C55形単語

シーゴジュウゴガタ

1.4千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

C55形とは、日本国客用パシフィック形蒸気機関車である。

概要

軸配置4-6-2の過熱式テンダー機関車
C54形の良として1935年から1937年まで川崎車輌汽車会社・日立製作所三菱重工業で62両が製造された。
シフィック機では初めての棒台を採用。リベット工法から溶接工法を大幅に取り入れた接合方法、双頭式バイパス弁や排気膨室、先台車エコノミー式復元装置が採用されたのもこの形式から。
外観の特徴としてボイラー上のと蒸気ドームを二つのケージングで覆い、キャブの前面は左右に後退がついた形状になり、スポーク動輪には補強のためのウェブが付けられた。テンダーも溶接構造の採用でリベットが消え、スマートな鋳鋼製台車を履いた。
2次形の20号機から30号機の21両は当時流行だった流線スタイルで製造された。これは空気抵抗の減少のためではなく見たが格好いいからだそう。モハ40も半流線化している。
流線機は保守の際にカバーを外さねばならず保守点検の不便さが現場から嫌われ、戦時中にカバーを撤去されてしまったが1950年浜松取・小倉国鉄工場普通に近い姿に改造された。
流線改造機の特徴は密閉キャブとばったやや背の高い12-17Bテンダーで、安全弁台座やキャブ下の処理方が異なる機もあった。
3次形の41号機から62号機は再び普通で製造されたが、12-17Cテンダーを採用し、流線同様機関車後部オーバーハングを100mmつめ、テンダー台車を前方にずらしている。これは地方線区の18mのターンテーブルに載せるためである。

C55形は東北本線山陰本線等で用いられたほか、北海道九州にも配置された。
北海道のC55形は耐寒工事が施され、運転室前面に旋回を取り付けたり、キャブは開放式から密閉式となった。旭川地区ではデフレクター支えにツララ切り、ヘッドライト横には予備が設けられた。
函館宗谷室蘭千歳線で使用され、急行利尻を牽引したりしたが、普通列車を牽引した。
九州のC55形は撒き管の増設、デフ上部にリンゲルマン式煤煙濃度を取り付け、多くの機がデフレクターを門改造された。52号機が装備したK-6デフはこの機関車しか使用されなかった。この52号機と57号機は共に日本で最後まで活躍したC55形である。

主要数値

関連動画

関連商品

関連コミュニティ

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

急上昇ワード改

最終更新:2024/03/19(火) 16:00

ほめられた記事

最終更新:2024/03/19(火) 16:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP