マクドネル・ダグラスF-4 ファントムII(McDonnell Douglas F-4 Phantom II)とは、アメリカ合衆国で開発された戦闘機である。
マクドネル・ダグラスF-4 MacDonnell Douglas F-4 | |
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用途 | 艦上戦闘機 / 迎撃戦闘機 / 戦闘爆撃機 |
分類 | ジェット戦闘機 |
製造者 | マクドネル・エアクラフト マクドネル・ダグラス |
運用者 | アメリカ海軍 |
アメリカ空軍 等... | |
総生産数 | 5,195機 |
初飛行 | 1958年5月27日 |
退役 | 1996年 - USAF |
マクドネル・エアクラフト(後のマクドネル・ダグラス、現:ボーイング)がアメリカ海軍(USN)の艦上戦闘機として開発した双発式ジェット戦闘機。愛称は「ファントムII」。複座で前席が操縦、後席がレーダー・航法を担当する。原型機は1958年に初飛行している。
海軍のみならず海兵隊・空軍も採用し、また海外にも多数輸出されている。航空自衛隊でも要撃機と偵察機として採用されていた。アメリカではすべての機体が退役している。
1950年代アメリカ海軍は艦隊防空を行う超音速戦闘機開発の道を模索していた。海軍初の実用的超音速ジェット戦闘機であるグラマンF11Fタイガーは良好な運動性能を持っていたものの、小型・軽量であることから搭載量や電子機器、航続距離などに不安を抱えており、超音速飛行性能や搭載量の優れる後続のチャンスボートF8Uクルセイダーにすぐに取って代わられることとなっていた。よりスピードを、より搭載量を、という風潮で生まれた機体がこのF-4である。
開発当初の名称はAH-1、後に海軍式の命名規定によりF4H-1となり、ヴォート社のF8U-3スーパークルセイダーと争い、最終的に採用された。その後3軍統合呼称変更により、F4H-1からF-4Bに名称を変更している(F4H-1の45号機までをF-4Aに変更)。
F4H-1の試作機が数々の世界記録を樹立したことに触発された米空軍は1961年にF4H-1とF-106Aの評価試験を実施したところ、F4H-1のほうが優れているという結果になった為、当時進めていたTFX計画(F-105の後継としてF-111を開発)の遅延を理由にF4H-1をF-110Aスペクターとして採用した。その後1962年に名称をF-110AからF-4Cに変更している。
F-4Cは、エンジンの換装や空中給油装置の変更(プローブ式からブーム式へ)を初めとして多くの変更が加えられた。その後D型やE型、偵察型も作られている。
当時の戦闘機としては大型の部類に入る。先端が上方向に折れ曲がった上反角のついた翼画を持つ。翼自体の面積は機体規模に対して大きめとなっており、見た目に反して良好な旋回性能を持つ。反面翼配置の関係によって低速時の操縦性が大きく変わり(操縦桿を倒した方向とは逆に傾くアドバースヨーが発生する)、普通の機体と同様に操縦すると最悪墜落する悪癖も持っている。そのため低速時、特に着陸時の操縦がしにくい機体となっている。
搭乗員は2名。海軍では前席にパイロットを乗せ、後席にRIO(Rader Intercept Officer:レーダー迎撃士官)と呼ばれるレーダー操作のみを行う専用の要員を乗せて飛行する。そのため後席からは機体の操縦はできない。空軍では後席にもパイロットが座り、飛行を行うこととなっている。そのため後席にも操縦装置がある。
エンジンはJ79の双発である。J79はF-104などでも採用された推力と信頼性を兼ねそろえた傑作エンジンであり、これを双発とすることによって高い加速力や上昇力を確保する。ただしエンジンから黒煙が出やすく、目視戦闘下で発見されやすい欠点もある。後期生産型ではある程度改善された。エンジンの高出力と上述した大きな翼によって支えられた搭載力もきわめて高く、大量のミサイルや爆弾を携行可能。
