Nine Inch Nails 単語

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ナインインチネイルズ

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バンドロゴ

 

ナインインチ・ネイルズ(Nine Inch Nails)は、アメリカ合衆国インダストリアルロックバンド

概要

ノイズテクスチャを緻密に重ね合わせた精巧なサウンド、”怒り”や”苦悩”をテーマとした内省的な歌詞が特徴。1990年代に最も成功したロックバンドの1つであり、現在音楽シーンの第一線で活躍し続けている。

正確にはバンドというよりも、フロントマントレントレズナーによるソロプロジェクトと言った方が正しい。(初期のアルバムシングルには「Nine Inch Nails is Trent Reznor」クレジットされている)楽曲はすべて作詞作曲から楽曲の制作に至るまでトレントレズナーがほぼ1人で担当している。他のメンバーに関しては、基本的にアルバム制作後のライブツアーを行う際にめて召集される。 

 

バイオグラフィー

Pretty Hate Machine (1988 - 1991)

トレントレズナーがミュージシャンとしての活動を始めたのは1983年頃のことである。

当時から「自分の音楽で成功すること」を強くしてはいたものの、それまで作曲をしたことが一切かったため、自信のさからなかなか音楽制作に踏み切れず、しばらくの間はスタジオ楽器店で働きながら他人のバンド演奏する日々を送る。

1988年、ようやく自分の音楽を作ることを決心したトレントは当時勤めていたスタジオ管理人と交渉し、いた時間にスタジオを使用する許可を得る。トレントはそこで作曲活動を始め、自身の音楽プロジェクトNine Inch Nails(以下NIN)と命名。「Down In ItSanctifiedなど複数の曲のデモ完成させると、それを様々なレコード会社に送り、その中で最も好意的な反応を示したTVTレコーズ契約を結ぶ。

1989年9月シングル「Down In Itデビュー。同年10月に発売された1stアルバム「Pretty Hate Machineは当時はあまり話題にならなかったものの、その後2年間に渡りビルボードチャートに残り続け、2003年には売り上げ300万枚を達成している。ライブ活動も積極的に行い、ステージ上で機材を破壊したり、観客を攻撃的な態度で煽るその過パフォーマンスは徐々に話題となっていった。

 

Broken (1991 - 1993)

1991年ごろからTVTレコーズはNINの音楽性について深く干渉を行うようになってくる。自分の思うように音楽が作れないと感じたトレント契約打ち切りを申し出るが、TVTレコーズ側はこれを拒否。業を煮やしたトレントTVTレコーズを相手に契約問題で訴訟を起こす。

1992年TVTレコーズと裁判に勝利したトレントは、新たに契約を交わしたインタースコープ・レコーズの元で自身のレーベルであるNothingレコーズ」を立ち上げる。

さらに同年9月に、裁判の間に極秘裏に製作していたミニアルバムBrokenリリースポップメロウな前作とは一転、怒りの感情にられたノイジーでアグレッシブな作品となった。Brokenビルボードチャートに7位にランクインし、収録曲Wish1993年のグラミー賞ベストメタルパフォーマンスを受賞した。

 

The Downward Spiral (1994 - 1997)

1994年2ndアルバム「The Downward Spiralリリース。”自己破壊”や”孤独”をテーマとした陰な作にも関わらずビルボードチャート初登場2位記録し、全で400万枚を売り上げるヒット作となった。

その後のWoodstock’94への出演(この時の泥まみれで行われた「Happiness In Slavery」演奏1996年のグラミー賞ベストメタルパフォーマンス選出された)や、約2年間に渡るライブツアーSelf-Destruct Tourも大成功を収め、一気に時代を徴する人気バンドの地位へと登りつめる。

しかし、その成功による急な状況の変化に当のトレントはうまく順応できず、やがて周りからの次回作への期待というプレッシャーに押しつぶされ、次第にアルコールドラッグにはまっていくようになる。

