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ピーシーキュウハチ

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PC-98(ピーシーキュウハチ)とは、日本電気NEC株式会社開発販売した、PC-9801/PC-9821シリーズである。

略称は98。

ニコニコにおいては、関連動画PC-98exit_nicovideoタグで登録されている。

概要 (NECコンピュータ)

NEC PC-98 ロゴ by ばさべり PC-98スレ#52

PC-98シリーズは、MS-DOSと呼ばれる基本ソフト全盛期の時代(1980年代中盤から90年代序盤)に圧倒的なシェアを獲得した。もともとビジネスユースとして作られていたが、PC-88VAの大失敗によりPC-88シリーズの延命が失敗に終わる一方でホビーユースでもシェアを急拡大し、16/32bit市場の大半を独占するに至った。
しかし、PC/AT互換機の性向上やDOS/Vの登場によりソフトウェアレベルでの日本語処理が問題なく出来るようになると、その圧倒的な価格競争の高さによりPC-98シリーズシェアは急に侵食されていった(コンパックショック)。Windowsの普及によりハードごとの仕様の違いは売りとはならなくなるどころかむしろコスト増大、互換性の問題などを引き起こし、ついに1997年には商品をPC/AT互換機ベースPC98-NXシリーズに移行した。

当時販売されていた機種名として4つに分かれる。

歴史

誕生と普及

1982年に、PC-8800シリーズの上位モデルで、ビジネスユースの位置づけとしてPC-9801が発売された。もともとPC-8800シリーズビジネスユースもターゲットにしていたが、NECの想定以上にホビーユースでもヒットしたため、規格の乱立した8bit機は最終的にPC-8801mkIISRシリーズに収束された。

画像処理用LSI開発漢字テキストVRAMの採用によりグラフィック日本語の高速な処理を可にしたことや、BASICレベルでの下位機種とのある程度の互換性を確保したことなどで多くのビジネスソフト開発され、ビジネスパソコンでもトップシェアを確保した。

他社もPC-9801対抗の機種を発売したものの、性や価格で勝負出来ず、1980年代後半まで生き残ったのは富士通日立などわずかだった。

互換機

一方でPC-9801の互換機を作るメーカーも出てきた。
セイコーエプソン1987年に互換機としてPC-286を発表したが、BIOSプログラムの一部がPC-9801から盗用されたとするNECの訴えにより、民事訴訟の末敗北。しかし問題の部分を自社開発して販売に至った。
NECは自社販売のMS-DOSなどに自社製ハードでなければ動かないようにするプロテクト(EPSONチェック)を加えるなど執拗な嫌がらせをしたが、エプソンもそれを外すパッチを配布するなどして抵抗した。
PC-9801シリーズより高性・低価格を売りにしたシリーズであったが、PC/AT互換機シェア日本でも急拡大するとNECも対抗して本体価格を下げるようになり、エプソンのPC-98互換機の競争は失われた。

シャープ1987年MZ-2500シリーズの後継機としてMZ-2861を発売した。本機はCPUに80286を採用し、当時まだ8086互換プロセッサを搭載していたPC-9801ソフトを高速エミュレーション出来ることを売りにしていたが、当然PC-9801実機より処理は重く、また必ずしもソフトが動作するわけではなかったためほとんど売れず、MZシリーズ終焉を迎えた。

ホビーユースとの統合

ビジネスユースとして販売していたPC-9801だったものの、当初からゲームソフトも販売されていた。

それでも8bitパソコンべると発売タイトルは少なかったが、アーケード並の性を持つX68000の登場や対抗機PC-88VAの大敗、及びPC-9801シリーズの個人向けの普及台数が増加により、パソコンゲームソフトもPC-98へとシフトするようになった。

この頃には、PC-88よりも高精細かつ利用色数の多いスペック確立されたことで、高速処理のみならず、従来よりも美麗グラフィックゲームで堪できるようになった。
その反面、性器描写が当たり前に行われていたアダルトゲームにおいて、警察猥褻物と認定し、その後性描写が規制されるきっかけにもなった。ただし一部のゲームでは特殊なコマンドを入れることでモザイクなどを取る機があった。

DOS/V、Windowsの登場

満帆に思えたPC-98に、大きな危機が訪れる。海外で大きなシェアを誇るIBM-PC/AT互換機が多く輸入、利用されるようになった。

日本IBMでは1980年代からIBM-PC漢字ROMなどを追加搭載した5550シリーズ、またマイクロソフトを中心として同じように漢字ROMを追加搭載したAXパソコンを出したものの、豊富な海外ソフトとの互換性が失われてしまい、根本的な普及には至らなかった。

しかし1990年漢字ROMソフトウェア化し、日本語表示や日本語変換機などを搭載したPC-DOS J4.0/Vを日本IBMが発売、次のバージョンから他社製互換機でも利用できるようになったことで、海外ソフトとの互換性を維持しながらも日本語環境を利用することができ、海外からAT互換機を輸入しても利用できるようになった。

価格の面でAT互換機よりもかに高価だったPC-98シリーズにとっては最大の脅威となった。

そこで、性を底上げし、価格面でもAT互換機と戦えるようにした上、実用レベルに進歩したマイクロソフトWindowsにも対応できる機種として、PC-9821シリーズ98MATE98MULTI)を1993年に発売した。
一方でPC-9801シリーズは98FELLOWの称が与えられ、拡性は犠牲になったものの低価格化と性強化が行われた。 
その後、98MATEAT互換機のプラットフォーム、チップセットを搭載し、互換性のためのチップを追加して作られるようになった。 

Windows 3.1まではMS-DOSの上で動く拡張機能でしかなかったため、今まであるMS-DOS対応ソフト資産を活かすことができたが、1995年に発売されたWindows 95ではDOSが包含され、漢字表示なども全にソフトウェア動作されるようになってしまった。

Windows 95まではなんとかPC-9821シリーズとして販売していたものの、製造単価の点でAT互換機に勝てないことと、Windowsから始めた一般ユーザーが多く増えたことでDOS時代の資産が意味をなさなくなってきたため、ついに1997年AT互換機ベースPC98-NXシリーズを発表、商品として移行するようになった。

その後もPC-9821シリーズは作られたものの、2000年に発売されたPC-9821 Ra43を最後に、生産を終了した。

主な仕様

PC-9801

詳細は、「PC-9801のデスクトップ機一覧」、「PC-9801のラップトップ、ノート機一覧」を参照。

販売当初は、新機種ごとにハードウェアラットフォームの拡、強化が続けられていったが、1985年発売のVMおよび1986年発売のUVから、下記の仕様が固まっていった。

この仕様は、後に発売される対応ソフトウェアにおいての最低動作基準となった。

PC-9821

1993年に発売された98MATEMATE Aシリーズ)において、下記のようにプラットフォームが強化された。

ただし、MATE BシリーズMATE Xシリーズはこの仕様を必ずしも包含しているとは限らず、PC-9821専用ソフトでも互換性はあまりなかった。

販売期間

PC-98011982年10月の「初代」から1995年7月の「PC-9801BX4」まで。
PC-98211992年10月の「初代」から2000年5月の「PC-9821Ra43」まで。

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