M60(戦車) 単語

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M60戦車とは、アメリカ陸軍開発した2世MBT(戦車)である。

M60A3(台湾仕様)

概要

M48パットン直系のであるため、「スーパーパットン」の非公式称で知られるが、厳密には本車両パットシリーズには当てはまらない。技術的に類似しているが純然たる後継車両という扱いである。しかし、それらは「公式」の話であり、搭乗者達の間では「パットPatton」ないし前述のように「Super Patton」と呼ばれていた。

かつては陸軍海兵隊に多数配備されていたが現在は退役。反面輸出された諸外では各種修を受けつつ現役である。

仕様(M60A3)[1]

パットンの申し子達

第二次世界大戦後、アメリカ陸軍火力や装甲は申し分かったものの、機動性や走破性に難のあったM26パーシングの後継としてM46パットンを開発した。

M46朝鮮戦争において北朝鮮軍T-34-85に対しては優位を発揮できたものの、ソビエトの虎の子たるIS-3は実戦投入されずに終わり、かの重戦車に対する優劣は依然として未知数のままであった。※1

焦った軍部はM46を一新したM47パットンを慌てて採用するも、その矢先にせっかく搭載した射撃管制装置の欠陥が判明し、々に更なるM48パットンを開発した。なおFCSの脆弱性を露呈したとはいえ、防護などは相応の善が認められたため、M47自体は西ドイツなどに多数が供与されている。

かしこれら一連のパットシリーズでもIS-3に対抗できるかどうかは甚だ怪しく、更にソ連は1世代MBTの最大閥とも言えるT-54/55を採用。恐ろしい勢いでの量産を開始した。※2

トロニクスといったソフトウェアより、戦車そのもののハードウェアがまだ物を言った時代。優れた治技術に支えられたソビエト戦車に対抗するのは、自動車アメリカでも容易ではなかった。朝鮮戦争イージーエイトことM4A3E8戦車T-34/85に対し、人間工学や信頼性の面で優位に戦えたが、それが今後続くとも限らない。

しかも当時のアメリカ軍航空機ジェット化による著しい高性化や核兵器の登場による、一種の空軍論によってそれらに多くの予算を吸い上げられており、陸上は二の次と考えられていたのだった。

パットンを超える者

しかし陸軍とてこの現状を黙って見ているつもりはなかった。アメリカ陸軍そのものの弱体化を防ぐ意味合いもあるが、同盟への供与も米国戦車の重要な任務である西側の盟となり、戦車開発を持つ国家が少ない以上、半ば当然の義務とも言えた。 

そのような経緯の上で陸軍M48の更なる良を開始し、1959年M60戦車としてロールアウトさせた。

主だった改良点

M48の弱点を一つずつ潰し、全とまではゆかぬまでも地善を重ねたM60戦車は、間違いなく「スーパーパットン」の称に相応しい性を手に入れた。実際、同様の修を施されたM48系列が中東戦争などでT-62を相手にしても優位に戦ったところから、その修の堅実性が伺える。

現代の戦車で例えれば奇しくも旧ソ連、現ロシア製のT-90戦車のような存在である。湾岸戦争で大きく弱点を露呈したT-72コスト釣り合いを図り、確実に性向上させた点はM60-M60A3の経緯と酷似している。

一見するとお茶を濁すような戦車であるが、当面をぐには十分な車両でもあった。

はあくまでアメリカ西ドイツが共同開発した次世代戦車MBT-70が完成するまでの布石とされ、MBT-70が就役するまでの繋として機できれば十分だった。そのはずであった。しかし…

え? MBT-70開発中止? いつの時代も的の異なる出資者複数の計画は下手を打つものです…

大胆不敵であれ!