さらに友であったMarilyn Mansonとの確執と離別、育てのである祖母との死別などが重なり、トレントはまさにどん底とも言える精状態に陥っていく…

 

The Fragile (1999 - 2002)

そんな最悪の精状態のなか制作された2枚組の3rdアルバム「The Fragileは、幾たびもの延期の末に1999年9月にようやくリリースされた。前作よりも暗く難解な作で、ビルボードチャートで初登場1位記録するも、その翌週には一気に16位にまで転落。セールス的には苦戦を強いられた。(それでも最終的には200万枚を売り上げている。)

その後、ライブツアーFragility Tourスタート2000年には初来日も果たした)。だが、トレント状態とアルコールドラッグの問題は以前進行中で、2000年にはライブのため訪れたイギリスロンドンヘロインの過剰摂取を行い緊急入院している。

は深刻だった。なのに当時のはそれを全く自覚していなかったんだ。当時のを支配していたのはアーティストとして伝えたいことなんて、もう残っていないんじゃないか?」という恐怖だった。その恐怖から逃れるためにまたドラッグに手をだす、という悪循環に陥ったんだ。

トレントレズナー、2005330日、Kerrang!インタビューより

その後のツアーなんとか続行されたが、2002年にそのツアーの様子を収めたライブ作品「And All That Could Have Been」リリースして以降、しばらくNINは活動を休止することになる。

 

With Teeth (2005 - 2006)

休止期間中にリハビリ底的な自己管理を行い、鬱病アルコールドラッグしたトレントは、2005年5月にNINとして6年ぶりとなる4thアルバム「With Teeth」リリース。それまでの偏執的なノイズは鳴りを潜め、バンドサウンドや歌そのものを前面に出した作となり、ビルボードチャートに1位ランクインした。

「With Teeth」を作り始めてやっと気付いたんだ。ドラッグを借りなくても、は沢山のアイディアを思いつけるってことを。ここ数年の生活のせいでイカれたと思ったけど、はまた自分の考えを持てるようになったし、本当に生き返った気分だよ。

- トレントレズナー、2005年10月20日、NewTimesインタビューより

その後約2年間は精的にライブツアーを行い(2005年8月にはサマーソニックに出演する形で2度の来日も果たした)、2007年にはライブ映像作品「Beside You In Timeリリースされた。

  

Year Zero (2007)

2007年4月5thアルバム「Year Zeroリリースツアーの合間にトレントラップトップ上で作曲したもので、前作のバンド志向のサウンドとは一転、打ち込み中心のエレクトロニカルな内容となっている。

「Year Zeroトレントが近未来アメリカ舞台に作り上げたストーリーを元にしたコンセプトアルバムで、アルバムツアーポスター等に隠された暗号解読すると、Year Zero世界観にまつわるWebサイトURLが現れ、徐々にそのストーリー明らかになっていくという仕掛けになっている。

2007年5月ツアーオーストラリアを訪れた際、NINのアルバムオーストラリアではアメリカよりはるかに高い値段で売られていることを知ったトレントは、レコード会社に対し怒りの明を発表。

レコード会社は自業自得で負った傷を、消費者に肩代わりさせようとさせている。『ポップスは割引しなきゃ売れないが、熱心なファンのいるバンドCDはどんなに高くても売れる』…そう説明されたよ。君らは『熱心なファン』であるが故に搾取され続けるんだ。

 - トレントレズナー、2007年5月13日、NIN公式サイトより

さらに2007年9月ツアーで再びオーストラリアを訪れたトレントライブ演中にファンに対して「NINの音楽を盗め」と発言。

調べる機会がかったんだけど、あれからCDの価格が下がってるのを見た人はかいるか?……(観客側から「見てない!」というが続々と上がる)…なに見てない?…そこの君も…君もか?…そうか、も見てないんだな?ならどうするべきか教えよう。盗め!(観客側から歓が上がる)盗んで君たちの友達にもくれてやれ。

