KUDOとは、DDTプロレスリング所属のプロレスラーである。ニックネームは「あっくん」「店長」。本名は非公開だが、そのニックネームやジャック・ド・アツシーヌというフランスの親戚がいるところから「お察しください」。
プロレス参戦前のエピソードはあまり公表されていないが、日本大学在学中に学生プロレスとキックボクシング・ムエタイを嗜んでいた。キックでは本名でプロの試合も経験している。また、DDTとの最初の接点は、学プロ時代にアルバイトをしていたリング屋だった。
現在はそのキャリアを活かした強烈な打撃を売りとしており、無口な性格から「寡黙なストライカー」の二つ名を持っている。
大学卒業後はサラリーマン生活を過ごしていたが、諸般の事情で会社を辞めることとなり、大学の先輩が在籍していたDDTに入団。
2001年にコニカ(現コニカミノルタ)とのタイアップレスラー「コニカマン2号」(ちなみに1号の中身は同期でもあるHARASHIMA)としてデビュー。その後2002年にポイズン澤田JULIE率いる蛇界転生で「トグロ・ハブ影」を名乗った後、2003年に悪の組織によって記憶を消されてしまったが、HERO!(こちらの中身もHARASHIMA)の手によって救出される。この際、「なんて呼べばいいのか…」と悩んだHERO!によって様々な代表的な日本の苗字で呼ばれ、「クドウ」と呼ばれた際に反応したため、以降リングネームをKUDOに改め現在に至る。
リングネーム改名後は2003年にMIKAMIと組んで第1回ディファカップジュニアヘビー級タッグトーナメントに出場したり、HERO!と組んで第12代KO-Dタッグ王座に就くも、なかなかシングルのベルトには届かない状態が続いていた。そうした状況を打破するためか、2005年のKingOfDDTトーナメント優勝後に1年間のアメリカ遠征も行っている。
帰国後も、ヤス・ウラノとのタッグで第20代KO-Dタッグ王座に就くなど、もっぱらタッグ屋というイメージが長かった。しかし、2011年にはKingOfDDTトーナメントに優勝し、団体最大のビッグマッチである両国国技館大会では当時の王者であったユニオンプロレス所属の石川修司を撃破。初めてKO-D無差別級王者に輝く。その後、翌年1月に男色ディーノに敗れるまで約半年に渡ってベルトを防衛し続け、一気にDDTのエース格へと上り詰めた。また、王者時代には大石真翔、男色ディーノ、飯伏幸太らとともに「ほもいろクローバーZ」を結成。黄色のメンバーとして、時折ももクロの曲に合わせて試合を行うなど、レスラーとしての懐の広さを見せ付けた。
リング外ではDDT直営スポーツバー「ドロップキック」の店員をしていたが、2009年12月に新宿歌舞伎町で居酒屋「エビスコ酒場」がオープンすると、開店当初からスタッフとして参加。翌年5月には店長に就任し、自慢の腕を振るっている。店には他にも伊橋剛太や大家健、妻木洋夫(不定期)などのレスラーも働いているので、お酒と自慢の料理を楽しみながらレスラーの別な顔を見に行くのもいいかもしれない。
2012年のDDT48総選挙では演説放送でマンション購入+35年ローンを告白。その年9月の新木場大会ではHARASHIMA、ヤス・ウラノと新ユニット「ウラシマクドウ」を結成して、DDT内ユニット抗争の一翼を担う。
インディーレスラーでもマンションが買えるというある種の希望と、これから35年はがんばって働かないといけないという人生の重さから、一時は地味なポジションに落ち着いていたが、2014年には彼を「アニキ」と慕うマサ高梨の檄に応じて決起。当時、絶対王者として君臨していたHARASHIMAを死闘の末に倒して第47代王者に輝く。王座は5月25日の名古屋大会でHARASHIMAに奪われるものの、ユニット「酒呑童子」のリーダーとしてDDTのトップグループに居続けている。
ここでは3人以上で構成される、DDTプロレスリング内ユニットについて記す。
タッグとしては過去にHERO!(現HARASHIMA)や、ヤス・ウラノとのコンビでKO-Dタッグ王座を獲得している。
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最終更新:2024/04/24(水) 23:00
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