手軽な部品を使用して作られたそれは、彼が普段仕事として扱っているものに比べたら、
ごく簡単な作りの代物だったが、今の我々がそれを見たなら十人中十人がこう言うだろう。
Tennis for Twoとは、1958年に公開された「世界初のテレビゲーム(ビデオゲーム)」と呼ばれるものの一つである。
世界最初のテレビゲームと呼ばれるものは諸説あるが、これは世界で初めて
開発者は、原爆開発(マンハッタン計画)にも携わり、原爆の時限電子制御装置やレーダーの研究を行っていた物理学者のウィリアム・ヒギンボーサム博士(1910~1994)。原爆の恐怖も記憶に新しい1958年当時、博士の所属していたブルックヘイブン国立研究所は、地域住民への原子力研究に対する理解を深めてもらおうと、毎年秋に研究所を一般公開していた。が、機材や写真などの退屈な展示に対して住民の反応はイマイチだった。
そこで博士は「楽しんで研究を理解してもらうのが一番だろう」と、同僚の研究者であるロバート・ボブ・ドボラックと共に、アナログコンピューターと5インチのオシロスコープディスプレイを用いた二人で遊べる簡単なテニスゲームを開発。3週間で制作されたそれは、1958年10月に見学者へ一般公開されることになる。その反応は上々すぎるほどで、遊ぶために何時間も並ぶ人が出たなど大変に評判が良かった。
翌59年の見学会では、より大きな15インチのオシロスコープを使用し、地球より小さい月や、ずっと大きな木星など重力の異なる条件下でのボールの動きはどうなるかも示された。その後実験装置は解体されて部材は他の目的に回された。
名前は当時の楽曲およびアメリカ映画の題名「Tea for Two(二人でお茶を)」に由来するとされるが、資料によっては「名前がなかった」とするものもある。
戦後は核拡散防止活動の先頭に立ち、米国科学者連盟の初代議長と最高顧問を務めたヒギンボーサム博士には、「先端技術を平和的に利用してほしい」という想いがあったともよく言われる。ミサイルの弾道計算等の技術を応用したTennis for Twoは、まさにその想いを具現化した形と言えるかもしれない。
ヒギンボーサムがTVテニスゲームの原型を作ったことに疑いはないが、82年(アタリ社のVCSが普及していた)に雑誌記事で紹介されるまで誰にも知られない存在だったため、Tennis for Twoはその後のTVゲームの発達には影響を与えていない。[1]
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最終更新:2024/03/29(金) 21:00
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