Youtube投稿された2007年9月16日オーストラリアシドニー演の動画より

これ以降トレントレコード会社に頼らない、新たな音楽の配信方法を模索していくようになる。

 

Ghosts I - IV・The Slip (2008)

2007年10月インタースコープとの契約満了に伴い、晴れフリーとなったトレントはまず自身がプロデュースしたソウルウィリアムズの新作「The Inevitable Rise and Liberation of NiggyTardust!」ネット上でリリース

配信サイトでは無料か5$(約600円ほど)支払うかを選択することができ、5$を選択するとより高音質バージョンダウンロードできるという方法が用意された。

それから3ヶ後の2008年1月トレントは現時点でのソウルの新作の売り上げを公式サイトで発表。約15万人がアルバムダウンロードしたが、5$を支払うことを選択したのはその内の18.3%だった。

このアルバムは宣伝に一切をかけていないし、取材したメディアかった。つまり、このプロジェクトの存在を知ることができた人々は多くはソウルかNINのファンであったはずなんだ。なのにこのアルバムに5$支払う価値があると思ったのは、その内の1/5にも満たなかった…これは朗報と言えるのか?ある程度予想はしてたつもりだったが…正直、この結果にはがっかりした。

- トレントレズナー、2008年1月3日、NIN公式サイトより

 

 

 

なお、このアルバム配信の一連の出来事についてまとめた動画ニコニコ動画にも存在している。→

 

 

 

かしこれにもめげず、その2ヶ後の3月2日にNINの6thアルバム「Ghosts I - IVがNIN公式サイトリリース。今度は無料、5$、10$、75$300$の5つの価格から選択でき、それぞれ曲数や付属する特典が異なる仕様となっている。

さらに、その2ヶ後の5月5日にNIN公式サイトにて7thアルバム「The Slipを今度は無料リリースサンプリングレート96kHzの高音質ファイルフォーマットmp3FLACM4A、WAV提供され、ダウンロード数は15万件にも達した。後にリハーサル映像を収録したDVD付きのCDアルバムも25万部限定で発売された。

 

2008年7月より、Light In The Sky Tourと題されたライブツアーが開始された。

過去最高規模の大掛かりなライティング・映像演出が施されたツアーで、ジェームズ・キャメロンのもと3Dカメラでの撮による映像作品の制作企画されていたが、NINのどの作品の権利を保有しているユニバーサルミュージックインタースコープ会社)が、以前トレントから批判されたことへのいせか、それらの楽曲を使用した映像作品を制作する許可を出さなかったため、この企画お蔵入りとなってしまう。

そこでトレントは残されたライブ演を「撮・録音自由」にし、ファンライブ作品を自主制作することを暗に促す。さらに2009年1月には、プロによって撮された400GBにも及ぶ3演分の高品質ライブ映像データネット上に故意に流出させるという、とんでもない行動にでる。 

"怪しいの人物"が"なんらかの手段"で大掛かりな機材を持ち込み撮したもののようだ。残念だが、セキュリティが甘かったと言わざるを得ないな。本当にとんでもないクオリティーだ。

ファンならこれで何かクールなものが作れるかも…おっと、これは内緒だぞ。

- トレントレズナー、2009年1月7日、NIN公式サイト

海外ではさっそくこれらのライブ映像を1つの映像作品として仕上げるべく、有志のファンによってThis One Is On Us」というプロジェクトが立ち上げられる。(それらの映像Youtubeにも投稿されている)

己の利益など度外視した、この立て続けの大盤振る舞いに「さすがトレント!他のミュージシャンたちができない事を然とやってのけるッ!そこにシビれる!あこがれるゥ!」とファンが熱狂する一方で、音楽無料提供し続けるトレントのやり方を「やり過ぎだ」と批判するアーティストたちも少なからず現れ始める。 

トレントは地に努してる他のバンドを潰す気なのか?これじゃあ音楽を払おうとするはいなくなるぞ。いつから音楽はタダになったんだ? 

