PSVアイントホーフェン(Philips Sport Vereniging Eindhoven)とは、オランダ・エールディヴィジに所属するサッカークラブである。本拠地はアイントホーフェン。ホームスタジアムはフィリップス・スタディオン。
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1913年にフィリップス(スポンサー)主催のオランダ独立100周年記念のスポーツ祭の開催後に創設される。アヤックス・アムステルダム、フェイエノールトと並ぶオランダ1929年に初となるエールディヴィジ制覇を達成して以降21度優勝を果たしており、KNVBカップでは9度優勝している。
1977-1978シーズンにバルセロナ、バスティアなどを下しUEFAカップを制覇して以降全盛期が到来。1985-86シーズンからエールディヴィジを4連覇、フース・ヒディンク監督が率いた1987-88シーズンにはトレブル(UEFAチャンピオンズカップ、エールディヴィジ、KNVBカップ)を達成する。 2004-05シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではASモナコ、オリンピック・リヨンなどを退け、UEFAチャンピオンズリーグ改編後クラブ初の準決勝進出を果たし、エールディヴィジでも2007-08シーズンまで4連覇を達成した。
ユニフォームは赤と白の縦縞。クラブの名称は「ブーレン (Boeren, オランダ語で百姓) 」。アイントホーフェンはアムステルダムやロッテルダムなどの都会から遠く離れた地方にあるため、当初はライバルクラブのサポーターが侮蔑的な意味合いで用いていたが、PSVのサポーターはブラバンティアン文化に対する誇りから、進んでこのニックネームを用いている。
オランダの老舗電気機器メーカーであるフィリップスとの綿密な関係は、スポンサー、共有テクノロジー、および取締役会メンバーの関係に見ることができ、「胸スポンサー」の概念がエールディヴィジに導入された1982年以降は2016年まで例外なくフィリップスが胸スポンサーを務め、これはオランダの最長記録となっている。
ブラジルを代表するストライカーであるロマーリオ、ロナウドが若手時代に活躍したクラブとしても知られ、ロナルド・クーマン、フィリップ・コクー、アリエン・ロッベンらオランダの名プレイヤーも数多く所属していた。
日本人選手では堂安律が2019年から2022年まで(2020-21シーズンはレンタル移籍)所属していた。
1913年8月31日、フィリップスの創業者であるヘラルト・フィリップスと弟であるアントン・フィリップスの命によってフィリップス系列各社の企業チームとして設立。設立時のチーム名はフィリップス・エルフタルだったが、1916年に現在のPSVに改称している。
1915年にエールディヴィジの前身であるオランダ全国選手権に参戦。1925年に一度二部に降格したが、1年でトップリーグに復帰。1928-29シーズンにはアヤックスとフェイエノールトに遅れてではあるが、全国選手権で初優勝を飾っている。戦前の時代は、アヤックス、フェイエノールトと比べるとまだまだ強豪としての地位は確立できていなかったが、第二次大戦後の1949-50シーズンにKNVBベーカーで初優勝を果たしている。1950年代のPSVは328試合出場288得点という驚きべき得点率を誇ったクーン・ディレンがエースとして活躍。プロリーグとしてエールディヴィジが発足となった1956-57シーズンには43得点という驚異的なゴールラッシュを見せている。
結局ディレンの時代はタイトルに恵まれなかったが、プラム・アッペルが監督に就任した1962-63シーズンにピート・ファン・デル・クイル、ロエル・ヴィエルスマらの活躍によってエールディヴィジでの初優勝を果たす。この年はクラブ創立50周年の記念すべきシーズンでもあった。
1960年代から70年代にはヴィリー・ファン・デル・カイレンがエースとして登場。1960年代半ばから1970年代初頭にはタイトルから遠ざかっていたが、1972年にケース・レイヴェルス監督が就任すると、1973-74シーズンのKNVBカップで24年ぶり2回目の優勝を果たし、1970年代中頃から後半にかけてPSVは1度目の黄金期を迎える。1975年と1976年にはエールディヴィジを連覇、1977-78シーズンにはリーグ優勝と共に初の国際タイトル獲得となるUEFAカップ優勝を達成。この時期にPSVはアヤックス、フェイエノールトと並ぶオランダ三強の一角と位置付けられるようになった。この黄金期を支えたファン・デル・カイレンはディルクの記録を塗り替える通算308得点を挙げている。
