Soft Machine とは、60年代から80年代にかけて活動したイギリスのバンドである。
一般的にプログレやジャズロック、サイケ(初期)に分類される。特に、ファズを聞かせたオルガンやベースの印象が強い、カンタベリー系といわれるバンド群の中心的存在であった。しかし、メンバー交代の末にオリジナル・メンバーがいなくなるなどその性質が時期によって大きく変わったバンドでもある。
グループ名はバロウズのSF小説から。ソフトマシーン(柔らか機械)とは女性型アンドロイドの意。
オーストラリア出身のボヘミアン(いわゆるヒッピー)青年であるデイヴィッド・アレンは放浪先のイギリスでバロウズやロバート・ワイアットと出会う。仲良くなったアレンとワイアットの仲間たちは The Wilde Flowers(1964-1969) を結成する。このバンドはレコード・デビューすることはなかったし、またメンバーが固定されない流動的な集まりであったが、この流動的な人脈がいわゆるカンタベリー系バンド群の核となった。
そして66年、アレン、ワイアット、ケヴィン・エアーズ、マイク・ラトリッジ、ラリー・ノーランがワイルド・フラワーズを飛び出し Soft Machine が結成される。なお、ノーランはすぐに脱退した。
真性ボヘミアン、共産主義者、隈取りサイケ野郎、ひょろ長アフロのダダイストという最強の布陣である。
バンドはアレンの影響の下、サイケデリック・ポップ・バンドとしてピンク・フロイドと共にロンドンの UFO Club で活動する。67年にパリで演奏した帰り、アレンが麻薬所持で入国拒否されフランスに残留、そのまま脱退(後に GONG を結成)。バンドはデビューを前にリーダー、精神的支柱を失うも、ベース、オルガン、ドラムのトリオ編成として活動続行。
アレンの脱退により、本当のソフト・マシーンはレコード・デビュー前に終わってしまったと考える人もいる。
ギターの穴を埋めるようにラトリッジはオルガンにファズをかけるようになり、ソフト・マシーンらしいサウンドが完成する。ジミ・ヘンドリックスのアメリカツアーに帯同中に1stアルバム『The Soft Machine』を録音、発表する。その後のツアー中にポリスを結成するアンディ・サマーズをギターに迎えるなどしたがバンドは空中分解、エアーズは地中海の島(イビサ)にとんずらして脱退してしまう。参考→旅行先のカリブの島でくつろぐエアーズ
エアーズ脱退によって純粋なサイケ・ポップバンドのソフト・マシーンはここでほぼ終わってしまうため、このアルバムがソフト・マシーンの最初で最後のアルバムであると主張する人もいる。
残されたワイアットとラトリッジは The Wilde Flowers の頃の友人ブライアン・ホッパーの弟で、バンドの裏方をしていたヒュー・ホッパーをベーシストとして加入させて『Volume Two』を作成する。サイケデリックでポップなセンスのエアーズの代わりにホッパーが加入したことで、サウンドがややジャズよりに変化する。
3rdは1st-2nd間より音楽的に大きく変化するため、これがソフト・マシーン最後のアルバムだという人もいる。
3人では音が物足りなかったのか、バンドはキース・ティペット・グループからキング・クリムゾンの『Lizard』に参加したチャリグやエヴァンスなどイギリスのジャズロック屋のホーンセクション4人を加えて7人構成で3rdアルバム『Third』の収録を始める。しかし、チャリグとエヴァンスはすぐに脱退、5人で活動するもさらにドブソンが脱退。ジミー・ヘイスティングスなどをサポートメンバーして収録されたが『Third』が発表される頃には4人編成となった。どうも7人養う金がなかったらしい。
ソフトマシーンでもっとも有名なアルバム『Third』は、20分弱の楽曲がレコード2枚組アルバムの1面に1曲で全4曲という曲の内容抜きにプログレ感漂うアルバムで、スタジオでのラトリッジ主導のインプロヴィゼーションの録音のほかにライブの録音などを継ぎはぎ編集してある。ジャズ側の人間が増えたことで、ボーカル入りの曲は『Moon in June』1曲のみ(しかも収録版ではピアノなどもワイアットが一人で多重録音している)となり、またこれが実質最後のボーカルの入った曲となった。
一番知名度の高いアルバムであり、バンドはここからが絶頂期とも言うべき期間に入るが、最後の歌入りの曲があることなどからソフト・マシーン最後のアルバムと呼ぶ人もいる。