アルジュールゲンセン(ミニストリー)2008年6月17日Pitchforkインタビューより

音楽無料であるべきだと思わせるのが正しいとは思えないんだ。音楽が出来るまでにはお金もかかっているってことを、皆には理解して欲しい。

- アレサンドロ・コルティーニ、2009年6月20日鈴木喜之氏によるインタビューexitより。

 

2009年2月、NIN公式サイトにてトレント2月からスタートするWave Goodby Tourを最後に、NINとしての活動をしばらく休止することを発表。「Wave Goodby Tourでは前回のツアーのような大掛かりな演出は用いられず、よりソリッドバンド演奏を重視したライブツアーとなった。

日本には8月サマーソニックに出演する形で来日した。

 

   

活動休止中 (2010 - 2012)

NINを活動停止した後、トレントは自身の妻マリクイーンと右腕的存在であるアティカスロスと共に新ユニット「How To Destroy Angels」を始動。2010年1stEP「How To Destroy Angels」2012年2ndEP「An Omenリリース2013年には1stアルバム「Welcome Oblivionリリースし、北ツアーも行われた。

さらに2010年には、アティカスロスと共同でデヴィッド・フィンチャー監督映画ソーシャル・ネットワーク音楽を担当。2011年にはアカデミー作曲賞初ノミネートで初受賞を果たした。

2010年11月22日にNINのデビューアルバム「Pretty Hate Machineリマスター版がリリース「Pretty Hate MachineはNINが最初に契約したTVTレコーズに原盤権を握られ、リマスター化が出来ない状況にあったが、TVTレコーズが破産し最終的にBicycle Musicが原盤権を得たことでようやく実現した。

様々なレーベルの手に渡り長年不遇な扱いを受けてきたレコードだったが、ようやく友好的なレーベルの元に落ち着き、さらに磨き上げた状態で君たちに提供できることになった。楽しんでくれ。

- トレントレズナー、2010年10月22日、NIN公式サイトより

 

2011年12月デヴィッド・フィンチャー監督ドラゴンタトゥーの女」開。トレントアティカスが再び音楽を担当した。

映画予告編及びオープニングタイトルにはレッド・ツェッペリンImmigrant Song移民の歌)」カヴァーが使われた。ボーカルにはYeah Yeah Yeahs」カレン・Oが招かれた。

 

 

Hesitation Marks (2013 - 2014)

2013年にNINの活動再開を発表。公式サイトにてNINの最新アルバム制作されていることを明かす。

7月から始まった活動再開後初のライブツアーは、なんと日本フジロックフェスティバルからスタートしかも1曲からまだ発表されていなかった新曲Copy Of A」を披露。日本ファンを熱狂させた。

そして8月30日コロンビアレコードより5年ぶりとなる8thアルバム「Hesitation Marks」を発売。9月から始まった単独ツアーTension Tourこれまでの5人編成に、ベーシストピノ・パラディーノ女性コーラス2名を加えた初の8人編成で行われ、バンドダイナミズムをより深く追求したライブツアーとなった。

2014年1月26日第56回グラミー賞授賞式で、NINがQueens Of The Stone Age(以下QOTSA)と共に初めて出演しパフォーマンスを行った。以前から(過去に2回受賞していながら)グラミー賞を敬遠していたトレントであるが、「価値のあるパフォーマンスを観客に届けられるなら」と出演を決意。

パフォーマンスNINのメンバーQOTSAのジョシュ・オムギタリストリンジー・バッキンガムドラマーイヴグロールが加わった非常になものだったが、テレビ中継ではQOTSAの楽曲を演奏している途中でカットされCMに移行。これにトレント激怒「”音楽最大の祭典”で、これほどの侮辱を受けるとはな。お前らマジでくたばれ」ツイート

