B20 単語

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ビーニジュウ

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国鉄B20形蒸気機関車とは、日本国有鉄道の前身である運輸通信省が製造した入換作業用の小タンク蒸気機関車である。

称は「豆タンク」。

概要

第二次世界大戦末期から終戦直後にかけて15両が製造された機関車である。どのくらい小さいのか。その大きさ、全長7m、全高3.15mである。同じタンク機関車C11が全長12.65m、全高3.9mであるから、べるとその小ささがよく解る。

B20は第二次世界大戦中の物資不足の時代に可なかぎり資材を節約し、手軽に製造することを的に設計された機関車であった。そのため戦時設計仕様によく見られる装飾の省かれたな見たとなった。また、国鉄形では一簡素な飽和式のボイラーを用いている。

製造は運輸通信省工場にて5両。また当時産業用の小機関車を多数製造していた富山県立山重工業にて10両が製造された。

運用

構内入換用として製造されたB20であるが立山重工業の10両が戦後納入されたこともあり、実際に入換え作業に従事したのは横須賀米軍基地に配置された数両のみであった。各地機関区に配置されたものは、火状態の機関車の入換え、構内での石炭輸送にて運用されるにとどまった。

B20は戦時戦中の物資不足の中製造されたものであり材質が良くなく、また国鉄としてはあまりに小すぎて特殊なため扱いづらくほとんどが齢の若い内にされることになった。蒸気機関車末期まで使用されたものは小樽築港機関区の1号機と鹿児島機関区の10号機のみであった。この2両もどちらかと言えばマスコット的存在として扱われていたとか。

保存機

静態保存機に北海道岩見沢市国鉄万字線朝日跡「万字線鉄道公園」の1号機がある。

動態保存機に京都鉄道博物館の10号機がある。以下10号機について記す。

10号機

鹿児島機関区に所属しており、昭和47年1972年)に梅小路蒸気機関車館に収められる。

当初は動態保存対機であったものの、昭和54年1979年)に籍を失い静態保存となった。しかし、平成14年(2002)年、梅小路蒸気機関車館開館30周年、JR西日本発足15周年を記念して動態復元されることになり、同年中に復元され動態保存機となった。籍はなく、展示走行用の備品扱いとなっている。

現在梅小路蒸気機関車館から生まれ変わった京都鉄道博物館内で火状態の機関車の入換えや汽の吹鳴ショーを行なっており、小さな頑り屋の機関車は今も京都鉄道博物館マスコット的存在として活躍している。

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