UEFAカップ優勝後、レイヴェルス監督が退任したこともあってチーム間には不協和音が広がり、主力が退団。クラブはしばらくの間はタイトルから遠ざかることになる。
1983年にヤン・レケルが監督に就任。1985-86シーズンにはライバルのフェイエノールトからルート・フリットが加入すると、リベロとしてプレーしながらもチーム最多の24ゴールを決める驚異の活躍を披露し、PSVに8シーズンぶり8回目のリーグ優勝をもたらす。フリット、エリック・ヘレツを中心としたチームは1986-87シーズンにはリーグ連覇を果たす。
フリットがACミランに移籍した1987年にフース・ヒディンクが監督に就任。ロナルド・クーマンが加入したチームはさらにチーム力をアップさせることに成功し、1987-88シーズンはエールディヴィジ3連覇を達成。さらにKNVBベールを12年ぶりに制すると、UEFAチャンピオンズカップでは準々決勝、準決勝とアウェイゴールの差でしぶとく決勝に進出。決勝のSLベンフィカ戦ではPK戦にもつれ込みながらもこれを制し、なんと準々決勝1勝もすることなく初の欧州王者の座に輝く。また、オランダのクラブでは2度目、史上三度目の事例となるトレブルを達成。
1988-89シーズンには後にブラジル代表のエースストライカーとなるロマーリオが加入。ロマーリオは期待通りの得点力を見せ、PSVはリーグ4連覇、2シーズン連続での国内二冠を達成する。名将ヒディンクは1990年のKNVBベール3連覇を置き土産に退任。在任4年で7個のタイトルをクラブにもたらし、二度目の黄金期を築くこととなった。
ヒディンクの後任には前イングランド代表監督のボビー・ロブソンが就任。1991年と1992年にはリーグ連覇を果たしたものの、三度の得点王を獲得するなどチームにタイトルをもたらしたロマーリオと頻繁に衝突するようになっていた。また、欧州の舞台で結果を残せなかったこともあってロブソンは1992年に解任となり、ロマーリオも1993年夏にFCバルセロナへ移籍。
1994年夏にロマーリオと入れ替わるようにして17歳のロナウドが加入。ロナウドは1年目で30得点を挙げるなど在籍2年間で驚異の活躍を見せたが、この頃のPSVは人材育成に成功したアヤックスの後塵を拝し、リーグのタイトルから遠ざかっていた。
ロマーリオ、ロナウドといった怪物が去った後のPSVは育成面を強化し、ルート・ファン・ニステルローイ、フィリップ・コクー、ヤープ・スタムら若手が台頭。1996-97シーズンに5年ぶりのリーグ優勝を果たすと、ルク・ニリスとファン・ニステルローイが爆発的な得点力を発揮した2000年にリーグ優勝。ニリスが退団し、ファン・ニステルローイが大怪我を負った2001年にも連覇を達成。しかし、ボスマン判決の影響もあってオランダ代表でも中心を担うようになった主力の多くは財政的に上回る他国のチームへ次々に引き抜かれ、この問題は他のオランダのクラブ同様に付きまとうこととなる。
2002年、フース・ヒディンクが12年ぶりに監督に復帰。韓国代表時代の子飼いといえるパク・チソン、イ・ヨンピョをチームに加えて中心選手とし、アリエン・ロッベンら新しいスター選手も発掘。世代交代を進めながらもコクーやマルク・ファン・ボメルといった重鎮が引き締めるバランスの取れたチームを作りあげ、3度のリーグ優勝をもたらす。またUEFAチャンピオンズリーグでも2004-05シーズンにベスト4進出するなど3シーズン連続で決勝トーナメントまで進出させている。
ヒディンクが2006年に退任すると、後任にクラブレジェンドのロナルド・クーマンが監督に就任。ヒディンク時代の主力の多くがチームを去ったが、2008年までエールディヴィジ4連覇の偉業を達成する。
しかし、徐々にクラブの財政悪化が深刻なものとなるようになり、CL出場権を逃すようになったことでさらに経営悪化に拍車がかかってしまう。有力な選手が台頭しても他のクラブへ売却せざるを得ず、かといってネームバリューのある選手を獲得するだけの金はなく、2009年から2015年までの間はこういった悪循環が続き、この期間に獲得したタイトルは2012年のKNBKベーカーのみだった。