「かなり上手くいったな」と思いながら舞台裏に戻ると、仲間のロブが血相を変えて飛んできた。「信じられねえよ、デルタ空港CMを流すためにライブを途中で切りやがった」と。はそのことについてグラミー側からは一切何も聞かされていなかった。出演したこと自体は今更後悔していない。だが今後グラミーで演奏することは絶対にありえないね。

- トレントレズナー、2014年3月5日、Quietusインタビューより

2014年2月から始まったライブツアーもまたまた日本からスタートメンバーは前回の8人編成から4人編成に変更された。来日演2日にはトレントの妻であるマリクイーン・マーンディグがサプライズで登場。How To Destroy Angelsの曲を2曲披露する。(米国以外で演奏されるのは日本が初とのこと。)さらに演3日には映画ソーシャル・ネットワークテーマHand Covers Bruise 」演奏された。

ツアー2014年8月に終了。NINは再び活動休止期間に入った。

 

メンバー

前述の通り、NINの正式メンバーとされるのはトレントレズナーのみで、他のメンバーに関してはライブツアーが始まるたびにめて召集される。その選抜方法はオーディションであったり、あるいはレコーディングに参加してそのままライブへの参加を要請されたり、他のバンドメンバーから紹介されたりと様々である。

現メンバー

トレントレズナー(Trent Reznor)

NINの中心人物。ライブではボーカルギターキーボードタンバリン等を担当。NINの活動停止後はアティカスロスと共にデヴィッド・フィンチャー監督映画音楽を手掛けたり、音楽配信サービスの「Beats Music」(後にAppleに買収され、「Apple Music」となった。)に宣伝戦略顧問として雇われたりと、相変わらず忙しく働いている。

2009年マリクイーン・マーンディグと結婚2010年には長男のラザラス・エコー(Lazarus Echo)が誕生。2011年には次男のバルタザール(Balthazar)が生まれた。

 

ロビンフィンク(Robin Finck)

ギターとバッキングボーカルを担当。1994年から2000年まで在籍し、2007年ツアーにまたバンドに復帰した。Guns N' Roses でもリードギターを担当していた。メロディだけでなく、時にはNIN独特のノイズテクスチャまでギター再現する凄腕のギタリスト。なんだかんだ言って Nine Inch Nails に一番所縁がある人物。昔はよくトレントステージから蹴落とされていた。

 

アレサンドロ・コルティー(Alessandro Cortini)

イタリア出身。2004年オーディションを受け正式メンバーとなった。ライブではキーボードシンセサイザーを担当。曲によってはギターベース電子ドラムなども演奏する。2008年に一度脱退するが、2013年のNIN再始動時に再びバンドに復帰。2014年に来日した際にはサポートアクトとしても出演した。トレントの別プロジェクトHow To Destroy Angelsにも参加している。

かなりのアナログシンセサイザーオタクライブでもカスタムメイドのモジュラーシンセカセットテープといったアナログな機材を好んで使っている。NINのいくつかの楽曲には作曲者としてクレジットされている。以前はModwheelmoodというバンドでも活動していたが、現在は活動休止中で、現在ソロプロジェクトSONOIOで活動している。

 

アイラン・ルービン(Ilan Rubin)

2009年ドラマーとして加入。メンバー最年少(ちょうどNINが始動した1988年に生まれている。)だが、ドラマーとしての実はかなりのもので、トレントからは2006年に初めてアイランのプレイを見た時はぶっ飛ばされた。ジョッシュが去った後にスティックを握るのにふさわしい人物だ」と全幅の信頼を置かれている他、NINのライブを見たKISSジーンシモンからもループに対し完璧タイミングけている。恐ろしく優秀なドラマーだ」と絶賛を受けた。

ドラムのみならずギターベースキーボード演奏もでき、腕前もなかなかのもの。なのでバンドが4人編成の時はなにかと酷使されている。(「March Of The Pigs」ではドラムピアノ演奏したり、「Hurt」ではベースドラム演奏したりと、曲によっては1人で2つの楽器を担当していることもある。)自身のバンドThe New RegimeではNINと同じように、アルバムではボーカルとほぼ全ての楽器を自分で担当している。ボーカリストとしてのスキルもなかなか高い。