とまあ、図らずともM1エイブラムスの登場まで長きに渡ってアメリカ陸軍戦車となり続けたM60

しかしその性T-54/55T-62相手には互以上に戦えるが、T-72には敗といった有様であった(湾岸戦争T-72を撃破した事例もあるが、練度の低い戦車兵の操るモンキーモデル相手である)。シレイラ対戦車ミサイルを発射可なガンランチャー搭載のM60A2も開発されたが、実用性の低さから々に退役している。

更にM48ガソリンエンジンによる発火リスクこそ低減できたが、駆動系が油圧式のままであったため、貫通弾で油圧機構を損傷すると内にブチ撒けられた作動で乗員が燃え尽きるほどヒート! という乗員安全性に対する重大な欠陥があったのだが、油圧式のまま故にM60でも根本的な解決が成されていない。※3

西側ですらに乗員の安全を重視するようになったのは3世代MBTの時代になってからだったのだ。

とはいえその合計生産数は2万両にも及び、レオパルド1と並んで現在でも中小国陸軍を担っている。本アメリカでも修を重ね、1991年湾岸戦争に至るまで第一線で戦い続けたのだった。因みに運用していたのは海兵隊であり、か古くとも信頼できる戦車として高く評価されていた模様である。

因みに性の優劣はそれぞれの較対によるが、人間工学に基づいた設計や機械的信頼性は非常に優れており、故障件数はレオパルド1と較しても少ない。この辺りは自動車の洗の面躍如であり、輸出先において各種修を受け入れる余裕と合わせ、本社が西側戦後二世代の傑作と言われる所以である。

T-62と比較した場合

M60など戦後二世戦車ライバルとしたのは、ソ連T-62戦車である。ここでは両者の最終M60A3とT-62Mの優劣、特性の違いなどを較してみたい。

  • 防御:増加装甲など防御を向上させているが、APFSDSが直撃した場合、1弾で大破することに変わりはない。M60A3は爆発反応装甲を、T-62Mは簡易複合装甲を増設したが、1970年代後半以降に開発された徹甲弾を前には脆弱である。M60A3は各種動作による引火、T-62レイアウト故の弱点があり、大差ないと言えよう。
  • 火力:両者ともに1弾で相手を大破させうる火力を持っている。但し命中精度、射撃速度などは火器管制装置の性レイアウトからM60A3に一日の長がある。の俯仰が大きいことから稜線射撃でも優位に立てる。但しT-62は9M117対戦車ミサイルから発射可で、条件次第ではアウトレンジされる可性はある。
  • 機動性:カタロスペックでの最大速度、航続距離は両者ともに変わりない。しかしT-62系列が変速機、旋回性などに難を抱えているのに対し、M60は当初よりクロスドライブオートマチックであり、操縦性や乗員の習熟といった数値に出ない面で優れている。
  • 製造台数:ほぼ互で両者ともに2万台前後である。但し赤軍T-72という新世代を除外しても、T-54/55戦車。あるいはT-10M重戦車などを数倍製造しているあたり、数量的には劣後している。M1A1、レオパルド2の製造が軌に乗るまで、赤軍スチームローラーに対向するには戦術核しかないと言われたのも、頷ける数量差である。
  • 総合面:先に弾を当てたほうが勝利するという意味では、両者に大きな違いはないともいえる。しかし信頼性、操縦性、訓練の容易さなど人間工学ではM60A3が大きく勝っており、 兵器という工業製品としてはM60A3に軍配が上がるであろう。現在でもM60が各で多数、独自を生み出しているのも頷ける。

バリエーション

諸外国派生型

M60戦車としては依然、駆動に油圧系統を使うなど弱点を有していたが、大故に発達余裕も大きく本家米国でも自走架戦闘工兵、果ては人式の線操作地雷処理など多数の生形が存在する。それなり以上に重装甲で、大柄で信頼性の高い体は色々とつぶしが利いたのである。

そして他…というか具体的にはイスラエルではMBTとしても積層複合装甲をまとったマガフラインメタル120ミリ滑腔を換装したサブラなどが生まれ、一部はトルコなどに輸出さえされている。欠点を抱えていたものの基礎設計がそれなりに堅実で、大戦車の発達余裕の大きさを感じさせるものである。

なおイスラエルのみならず台湾でもM60M1A1相当のFCSを搭載したCM11戦車が就役。相対する中共の最新戦車には劣るものの、相応に有な抑止として今も現役にある。この点はロイヤルオードナンス系列の1990年代に至るまで新弾薬に対応しえた傑作であったことも大きな要因である。

