FC刈谷とは、愛知県刈谷市を本拠地とするサッカークラブ、及び東海社会人サッカーリーグ所属のサッカーチームである。
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同県同市を本拠地としていたデンソーサッカー部が休部になるのを受け、後を引き継ぐ形で誕生したアマチュアサッカークラブである。発足時から幾度と無く存続危機に立たされたが、なんとか乗り越えて今に至っている。
将来的な目標はJFL復帰、そしてフツフツを湧き上がってきたJ3昇格であるが、財政的な面は勿論、トップチームの実力的な面にも課題が残る。また、発足から10年以上経った今でも下部組織を設立させていないので、J3昇格の実現はかなり遠い状況にある。
なお、クラブチーム化以降、デンソーは練習グラウンドを提供する以外の関与はしていない。
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1989年シーズンからまだ2部制でなかった頃の東海リーグに昇格し、在籍5年目の1993年シーズンにリーグ初優勝、地域リーグ決勝大会初出場を果たす。同大会では決勝ラウンド2位の成績を残し入れ替え戦に進出するも、ジャパンフットボールリーグ(※旧JFL。当時の地域リーグの上位カテゴリ)9位だった甲府クラブに1-2で破れ昇格ならず。それから2年後の1995年、2度目のリーグ優勝。地域リーグ決勝大会では決勝ラウンド1位を決め旧JFL昇格を果たす。
旧JFL昇格後、親会社の社名変更に伴い、デンソーサッカー部と改称。旧JFLでの3年間は16チーム中15位(1年目)/13位(2年目)/10位(3年目)であった。特に1年目は降格圏内であったのだが、ヴィッセル神戸のJリーグ昇格とコスモ石油四日市FCの解散があったために辛うじて残留となっていた。
1999年、旧JFLはJリーグ2部と日本フットボールリーグ(JFL)の2つへと発展的解消を遂げたが、デンソーサッカー部はJリーグへの参加意志が無かったためにJFL参加を表明。JFLオリジナル9のメンバーとなる。
初めの3年間は1桁順位であり、特に2001年に徳重隆明、2002年に高山英樹と、1999年のリーグ開始以降、現在でも唯一の「同一チームから2年連続でJFL得点王」という記録を出したが、2002年で10位(18チーム中)となってからは2桁順位が続き、以降残留争いの常連となってしまう・・・。
2005年を以って、デンソーサッカー部が休部(事実上の廃部)。以降は関係者の尽力によりクラブチーム化していく。
2006年、現在の運営法人の下、FC刈谷として再出発していくことになる。
2007年にはFC刈谷初代監督の安原成泰、FC刈谷創設に尽力した服部順一GM、そしてコーチ2人の計4人がシーズン途中退任という異例の事態となる。後任として選手として在籍していた浮氣哲郎が現役を引退し就任。この年は辛うじて残留となる。
2008年は浮氣監督のサッカーが浸透し始め、FC刈谷となってから8位と初の1桁順位となる、が、この年を以って2桁得点していた平林輝良寛と原賀啓輔が退団となるが、これが翌年の悪夢に繋がることになる・・・。(ステップアップとしてFC琉球への移籍となった原賀はともかく、平林は契約非更新による退団であった。なお、平林は後にレノファ山口FCの主将としてJリーグで再び活躍していくことになる)
2009年、前述した2人が抜けた結果、深刻な決定力不足に陥ってしまう。この年にコーチとして入団した「キング・オブ・トーキョー」ことアマラオが現役復帰せざるを得ないほどにだ。また、シーズン途中で補強を試みるも、決定力不足は解消されず、年間順位は18チーム中17位となり万事休す・・・。しかしニューウェーブ北九州のJリーグ昇格も有り、辛うじて自動降格は免れ、地域リーグ決勝大会決勝ラウンド3位のツエーゲン金沢との入れ替え戦に臨むことになった。
さて、今後を左右するであろうホーム・アンド・アウェー方式での入れ替え戦(ちなみにアウェイゴール制度はなかった)。ここで勝って翌年のJFLに繋げたいところであったが、チーム体質は実に正直であった・・・ここでも決定力不足は顕著に現れたのである、金沢よりも10本以上多くシュートを放っていながら、だ。
結果、第1戦のアウェイ戦で0-1で負け、第2戦のホーム戦も0-1と先行され、87分に日下大資がゴールするも時既に遅し・・・。
2000年代最後を地域リーグ降格という残念な結果で終わらせてしまい、翌2010年を東海社会人サッカーリーグ1部で迎えることとなった。
2010年、15年振りに戻ってきてしまった東海リーグ、体制一新として浮氣哲郎が監督を退任、コーチだったアマラオが監督に就任した。しかし、この頃はJリーグ入りを目指してた新星・shizuoka.藤枝MYFCの後塵に拝して年間成績2位となってしまい、また全国社会人サッカー選手権大会でも予選敗退していたためにJFL復帰はならなかった。
以降、3位(2011年)、4位(2012年)、3位(2013年)、4位(2014年)とJFL復帰に暗雲が生じてしまったが、2015年に20年振り3度目のリーグ優勝を果たす。そして同シーズンの地域リーグ決勝大会では予選リーグ2位ながらもワイルドカード枠で決勝ラウンドに進出。JFL復帰まであと一歩と近づいたが、決勝ラウンドで打ちのめされて勝点が全く取れずに敗退し東海リーグ残留、再び出直しとなったのだった。
その後は2016年も優勝するものの地域CLは1次ラウンド敗退、2017年は2位で地域CLに出場するが再び1次ラウンド敗退、2018年は2位で全社で準優勝し地域CLに出場するが、決勝ラウンドまで勝ち進むも3位となったため昇格を逃した。
2020年はコロナ禍の中、東海社会人サッカーリーグのリーグ戦としての実施が取り止められ、ノックアウトトーナメントに変更。中京大学FC(中京大学サッカー部の社会人登録チーム)とTokai Gakuen Univ.(東海学園大学サッカー部の社会人登録チーム)を破って優勝、地域CLへの出場権を得た。
地域CLでは1次ラウンドを引き分けからの2連勝で突破。決勝ラウンドでは刈谷を含む3チームが1勝2分けで並びながら得失点差で2位となり、JFL復帰を決めた。
掲示板
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最終更新:2025/01/20(月) 08:00
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