U-549とは、第二次世界大戦中にドイツ海軍が建造・運用したIXC/40型Uボートの1隻である。1943年7月14日竣工。米護衛空母ブロックアイランドを撃沈し、護衛駆逐艦バールを撃破する戦果を挙げた。1944年5月29日、大西洋で沈没。戦果は1隻撃沈(9393トン)、1隻撃破(1300トン)。
1941年6月5日、ホヴァルツヴェルケ=ドイツ造船のハンブルク造船所に発注され、1942年9月28日にヤード番号370の仮称が与えられて起工。1943年4月28日進水、同年7月14日に竣工した。初代艦長には新進気鋭のデトレフ・クランケンハーゲン大尉が着任し、第4潜水隊群に所属して慣熟訓練を行う。
1943年7月15日から18日にかけてハンブルク造船所内で試運転を実施。それが終わるとキールに回航されて7月31日から8月7日まで諸試験に従事し、8月8日より4日に渡ってシュヴィーネミュンデの対空学校で対空教練を行う。8月15日にダンツィヒへ回航してボルム造船所で入渠整備。8月19日からヘラ半島拠点に訓練を行い、9月21日から23日までゴーテンハーフェンで整備を受けた後、9月24日から10月7日にかけてリバウで第25潜水隊群と魚雷発射訓練に、10月9日から20日まで第27潜水隊群と戦術演習に従事。10月21日に再びゴーテンハーフェンへ回航されて武装を施す。
10月25日と翌26日にピラウで第26潜水隊群と魚雷発射訓練を行った後、ロンネに向かってGHG水中集音装置のテストを受ける。11月1日、ハンブルク造船所に戻って残工事を実施。12月5日にキールへ回航した後、U-549に四連装対空機銃の設置工事を行い、12月12日から17日までリバウで第25潜水隊群と魚雷発射訓練に従事した後、シュヴィーネミュンデで再度対空訓練し、12月23日にシュチェチンで整備。
1944年1月1日、訓練を終えて狩人となったU-549は大西洋での戦闘任務のため第10潜水隊群へ転属。1月3日にシュチェチンを出港し、翌4日にキールへ到着したU-549は最後の戦備を整える。
1944年1月11日、クランケンハーゲン艦長指揮の下、キール軍港を出発。翌日ドイツ占領下ノルウェーのクリスチャンサンに寄港して燃料補給を行う。そして1月13日に最初の戦闘航海のため、灰色の海と白銀の空に繰り出した。艦はノルウェー西岸に沿って北上した後、アイスランド・フェロー諸島間の海域を突破して北大西洋へと進出する。
1月23日、BdU(Uボート司令部)より帰投するU-763に代わって気象観測船の役割を担うよう命じられ、アイスランド南方で1月26日から2月3日まで1日3回の気象報告を行う。交代のU-260に観測任務を譲った後は15隻のUボートからなるウルフパック「ヘッジホッグ」に参加。指定された哨区まで移動する。2月10日午前4時32分、U-545が爆雷攻撃を受けて自沈し、半径80海里圏内にいるU-549、U-714、U-984にU-545の沈没地点を報告するよう命令が下る。現場に急行するU-549だったが、翌11日正午頃にU-714が先に到着して生存者を収容したため、U-549は戦闘任務へ戻った。
2月17日、U-283、U-545、U-666を喪失したうえ戦果を挙げられなかった「ヘッジホッグ」は解散。同日16時27分に味方の哨戒機が敵船団の存在を報告したため、15隻からなる「ハイ1」に参加する。U-546、U-846とともに哨戒線を形成するも、U-264、U-386、U-406、U-603、U-709の5隻を失う大損害を受けて「ハイ1」は解散。2月22日より31隻からなる「プロイセン」に属して中部大西洋で遊弋する。
2月23日午後12時15分、U-212と合流してナクソスレーダーとボルクム装置を受領。しかし直後に両艦はカタリナ飛行艇による襲撃を受け、U-549は潜航退避、U-212は対空戦闘を行った。幸いU-549もU-212も損傷なく逃走に成功。2月27日21時頃、U-212が空襲を受けた旨を報告。3月17日に西方へ向かう敵の客船を発見して通報。3月22日に「プロイセン」は解散となったが、8隻喪失に対して攻撃成功は5回のみと寂しい結果で終わった。U-549はドイツ占領下フランスへの帰路に就き、3月26日にロリアンへ入港した。ここでU-549はシュノーケルの搭載工事を受ける。