  

旧メンバー

クリス・ヴレナChris Vrenna)

NIN創立時のメンバートレントとは高校時代からの友人。結成当初はキーボードを担当していたが、当時のドラマーがすぐに脱退してしまったため、その後を引き継ぐ形でドラマーに転向した。サウンドデザインプログラミングエンジニアリングなどにも精通しており、1997年にNINを脱退した後はプロデューサーDJ作曲として活躍している。2004年には、Marilyn Mansonに代理ドラマーとして参加し、2007年にはキーボディストとして正式メンバーとなったが、自身のソロ活動やプロデュース業に専念するため2011年に脱退した。

 

ゲイリータルパス(Gary Talpas)

1989年ツアードラマーに転向したクリスの代わりに臨時のキーボディストとして参加。本来はNINの初代アートディレクターで、「Pretty Hate Machine「The Downward Spiralなど初期のNINの作品のアートワークを手掛けた。現在も使用されている、あの「NIИ」のロゴも彼の作品である。

 

リチャードパトリック(Richard Patrick

NINの初代ギタリスト1989年に加入。それまでのNINはボーカルキーボードドラムの3人編成だったが、ギタリストが加わったことで4人編成となる。1993年に脱退し、その後はFilterという自身のバンドを結成し活動している。トレントとの仲は険悪なようで、インタビューではトレントに対し「”Piggy”なんて曲を書きやがって」と恨み言を口にしている。(”Piggy”はNIN在籍当時のリチャード渾名らしい)余談だが、ターミネーター2のT-1000役として有名な俳優ロバートパトリックは彼の実である。(T2のメイキング映像では、ロバートがNINのTシャツを着ているのが確認できる)

 

ジェームズ・ウーリー(James Woolley

1991年キーボディストとして加入したが1994年に脱退。在籍期間がちょうどNINが売れ始め、メディアへの露出が増え始めた頃だったため、それまでのキーボディスト(前任者が4人いたが、いずれもごく短期間で脱退している)よりは存在が認知されている。March Of The PigsPVや、Woodstock’94ライブ映像などで、その姿が確認できる。

 

ジェフ・ウォード(Jeff Ward)

1991年に一時NINを脱退していたクリス・ヴレナ(当時トレント喧嘩してたらしい)の後任として加入。その年のロラパルーツアーヨーロッパツアーに参加するが、以前からヘロインに苦しんでおり、1993年一酸化炭素による自殺で死去。その後はクリス・ヴレナドラマーとしてバンドに復帰した。

1994年に発売された2ndアルバム「The Downward Spiralではクレジットにてジェフに対し哀悼の意がげられている。

 

ダニーロナー(Danny Lohner)

1993年に加入。ダニーの加入以後、NINのライブバンドは5人編成が基本となる。ベーシストと思われがちだが、本来はギタリスト。曲によってはキーボードも担当する。サウンドデザイナープログラマーとしても優れており、NINの幾つかの曲には作曲者としてもクレジットされている。2001年に脱退後はプロデューサーやリミキサーとして活躍している。

2009年のLA演では、8年ぶりにNINのライブゲスト出演している。

 

チャーリークラウザーCharlie Clouser

1994年に加入。元々はスタジオエンジニアとして働いていたが、1994年ツアーの途中でジェームズ・ウーリーが脱退したため、ライブキーボディストとなった。SinEven Deeper」などの曲ではテルミン演奏する。プログラマーエンジニアとしても優秀で、トレントチャーリーメンバーに加わったことによって、ライブでの負担が大きく減った。技術的なことでがあれこれ示しなくて済むようになった」っている。NINの幾つかの曲には作曲者としてもクレジットされている。

2001年に脱退以降は、SAWシリーズバイオハザード3などの映画音楽を手がけている。

 

ジェローム・ディロンJerome Dillon)