2013年夏にフィリップ・コクーが監督に就任。ルーク・デ・ヨング、アンドレス・グアルダードらを補強し土台を作ると、2014-15シーズンにはクラブ生え抜きのメンフィス・デパイがエースとして台頭。序盤から好スタートを決め中盤戦で10連勝を含むリーグ戦17戦負けなしを記録するなど首位を独走。7シーズンぶりのリーグ優勝を飾ると共にアヤックスの4連覇に終止符を打つこととなった。2015-16シーズンにリーグ連覇を飾ると、2017-18シーズンもリーグ優勝。
コクーが退任した以降は再びリーグのタイトルからは遠ざかっており、CLでは3シーズン連続で本戦に出場できないなど苦戦が続いている。
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | ピーター・ボス | 1963.11.21 | 2023 | リヨン | |
1 | GK | ワルテル・ベニテス | 1993.1.19 | 2022 | ニース | |
2 | DF | ジュランディ・サンボ | 2021.8.16 | 2021 | スパルタ | |
3 | DF | ジョーダン・テゼ | 1999.9.30 | 2019 | ヨングPSV | |
4 | DF | アルマンド・オビスポ | 1999.3.5 | 2018 | フィテッセ | |
5 | DF | アンドレ・ラマーリョ | 1992.9.26 | 2021 | ザルツブルク | |
6 | DF | アルメル・ベラ=コチャプ | 2001.12.11 | 2023 | サウサンプトン | |
7 | FW | ノア・ラング | 1999.6.17 | 2023 | クラブ・ブルージュー | |
8 | DF | セルジーニョ・デスト | 2000.11.3 | 2023 | ミラン | |
9 | FW | ルーク・デ・ヨング(C) | 1990.8.27 | 2022 | バルセロナ | |
10 | MF | マリク・ティルマン | 2002.5.28 | 2023 | レンジャーズ | |
11 | FW | ヨハン・バカヨコ | 2003.4.20 | 2022 | ヨングPSV | |
14 | FW | リカルド・ペピ | 2003.1.9 | 2023 | フローニンゲン | |
16 | GK | ヨエル・ドロンメル | 1996.11.16 | 2021 | トゥウェンテ | |
17 | DF | マウロ・ジュニオール | 1999.5.6 | 2017 | ヘラクレス | |
18 | DF | オリヴィエ・ボスカリ | 1997.11.18 | 2019 | ニース | |
20 | MF | フ―ス・ティル | 1997.12.22 | 2022 | フェイエノールト | |
22 | MF | イェルディ・スハウテン | 1997.1.12 | 2023 | ボローニャ | |
23 | MF | ヨエイ・フェールマン | 1998.11.19 | 2022 | ヘーレンフェーン | |
24 | GK | ボイ・ヴァーテルマン | 1984.1.24 | 2022 | OFIクレタ | |
26 | MF | イサーク・ババディ | 2005.4.6 | 2023 | ヨングPSV | |
27 | FW | イルビング・ロサノ | 1995.7.30 | 2023 | ナポリ | |
30 | DF | パトリック・ファン・アーンホルト | 1990.8.29 | 2023 | ガラタサライ | |
31 | MF | ティホ・ラント | 2006.1.11 | 2023 | ヨングPSV | |
34 | MF | イスマエル・サイバリ | 2001.1.8 | 2020 | ヨングPSV | |
41 | GK | キエル・ピアースマン | 2004.5.21 | 2021 | ヨングPSV |
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最終更新:2024/04/24(水) 19:00
最終更新:2024/04/24(水) 19:00
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