ASローマ(Associazione Sportiva Roma)とは、イタリア・セリエAのプロサッカークラブである。
愛称はジャッロ・ロッソであり、ローマファンのことをロマニスタと呼ぶ。本拠地はイタリアの首都でもあるローマ、ホームスタジアムはスタディオ・オリンピコ。
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1927年にファシスト政権主導によって3つのクラブが合併し、ASローマを創設。エンブレムのオオカミのマークは古代ローマの建国神話におけるロムルスとレムスの兄弟の逸話から取られたものである。イタリアを代表する名門クラブの一つであり、セリエBに降格した1951-52シーズンを除く全シーズンでセリエAに参加。セリエAを3回、コパ・イタリアを9回制している。2022年には、新たに創設されたUEFAヨーロッパカンファレンスリーグの初代王者に輝いている。
1990年代のセリエA全盛期の時代は「セブン・シスターズ」の一角に入り、熱狂的なサポーターに支えられる人気チームだが、基本的にはユヴェントス、ACミラン、インテル・ミラノのビッグ3を追いかける立ち位置のチームである。2000年代にサッカーバブルが崩壊した後は、多くの負債に悩まされるようになり、2001年を最後にスクデットからは遠ざかり、中位に甘んじる時期が長くなっていた。近年はUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得の4位以内に入ることが現実的な目標となっている。
クラブにとって背番号10は特別な番号となっており、1970年代に"ピッキオ"と呼ばれたジャンカルロ・デ・システィ、その後”プリンチベ"と呼ばれたジュゼッペ・ジャンニーニ、その後クラブ史上最大のスター選手と呼ばれるフランチェスコ・トッティとローマの下部組織で育ったその時代を代表するファンタジスタに受け継がれている。トッティが現役を引退した2017年以降に10番を付けた者はいない。
同じくローマを本拠地とし、同じホームスタジアムのスタディオ・オリンピコを使用しているラツィオを敵視しており、非常に激しいライバル関係にある。両チーム同士の対戦はローマ・ダービー(デルビー・デッラ・カピターレ)と言われセリエAでもトップレベルの盛り上がりを見せる。ロマニスタ(ローマファン)とラツィアーレ(ラツィオファン)は犬猿の仲であり、非常に仲が悪いことでも知られている。
日本人選手では、中田英寿が2000年から2001年までプレーしており、外国人枠の関係でなかなか出場機会を得られなかったが、2000-2001シーズンのユヴェントスとの大一番でチームを救うゴールを決め、スクデット獲得の立役者となった。
また、セリエA中継の実況を担当している北川義隆アナウンサーは熱狂的なロマニスタとして知られている。
1927年、当時強豪であった北イタリアのクラブのライバルとなる首都の強豪クラブを作るためファシスト党のイタロ・フォッシによりローマを本拠地とするローマン、SSアルバ=アウダチェ、フォルティトゥード=プロ・ローマSGSの3クラブが合併し、ASローマが設立される。ちなみに後に永遠の宿敵となるSSラツィオはローマの主要クラブで唯一合併を免れている。
クラブ創設から15年目となった1940-41シーズンに初タイトルとなるスクデットを獲得する。しかし、栄光の時代とはならず、第二次世界大戦によるリーグの中断後はチームは低迷するようになり、1950-51シーズンにはセリエB降格の憂き目に遭う。1年でセリエAに復帰し、その後はセリエAに定着はするが成績は安定せず、首都ローマがカルチョの主役になる時代はなかなか訪れなかった。
1979-80シーズンにニルス・リードホルムが監督に就任。就任してすぐにコッパ・イタリア連覇を成し遂げたリードホルムは、パウロ・ロベルト・ファルカンやブルーノ・コンティといったスター選手をチームの中心とし、当時イタリアでは珍しいゾーン・ディフェンスを採用することで成功を収める。1982-83シーズンには42年ぶり2度目となるスクデットを獲得。1983-84シーズンにはUEFAチャンピオンズカップ決勝まで進出し、PK戦でリヴァプールFCに敗れはしたが、強豪としての地位を築きあげることとなった。リードホルムは1984年のコッパ・イタリア優勝を最後に退任し、後任は同じスウェーデン人のスヴェン・ゴラン・エリクソンが務める。新たにジュゼッペ・ジャンニーニがチームのシンボルとして台頭し、1984-85シーズンには当時絶頂期にあったミシェル・プラティニを擁するユヴェントスと熾烈な優勝争いを演じるが、一時は首位の座に就きながら終盤に敗れてスクデットを逃す(暗黒の日曜日)。
