / IS(戦車)
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