5月14日、2回目の戦闘航海のためロリアンを出港。ビスケー湾を南西方向に向けて航行する。翌15日、U-549はブラジル北岸で哨戒するよう命じられ、カナリア諸島北西へと向かった。
5月28日午前0時50分、マデイラ南西方面でU-549はTBMアベンジャーのレーダーに捕捉される。敵機の主は対潜掃討部隊こと第21.11任務部隊の中核、ボーグ級護衛空母ブロックアイランドであった。敵機は知らず知らずのうちにU-549の上空を通過しており、慌てて旋回して戻った時には既に潜航退避を済ませて洋上から姿を消していた。そこへ更に1機のアベンジャーが派遣されてレーダーに光点が浮かび上がった。1時間に渡って敵機はU-549の位置を把握しようと努めたものの、闇夜のせいか雲の上から探すというミスをやらかして接触に失敗。午前0時55分、通報を受けた旗艦ブロックアイランドは護衛駆逐艦ロバート・I・ペインとアーレンスを現場へと急行させる。
第21.11任務部隊はこれまでにU-220、U-1059、U-801、U-66を葬ってきた対潜のプロだった。
午前6時54分、現場に到着したアーレンスは24発のヘッジホッグ攻撃を仕掛けたが、手応え無し。その後、ペインとともに海域をくまなく捜索し、上空からは旋回するアベンジャーが目を光らせて行方をくらませたU-549を炙り出そうとする。だがU-549は巧妙に逃れ続けて日中の捜索を空振らせる。20時45分、ブロックアイランドから夜間捜索用の6機のアベンジャーと1機の戦闘機を発進させて捜索態勢を強化。しかし22時30分、索敵中のアベンジャーから「レーダーの不調で1マイル先までしか探知出来ない」との報告を受け、健全なレーダーを持った機と交代させる事に。
1944年5月29日午前2時30分、ブロックアイランドは3機のTBFアベンジャー雷撃機と護衛戦闘機1機を発進させて空からU-549を捜索する。午前2時55分、アベンジャーが78マイル先から放たれるレーダー波を探知。その地点にU-549が潜んでいると考え、アベンジャー3機が攻撃に向かった。当該海域に到達するとアベンジャーは1000フィートまで高度を下げたのち照明弾を投下。昼間のように照らされた海上に、航跡を残しながら移動しているU-549の姿が浮かび上がり、そこへ別のアベンジャーが矢のように突進。爆弾倉を開いて爆雷を投下するが、幸い命中弾は出ず、照明弾の明かりが消えたのを見計らって急速潜航。レーダーから消失して敵機を振り切った。その後もアベンジャーは照明弾を投下してU-549を探し回ったが、空振りに終わる。第一ラウンドはU-549の勝利だった。
U-549が発見された場所は第21.11任務部隊から見て北方60マイルの地点にあった。だが護衛駆逐艦の燃料不足が深刻化しており、水上艦を派遣しての捜索が一時的に不可能となっていた。やむなくブロックアイランドは午前8時から正午までユージーン・E・エルモアとバールに燃料補給を行った。午後に入ると第21.11任務部隊はU-549の推定航路を割り出そうと海中をソナーで捜索。彼らはU-549は真っすぐに逃げ続けているだろうと推測した。第21.11任務部隊を振り回すようにU-549は予想外の行動を取り続け、15時18分にソナーでの捜索を断念させている。
17時、ブロックアイランドは6機の戦闘機を出撃させ、100マイル圏内を捜索。U-549が未だ浮上していない事を確認する。25分後、艦上機を収容して針路215度に変更。18時になると雨が降り始めた。当該海域では前線が発達しているらしく、次第に雨足が強くなって夜間飛行の計画が台無しになった。しかしU-549を逃がす訳にはいかないので、既に発進させていた6機のアベンジャーと戦闘機には捜索を続けるよう命じ、いざという時は陸上基地へ帰投するように伝える。19時30分、今から1時間後に無理やり2機を発艦させる事に。ソナーとレーダーによる捜索も再開する。19時55分にブロックアイランドはアベンジャー6機に母艦への帰投命令を出す。そうこうしているうちに第21.11任務部隊は南へ進み過ぎてU-549が潜む推定海域から離れてしまったため、20時頃、艦載機の収容作業が終わり次第、北上する事を決定。