暗黒の日曜日以降、ローマは優勝争いから遠のくようになり、1990年代にはフランシスコ・センシが会長に就任し、アベル・バルボ&ダニエル・フォンセカの南米2トップの活躍、フランチェスコ・トッティの台頭などもあったが、当時のセリエAは世界最高のリーグと謳われるほどのリーグであり、その流れに乗り遅れてしまったローマは中位が定位置になってしまう。
1999年には低迷に終止符を打つべく、優勝請負人としてファビオ・カペッロを監督に招聘。これが功を奏し就任1年目から優勝争いに参加したが、中位を彷徨っていたこともあり選手層の薄さが他クラブとは格段に違い失速、結局UEFAチャンピオンズリーグ圏外の6位でフィニッシュ。これを受けクラブは大型補強をおこない、ビッグ3と比べても見劣りのしない強力なスカッドを手にする。特に、補強の目玉として獲得したガブリエル・バティストゥータの加入によって前線の火力は大幅にグレードアップし、カペッロらしい強固な守備をベースとしながら効率よくゴールを奪うサッカーが実現。絶対的なリーダーに成長したトッティを中心に序盤から首位を走り続けたチームは、ユヴェントスとの大一番を中田英寿の活躍で切り抜け、18年ぶり3度目のスクデットを獲得する。
しかし2000年初頭にサッカーバブルが崩壊。思うように補強ができなくなり優勝争いにも加われず、2004年にはスクデット獲得の立役者であったファビオ・カペッロ監督がユヴェントスへ移籍。そこからはカルチョ・スキャンダルなども影響し低迷する。
その後も優勝争いには度々顔を出すがインテルの圧倒的な強さを前に一歩及ばないということが多く、特に2007-08シーズンは最終節までもつれ込む大熱戦が繰り広げられたが、インテルが逃げ切って優勝。ちなみにこのシーズンに監督のルチアーノ・スパレッティが採用したシステムは、フランチェスコ・トッティを中央に配す「ゼロトップシステム」であり、後のサッカーに影響を与えることとなる。2009-10シーズンもインテルと優勝争いを繰り広げ、一時は首位に立つこともあったがインテルが優勝。インテルはこれで2005-06シーズンからセリエA5連覇を達成し、一方ローマは5年間に2位を4度経験するという苦い結果に終わってしまった。
2010年代に入ると、オーナーであるセンシ家の資金難が深刻になり、2011年には米国の外資へとクラブは買収されることになる。この頃、ルイス・エンリケやズデネク・ゼーマンを監督に招聘し、攻撃的なサッカーを模索するようになる。だが、いずれも中心選手とうまくいかずに短命に終わり、2013年に監督に就任したリュディ・ガルシアのもとでCL出場権を確保できるくらいの一定の成績を残せるようにはなるが、カルチョ・スキャンダルから立ち直り新たな黄金期を築いたユヴェントスとのチーム力の差は歴然で、ユーヴェのタイトル独占を指をくわえて見ているしかなかった。そして、2017年に長年チームのシンボルとして愛されてきたフランチェスコ・トッティが現役を引退する。
トッティ引退直後の2017-18シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは快進撃を見せ、準々決勝ではリオネル・メッシを擁するFCバルセロナを相手に1stレグは2つのオウンゴールを献上し1-4で敗れたが、ホームでの2ndレグでは3-0で勝利する大逆転で突破し34年ぶりに準決勝進出を果たす。準決勝でもリヴァプールFC相手に奮闘するが惜しくも敗戦。その後も資金力不足から主力選手の流出が相次いだこともあり、2020-21シーズンまで4シーズン連続でCL出場権に届かず、鳴り物入りでSDに就いたモンチもチームにかえって混沌をもたらし失脚することになる。
2021-22シーズンにジョゼ・モウリーニョが監督に就任。就任1年目では新設されたUEFAヨーロッパカンファレンスリーグでは決勝でフェイエノールトを破り、初代王者となる。2022-23シーズンにはUEFAヨーロッパリーグで決勝まで進出し、2シーズン連続で欧州の大会のファイナルに進出する。しかし、決勝でセビージャFCを相手にPK戦の末に敗れ、準優勝に終わる。その際、主審の判定が物議を醸し、モウリーニョが駐車場で主審を待ち伏せし、暴徒化したサポーターが空港で主審を襲撃する事件が起きる。
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | ダニエレ・デ・ロッシ | 1983.7.24 | 2024 | S.P.A.L | |
1 | GK | ルイ・パトリシオ | 1988.2.15 | 2021 | ウルヴァーハンプトン | |
2 | DF | リック・カルスドルプ | 1995.2.11 | 2017 | フェイエノールト | |
3 | DF | ディーン・ハイセン | 2005.4.15 | 2024 | ユヴェントス | |