1999年ドラマーとして加入。「ジェロームが加わわり、1stアルバムのような古い曲にも新たな活がもたらされた」とトレントっている。ドラム以外にも、ギターピアノ演奏もでき、2002年アルバムStillではギタリストとしてもクレジットされている。

2005年ツアーでも前回から一続投したメンバーだったが、9月ライブ中に胸痛を訴え緊急入院。一時はツアーに復帰するもののその後再び入院し、そのまま年内にバンドを脱退した。(持病の甲状腺疾患の治療副作用と疲労が重なって起きた心臓発作だった)脱退後トレントとはなんやかんやあって絶縁状態である。(詳細についてはこちらexit)脱退後は自身のプロジェクトnearLYや、映画音楽作曲などで活躍している。

 

ジョーディ・ホワイトJeordie White

Marilyn Mansonのトゥイギー・ラミレズとして知られる。トレントとはMarilyn Manson時代からの知り合いで、2005年にNINに加入する際もジョーディだけはオーディションではなく、トレントが直接参加を依頼したらしい。ベース担当だが、曲によってはギターキーボード演奏する。それまではテープやシーケンサー演奏されていたシンセベースパートも、ジョーディがエレキベースアレンジして演奏するようになったため、バンドサウンドグルーヴ感と音の厚みがより増した。

2007年にNINを脱退し、2009年には古巣であるMarilyn Mansonに復帰している。

 

アーロンノースAaron North

2005年に加入。元The Icarus Lineギタリストで、NINにはプロデューサーアラン・モウルダーからの推薦オーディションを受け加入した。ギターマイクスタンドを振り回したり、アンプを破壊したりと、ステージ上ではとにかく暴れまくる。(それが原因でライブ会場のセキュリティから何度か訴えられたことも。)トレントからギターパートは「前任者(リチャードロビン)のマネはせず、お前が自分でアレンジしろ」と直言されたそうで、Head Like A Hole「Only」などの楽曲は、イントロや間奏がアルバムからはかなりアレンジされている。

2007年に自身のバンド活動に専念するため脱退した。

 

ジョッシュフリース(Josh Freese)

Vandals、DevoGuns N' Roses、A Perfect Circleなど様々なバンドで活躍する敏腕ドラマー

2005年9月心臓発作でダウンしたジェロームの代理として10月4日10月5日ライブに出演する。その時のライブについて、トレント演奏していてこれほど快適に感じるのは、ジョッシュの才が本物であるだろう」と絶賛。その時はピンチヒッターとして2演に出演したのみで、後の演はアレックスキャラティスというドラマーが引き継いだが、トレントアレックスの技量に不満を抱いていたようで、2005年12月にはジョッシュが再びドラマーとして復帰。晴れて正式メンバーとなった。

その後は2008年に脱退するまでNINのドラマーを務めた。

 

ジャスティンメルダルジョンセン(Justin Meldal-Johnsen)

2008年に加入。ベーシストとして様々なミュージシャンアルバムに参加している。NINには友人でもあるジョッシュフリースから紹介され、オーディションを経て正式メンバーとなった。ジョッシュとは以前から他のバンドで何度も共演しており、リズム隊としてのコンビネーションは抜群。Something I Can Never HaveLights In The Skyなどの曲ではコントラバス演奏する。

2009年にNINの活動休止に伴い脱退。

 

ジョシュアユーティス(Joshua Eustis)

2013年に加入。ライブではシンセサイザーベースギターマンドリン二胡などを様々な楽器を担当。普段は自身のプロジェクトであるTelefon Tel Avivで活動しており、2000年のNINの「The FragileリミックスアルバムThings Falling Apartではリミキサーとして参加している。

2013年ツアー終了後、バンド編成の変更に伴い脱退。

 

ピノ・パラディーノPino Palladino

 30年以上のキャリアを持つベテランベーシストで、8thアルバム「Hesitation Marks」レコーディングに参加している。ライブには20139月から始まったTension Tourにのみ参加。このツアーでは、さらにリサフィッシャーシャーロットギブソンバックボーカリストとして加わり、NINとしては初の8人編成となった。