空と海から同時に捜索を受ける中、U-549は恐るべき勇敢さを発揮していた。護衛駆逐艦バール、ユージーン・E・エルモア、ロバート・I・ペインが周囲を固める中、敵の旗艦であるブロックアイランドに狙いを定める。静かに、確実に。
20時13分、カナリア諸島西北西約300マイルで、何の前触れもなく3本のT3音響魚雷が白尾を引きながらブロックアイランドへ伸びてきた。まず1本目が護衛空母ブロックアイランド(9393トン)の前部に命中し、その3秒後に2本目が命中して艦内を破砕する。飛行甲板の左舷側が約10フィートに渡って曲がり、前部は航空機から漏れ出たであろう燃料でまみれていた。機関室の低圧タービンが爆発して艦は航行不能に陥り、生じた亀裂から海水が流入、艦内電源も既に失われて外部との通信不可、ステアリングエンジンが大破した事で操舵不能状態と化す。艦尾は約9フィート沈下し、艦体は僅かに左舷へ傾いている。乗組員はU-549からトドメの一撃を受ける事を覚悟したという。その懸念は的中し、20時23分に3本目が左舷艦尾に撃ち込まれた。これにより予備電源用のディーゼル発電機も停止して艦内通信が遮断、排水ポンプをも停止して機関室の浸水が止められなくなり、艦尾の沈下が更に進行、逆に艦首は70~80度の角度まで持ち上げられる。既に発進していた6機のワイルドキャットは降りる場所を失ってカナリア諸島に向かうも燃料切れで不時着水、闇夜のせいか2名のパイロットしか救助出来なかった。
ユージーン・E・エルモアはブロックアイランドの左舷側に潜望鏡を発見。直ちに爆雷攻撃を加えたが、U-549はこれを回避。しかし潜水艦に攻撃を加えた事でブロックアイランドの甲板から歓声が聞こえた。この攻撃失敗はU-549に更なる攻撃チャンスを与えた。20時40分にT5音響魚雷の一斉射撃を行い、護衛駆逐艦バールの艦尾を破壊・大破。乗組員4名が死亡、14名が負傷、12名が行方不明となる。手傷を負ったバールを守るためロバート・I・ペインが護衛に回る。2本目はユージーン・E・エルモアの近くをすり抜けていった。
U-549が一斉雷撃をした20時40分、ブロックアイランドでは乗組員の大半が艦を放棄して海へ脱出。少人数のグループが最後まで艦を救おうと努力して留まっていたが、あまりの浸水の酷さに誰もが諦観の念を浮かべていたという。21時40分にとうとう総員退艦が発令。大破していたブロックアイランドが深刻な浸水により急速に沈み始めたため、駆逐艦アーレンスが救援に現れて生存者の収容を始める。21時55分、ブロックアイランドは力尽きて転覆したのち沈没。水中で爆弾の誘爆が原因と思われる爆発音が轟くも怪我人は出なかった。幸運にも乗組員の犠牲者は6名のみと劇的な少なさで済んだ。
アーレンスがソナー探知によって位置を特定。未だ生存者救助に手一杯だったため、エルモアとペインをその場所へ向かわせた。そしてエルモアとペインからヘッジホッグ攻撃を受ける。3回目の攻撃が行われた時、2回の弱い爆発と1回の大きな爆発が発生。これはU-549の断末魔であり、乗組員57名全員死亡。ブロックアイランドは大日本帝國海軍以外の海軍に沈められた唯一の米空母であり、また大西洋で沈没した唯一の米空母にもなった。
6月12日、ノルマンディー上陸によりフランス方面が戦火に包まれたのを受け、Uボート司令部はアメリカ及びアフリカ沖に展開中のUボートに適宜ベルゲンへ帰投するよう命じたが、U-549からの返信は無かった。
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