4 | MF | ブライアン・クリスタンテ | 1998.1.8 | 2019 | アタランタ | |
5 | DF | エヴァン・エンディカ | 1999.8.20 | 2023 | フランクフルト | |
6 | DF | クリス・スモーリング | 1989.11.12 | 2019 | マンチェスター・U | |
7 | MF | ロレンツォ・ペッレグリーニ (C) | 1996.6.19 | 2017 | サッスオーロ | |
9 | FW | タミー・エイブラハム | 1997.9.27 | 2021 | チェルシー | |
14 | DF | ディエゴ・ジョレンテ | 1993.8.16 | 2023 | リーズ | |
16 | MF | レアンドロ・パレデス | 1994.6.29 | 2023 | ユヴェントス | |
17 | FW | サルダル・アズムン | 1995.1.1 | 2023 | レヴァークーゼン | |
19 | DF | ゼキ・チェリク | 1997.2.17 | 2022 | リール | |
20 | MF | レナト・サンチェス | 1997.8.18 | 2023 | パリ・サンジェルマン | |
21 | FW | パウロ・ディバラ | 1993.11.15 | 2022 | ユヴェントス | |
22 | MF | フセム・アワール | 1998.6.30 | 2023 | リヨン | |
23 | DF | ジャンルカ・マンチーニ | 1996.4.17 | 2019 | アタランタ | |
24 | DF | マラシュ・クンブラ | 2000.2.8 | 2018 | エラス・ヴェローナ | |
35 | DF | トンマーゾ・バルダンツィ | 2003.3.23 | 2024 | エンポリ | |
37 | DF | レオナルド・スピナッツォーラ | 1993.3.25 | 2019 | ユヴェントス | |
42 | DF | ラスムス・クリステンセン | 1997.7.11 | 2023 | リーズ | |
52 | MF | エドアルド・ボーヴェ | 2002.5.2 | 2021 | ローマユース | |
59 | MF | ニコラ・ザレフスキ | 2002.1.23 | 2021 | ローマユース | |
60 | MF | リカルド・パガノ ※ | 2004.11.28 | 2023 | ローマユース | |
61 | MF | ニッコロ・ピジリ ※ | 2004.9.23 | 2023 | ローマユース | |
62 | MF | フィリッポ・アレッシオ ※ | 2004.12.24 | 2023 | エンポリ | |
63 | GK | ピエトロ・ボーア | 2002.5.12 | 2022 | ローマユース | |
64 | FW | ルイジ・ケルビーニ ※ | 2004.1.15 | 2023 | ローマユース | |
65 | MF | マーティン・ペトカル ※ | 2004.2.21 | 2023 | タリンナ・カレプ | |
66 | MF | マティア・マンニーニ ※ | 2006.7.8 | 2023 | ローマユース | |
67 | FW | ジョアン・コスタ ※ | 2005.3.29 | 2023 | ローマユース | |
68 | MF | フランチェスコ・ダレッシオ ※ | 2004.2.21 | 2023 | ローマユース | |
69 | DF | アンヘリーニョ | 1997.1.4 | 2024 | ガラタサライ | |
70 | DF | マテオ・プライヤ ※ | 2006.3.29 | ローマユース | ||
72 | DF | ロブロ・ゴリッチ ※ | 2006.3.5 | ローマユース | ||
73 | GK | レナト・マリン ※ | 2006.7.10 | ローマユース | ||
74 | DF | ジャン・オリベラス ※ | 2004.7.7 | ローマユース | ||
90 | FW | ロメル・ルカク | 1993.5.13 | 2023 | インテル | |
92 | FW | ステファン・エル・シャーラウィ | 1992.10.27 | 2021 | 上海申花 | |
99 | GK | ミレ・スヴィラル | 1999.8.27 | 2022 | ベンフィカ |
※はプリマヴェーラ所属選手。
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最終更新:2024/04/24(水) 05:00
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