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ビートルズ

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Beatles(ビートルズ)は、史上最も成功したバンド(by ギネスブック)。正式名称は「The Beatles」。

掲示板24よりぴーさんの絵

イギリスアルバムチャート51週連続1位を始めとした多数の記録を持つ20世紀を代表するアーティストである。とても全ては書ききれないので、詳しくはWikipedia等を参照されたし。

メンバー

略歴

1962年デビューシングルLove Me Do」が英国チャート17位を記録すると二枚目シングルPlease Please Me」が2位になり、このヒット英国を中心に人気に火がつき、く間にスターとなった。
1stアルバム「Please Please Me」は英国チャートにおいて30週もの間トップを記録し続け、31にビートルズの2ndアルバム「With the Beatles」が入れ変わりでトップを記録。こちらも21週連続でトップキープし、ビートルズは英国チャートにおいて51周連続一位という偉業を成し遂げた。

1964年にはアメリカ進出にも成功し、ビルボードシングルチャートTOP5を独占する快挙を達成。同年に発売された「抱きしめたい(I Want to Hold YouHand)」は当時のシングル売り上げ記録を塗り替え、現在世界歴代シングル売上枚数で第5位となっている

また映像作品においても多数の功績を残している。

1964年、『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(A Hard Day's Night)』(②)[1]演し映画に進出。次作『ヘルプ!4人はアイドル(Help!)』(③)はカラーで撮影された。実際にメンバーが冗談混じりにっている他、これらの監督を務めたリチャードレスター(後に『ナック(The Knack ...and How to Get It)』でカンヌ国際映画祭最高賞(パルムドール)受賞)はMTVから「方がMTVだ」と賞状を贈られた。

1965年ニューヨークのシェイ球場MLBメッツNFLのジェッツのホームグラウンド)で5万5千人をえる熱狂的な観客の前で史上初のスタジアムライヴを開催した(④)。球場開催は最大多数の観客を迎えるためであり、以降は彼らのライヴ形式として定着するが、一躍世界トップスターとなった彼らのこうした状況こそが後のライヴへの意欲低下の大きな原因となった。

同年末、自分たちで撮影した映像TV局に渡すという方法を考え出す(⑤)。実はメンバーたちは新曲をリリースする度に大規模なツアーを行ったりTV出演を繰り返す必要がある事に体的にも精的にも疲弊していたし、折ライヴでも納得のいく音響が伝えられず(当時はステージ上を映すモニターく、十分な音量と音質を伝えられる高出アンプ等の音響機材を備えた施設もんどい上、開放式球場では音が十分に反せず拡散してしまう)、そもそも「大勢の警備員で厳重に警しないと自分らと観客の双方の安全を図れないライヴ」に果たして意味はあるのだろうか、といった疑問は彼らの中に徐々に募っていった。

1966年、彼らが世界ブームの火付け役となったロックミュージックは、特に年配者や体制側の理解により一大社会問題となっていた。そんな大騒ぎの渦中で最初で最後の来日演(6/30~7/2、日本武道館)を行う。彼らは既にライヴへのモチベーションを欠いていたため数あるライヴの中でも最低クラスクオリティであったが、皮にもこの時撮影されたカラー映像は当時のビートルズを撮影した映像の中でも特に鮮明なものとして、後にファンの間で有名となる(⑥)[2]

結局1966年8月を最後にコンサート活動を終了し、1967年以降はスタジオでのアルバム製作に重点を置くことになった。この時期に生まれたPV作品では「レインRain)」では屋外での撮影を行い(⑦)、「ストロベリーフィールズ・フォーエバーStrawberry Fields Forever)」(⑧)では演奏シーンしてサイケデリック世界を表現して映像としても高い評価を受け、後のPVへの影を及ぼした。

史上初の衛星中継番組「OUR WORLD」にイギリス代表として出演し、書き下ろしの新曲「こそはすべて(All You Need Is Love)」を世界中に披露する(⑨)など活動は順調だったが、1967年8月マネージャーブライアン・エプスタインの死を機に歯車が狂い出す。同年末に発表した自主制作映画マジカルミステリーツアーMagical Mystery Tour)』(⑩)は映画としては酷評されたが、現在ではPVとしてシュール映像音楽に重なる場面が特に評価されている。

1968年以降、険悪になっていく一方のメンバー結束を取り戻そうと、ポール・マッカートニーライブ活動への回帰を提案。同時に、リハーサルを撮影し復活を追ったドキュメンタリー映画製作する事となり、1969年1月に「Get Back原点回帰)」と名付けられたセッションが始動する。しかしこプロジェクト全に逆効果となり、人間関係が余計に悪化する原因となってしまった。ライヴシーンは「Rooftop Concert屋上コンサート)」と銘打たれ(⑪)、深夜ロンドンスタジオ屋上(気温2℃)でのゲリラライヴという形で行われたが、これが人前での最後のライヴとなった。

撮影されたフィルムは――ポールの当初の願いとは逆の形で――『レット・イット・ビー(Let It Be)』(⑫)、つまり「在るがままに」と名前を変え、解散へと向かうビートルズの姿を追った映画として1970年開され(監督は「レイン」のPV等を手掛けたマイケルリンゼイ=ホッグ)、同名のシングルアルバムが最後の作品となった。翌年3月ポールが解散をめた裁判がロンドン高裁で結審し、ビートルズは正式に解散した。

そして1980年ジョン・レノンがダコタ・ハウスで射殺された事で再結成は実現しないと思われていたが…
19951996年ジョンが生前残したテープにオーバーダビングする形で25年ぶりに製作された2曲の新曲「フリー・アズ・ア・バード(Free as a Bird)」「リアルラヴReal Love)」をリリースした(⑬)。

その後2001年ジョージ・ハリスンが死去、現在も存命なのはポールリンゴ・スターの2人である。

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関連項目

脚注

  1. *この邦題の命名者はユナイト映画宣伝マン時代の水野晴郎
  2. *ちなみに、この演の前座演奏ザ・ドリフターズが前座用ではなくビートルズ用のステージに上がり込み約40演奏した(そして退場の際にすれ違ったポールベースいかりや長介ベースが接触し「いかりや『が』怒られた」)が、当時素人だった志村けんは彼らが出ていない7/2の演を観たためにこの劇的シーン撃していない。前座を務めたのは他にも内田裕也桜井五郎尾藤イサオ望月浩、ジャッキー吉川ブルーコメッツ、寺内タケシブルージーンズ、という層々たる顔ぶれだった。

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