バンドはさらにジャズよりの路線を進み、ホッパーが主導権を握る。プログレやサイケポップの要素は限りなく薄まり、ワイアットは歌うことをやめた。サポートメンバーとして『Third』期に見た名前のほかにキース・ティペット・グループやニュークリアスのロイ・バビントン(Double Bass/つまり生ベース)の名前がある。『Fourth』をもってグループ結成以前からのメンバーであるワイアットがグループを離れ、ポップ派がいなくなった。ワイアットはアヴァンギャルド・ポップなソロ活動を経て、自分のバンド、マッチング・モウル(そっくりモグラ、「ソフト・マシーン」のフランス語訳「マシーン・モル」のもじり)を結成するなどヴォーカリストとして活躍する。
ワイアット脱退を持ってこれをソフト・マシーン最後のアルバムと呼ぶ人もいる。
音楽性の違いから脱退したワイアットの変わりにディーンがフィル・ハワードを連れてきて、ディーン主導で5thアルバムの収録が始まった。ジャズがやりたいハワードはソフト・マシーンのやりかたにマッチせず、代わりにニュークリアスのジョン・マーシャルがやってきて定着した。『Fifth』は完成したが、今度はディーンが自分のバンドに専念するために脱退してしまう。
絶頂期を引っ張ってきたディーンが脱退したことから絶頂期の終わりとして、本作をソフト・マシーン最後のアルバムと呼ぶ人もいる。
ディーンの変わりにニュークリアスからカール・ジェンキンスがやってきて、あっというまに主導権を握り、バンドの音はディーンのフリージャズからジェンキンスの計算されたオサレジャズロックに変化する。そんな中ライブ録音とスタジオ録音の2枚組アルバム『Six』が発表される。なぜSixthでなくSixなのかは謎。
曖昧模糊としたアヴァンギャルドが信条のホッパーがジェンキンスについていけず脱退する。度々サポートで入っていたニュークリアスのバビントンが加入。カール・ジェンキンス・グループのアルバム『Seven』ではシンセサイザーが導入されて、オサレサウンドに磨きがかかった。ファズ?なんのことだい?
レコード会社が変わり、久々にギタリストが加入した。元ニュークリアスのアラン・ホールズワースである。このソフト・マシーンのラトリッジもサポートメンバーとして参加している、ニュー・ニュークリアスの1stアルバム『Bundles』は、ニュークリアスの『Song for the Bearded Lady』のカヴァー『Hazard Profile Part One』で幕を開ける。元ニュークリアスのカール・ジェンキンスによるアンサンブルを押し出したクールなリフ主体の楽曲、元ニュークリアスのアラホのテクいギター、それを支える元ニュークリアスのバビントンのFender Bass-VIと元ニュークリアスのマーシャルのシンバルが印象的なフュージョン・アルバムである。ラトリッジはファズをかけたオルガンよりエレピとシンセを弾いている。
ついにラトリッジが脱退を決意する。これでオリジナル・メンバーの全員が脱退した。また、気まぐれな渡り鳥アラホも脱退したため、かわりにダリル・ウェイと一緒に演っていたジョン・エサリッジを引き込み、サックス奏者アラン・ウェイクマンを加入させて、ジェンキンスがエレピ専任となり、このメンバーで『Softs』を作成した。実質的ラスト・アルバムにして名作の部類である。
これをソフト・マシーンの最後のアルバムと呼ぶ人はいるが、ソフト・マシーンの最後のアルバムとして聴く人は多くない。
77年にはさらにメンバーを変更して本当のラスト・アルバムといえるライブ・アルバム『Alive and Well』を発表するが、バンドはすでにAliveでもWellでもなかった。その後実質的に解散となったが、81年に思い出したようにソフト・マシーン名義で真のラスト・アルバム『Land of Cockayne』を発表する。メンバーはジェンキンスとマーシャルのみで、他はジャック・ブルースをはじめゲストで固めたアルバムである。
なお、Land of Cockayne(コケインの地)とはロンドンのことであり、カンタベリーの名を冠した派閥の中心的グループとされながらも、ロンドンのジャズ・ミュージシャンにとってかわられて消えたバンドの名義のラスト・アルバムとしては、なんとも皮肉なタイトルである。
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最終更新:2024/04/18(木) 21:00
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