暴走事件

アメリカ本土では、前述の理由でM1エイブラムスが戦化されるまで現役に留まり、やがてM1が配備されると予備役などに回されていったが、アメリカらしく戦闘以外の事件で有名になった。

1995年5月17日カリフォルニア州サンディエゴの州兵の保管庫に置かれていたM60A3が、退役した軍人に乗っ取られて地を暴走したのである。まるで後の世におけるグラセフのような事件で、中にある信号機消火栓を粉砕し、を踏み潰して暴走を続けたのである。

警察パトカーを多数動員して追いかけるものの、いくら装軌で遅いとはいえ戦車を止める手段がなかった。

ちなみに、この犯人の動機はテロではなく退役後の生活苦によるもの。更に事件前には物に依存までしていた。

その後、高速道路脚に体当たりした後に疾走し、中央分離帯を粉砕して擱坐したのを警察に包囲された。当然ながら中の人戦車を前後に揺らして飛び乗った警官を振り落とそうとしたが、ボルトカッターでハッチをこじ開けられて射殺された。

この事件で、本の欠点として体底部のクリアランスが小さい(要するにコンクリートブロックや岩などを置けば進行を阻止される)と問題視されたため、高を高くしてクリアランスを大きくする修が行われ、本を輸入して使っていた諸外や以後開発中だった戦車全般に適用されることになる。ちなみにアメリカ本土に置かれていた車両M1A1と交代した関係上、修されることはなかった。

関連作品

動画


Steel Armor Blaze of WarにおけるM60A1。学測距儀と連動する弾道計算機を全シミュレートしている。

マガフ以外の

静画

関連商品

関連項目

各種補足

※1

事実、第3次中東戦争ではエジプト軍のIS-3Mに対し、イスラエル軍のM48A2は正面からの撃ち合いではが立たなかった。中近距離ならば高い貫通を発揮する高速徹甲弾も、その重装甲を前にしてはだった。しかし機転を効かせたイスラエル軍の戦車兵はIS-3Mの後部燃料タンク弾で狙撃炎上させる。

大したダメージにはならなかったものの、練度の低いエジプト軍の戦車兵達はパニクった挙句、傷の車両を置いて逃走するというどこぞのうさぎさんチームのような醜態を演じてしまった。ただこれはエジプト軍の醜態のみならず戦車兵にとって「火災発生」というのが、どれほど恐るべき状況なのかも物語っている

※2

恐ろしいことにこの戦車は最終的に10万台も製造されている。加えて同時期にIS-3の後継となるT-10/T-10M重戦車8000台製造されており、米国でもM103重戦車が少数製造されるなど、脅威を感じていないわけではなかった。ロイヤルオードナンス105mmさまさまである。

因みにユーゴスラビア内戦ではクロアチア軍のM47は、セルビア軍のT-55はおろかT-34-85にすら劣っていたと評価されたという話もあるが、情報不足で偽の程は不明。何れの戦車も老朽化が著しいため、単純な性だけではなく経年劣化、整備状態、兵站状況の善し悪しで左右された可性もある。

※3

第4次中東戦争ではイスラエル軍のM48M60が被弾で次々とバースデーケーキろうそくのようにきれいに火をした。ディーゼルに換装して一安心かと思いきや、作動だけでも燃え上がるには十分だったようである。

その為、その直系の独自であるマガフ(Magach)は「Movil Gviyot Charukhot(焼死体運搬)」の略だというブラックジョークが広まったとか。現在となった産のメルカバ戦車シリーズが、特に引火対策や対成形炸薬弾防御を重視しているのは、この苦い戦訓にも基づいている。

論この教訓は日本を含む西側諸国にも継承されており、では74式戦車以降。旧西側他では第3世代以降の戦車は全て戦闘装駆動を電気式に、エンジンを難燃性の高いディーゼルに置き換えている。

脚注

  1. *M60A3戦車マニュアルPANZER 1983年1月
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