 

その他のスタッフ

アラン・モウルダー(Alan Moulder)

NINのプロデューサーレコーディングエンジニア1994年「The Downward Spiral以来、すべてのNINの作品のプロデュースレコーディング、ミキシングを担当。他にもThe Jesus And Mary ChainThe Smashing PumpkinsMy Bloody Valentineなどのバンドも手がけている。ディストーションなどの「ひずみ」の音の扱いに長けた人物で、ノイズを多用するNINの音楽にはくてはならない存在。

 

アティカスロスAtticus Ross

2005年「With Teeth」以降、すべてのNIN作品にプロダクションプログラミング等で関わっている。元々はトレント催していたNothingレコーズ所属の12 Roundsというバンドメンバーだった。現在トレントの右腕的存在で、デイヴィッドフィンチャー監督映画音楽トレントとの共同作業で担当している。トレントの別プロジェクトHow To Destroy Angelsのメンバーでもある。

 

ロブ・シェリダン(Rob Sheridan)

NINの現在アートディレクター兼フォトグラファー。アルバムアートワークからライブ演出用のヴィジュアルアートワークまで、とにかくNINのあらゆるデザインを一手に引き受けている。元々ロブは高校時代にNINのファンサイトを立ち上げており、それがトレントに止まったことがきっかけでNINのアートディレクターに起用された。起用された当時ロブは芸術学校学生で19歳だった。

トレントの別プロジェクトHow To Destroy Angelsではアートワークだけでなくメンバーも務めている。

 

Halo Numbers

 

NINの公式作品はそれぞれ「Halo」(Haloとは例えば像の頭の周りやその上方に描かれる、背, 後光の意味)を冠したシリアルナンバーが付けられている。2004年にナッシングレコード事実上活動を停止した関係からか、それ以降の先行シングルを含めたシングル曲のリリース形態がアメリカヨーロッパで大きく異なっている。アメリカリリースされている12インチシングルリミックス曲が多数収録されており、それらはヨーロッパ日本リリースされているシングルでは聴く事が出来ない物が多い。

Halo 01 - Down In It
Halo 02 - Pretty Hate Machine
Halo 03 - Head Like A Hole
Halo 04 - Sin
Halo 05 - Broken [1]・[2]・[3]・[4]・[5]  Broken Movie [1]・[2]
Halo 06 - Fixed
Halo 07 - March Of The Pigs
Halo 08 - The Downward Spiral [1]・[2]
Halo 08 DE DVD-A - The Downward Spiral (Deluxe Edition)
Halo 09 - Closer To God
Halo 10/10 v.2 - Further Down The Spiral
Halo 10 promo - Hurt / Piggy
Halo 11 - The Perfect Drug (Versions)
Halo 12 - Closure
Halo 13 - The Day The World Went Away
Halo 14 - The Fragile [1]・[2]・[3]・[4]
Halo 15 - We're In This Together (Pt.1, 2, 3)
Halo 16 - Things Falling Apart
Halo 17 CD1 - And All That Could Have Been
Halo 17 CD2 - Still [1]・[2]
Halo 18 - That Hand That Feeds
Halo 19 - With Teeth [1]・[2]
Halo 20 - Only
Halo 21 - Every Day Is Exactly The Same
Halo 22 - Beside You In Time [1]・[2]・[3]・[4]・[5]
Halo 23 - Survivalism
Halo 24 - Year Zero [1]・[2]・[3]
Halo 25 - Y34RZ3R0R3M1X3D
Halo 26 DE LE - Ghosts I - IV
Halo 27 CD LE - The Slip [1]・[2]・[3]・[4]・[5]・[6]

 

外部リンク

nin.com - NIN公式サイト
remix.nin.com - NIN公式リミックスサイト
NINRemixes.com - NIN非公式リミックスサイト

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