機種に大型のレーダーを装備し、当時の機体としては群を抜く探知距離を誇る。レーダーと連動してAIM-7スパロー空対空ミサイルを運用可能であり、目視戦闘しかできない敵機に対してかなり大きなアドバンテージを持っている。しかし、ベトナム戦争初期には相打ちを恐れて視界外戦闘を禁じた交戦規定やずさんなメンテナンスなどによりミサイルの性能が十分に発揮されず、戦争通じて命中率は10パーセント程度とあまり芳しいものではなかった。また、操作法も複雑で、レーダー員に大きな負担を与えていた。
空対空ミサイルは前述したスパローのほか赤外線誘導式のAIM-9サイドワインダー、空軍機にのみ赤外線誘導式のAIM-4ファルコンを装備可能。対地兵装として各種爆弾やAGM-62ウォールアイTV誘導爆弾、AGM-45シュライク対レーダーミサイルなど多彩な兵器を運用可能である。機関砲は装備していないが必要に応じてガンポッドなどを携行可能、さらに空軍向けの後期型ではM61バルカン砲を機首に固定装備した。
原型初飛行は1958年、1961年に海軍への引き渡しが開始されている。翌1962年に海兵隊への配備も始まった。
海軍のみならず、その高い飛行能力は空軍の関心も引き、ロバート・マクナマラ国防長官による海軍・空軍共通の戦闘機を採用することによるコストダウンへの圧力もあって1964年に配備が開始された。
1965年から始まったベトナム戦争にも多数投入されている。多くの戦果をあげたものの作戦回数が多かったこともあり被撃墜数もかなりの数に上った。
上述した通り、投入直後はミサイルが所定の性能を発揮できず、軽快な旧ソ連製のMiG-17やMiG-21に格闘戦に引き込まれ、バタバタ落とされていったのである。
こうした動きにアメリカ空軍と海軍はそれぞれ解決策を見出した。
アメリカ空軍は経験豊富なベテランパイロットが経験の浅い若手パイロットに任務の帰り道での安全な場所で格闘戦の訓練を行いパイロットの技量向上を行った。また、ミサイルの信頼性の低さに対する解決策として機銃を装備したF-4Eの開発を行った。
アメリカ海軍は逆に、ミサイルが所定の性能を発揮できるようにと兵器への適切な管理を徹底したうえで、戦闘機やミサイルの性能を最大限優位に活かすような教育を行うべきだと考え、海軍戦闘機兵器学校(通称トップガン)を開設し、各部隊から選抜されたパイロットに英才教育を行った。
卒業生が各部隊で訓練した内容をレクチャーし、共有した結果、戦争末期には海軍のファントムライダーたちは面白いように北ベトナム空軍のMiGを撃墜し、キルレシオは大幅に改善した。
湾岸戦争でもF-4Gが投入されイラク軍の地対空陣地破壊に多大な貢献をした。
アクロバットチームである海軍のブルー・エンジェルス、および空軍のサンダーバーズにも採用されていた。ただしオイルショックを機に海軍はA-4、空軍はT-38に機種変更された。
アメリカ空海軍、および海兵隊では現在すべての機体が退役済みである。
イスラエル空軍ではアメリカから多数が供与され、F-15やF-16が配備されるまでは対空・対地ともに主力機であった。第4次中東戦争では数十機がアラブ側の濃密なAAA(対空砲火)やSAM(地対空ミサイル)軍の餌食になったものの、それにもめげずに改良された妨害装置などを装備して果敢に爆撃任務を行った。
イラン空軍にも輸出されたがイラン革命により、反米イスラム原理主義政権が成立したこともあって部品の供給が途絶え、稼働率が大幅に低下した。だが裏でアメリカが補修パーツを輸出していたことが明らかになり国際問題化した(イラン・コントラ事件)。イラン・イラク戦争で実戦を経験したほか、1984年にはサウジアラビア空軍のF-15と交戦し、2機撃墜されている(マクドネル・ダグラス社製の戦闘機同士が交戦するという珍事)。
日本や韓国、西ドイツ、イギリス、イスラエル、ギリシャなどで採用され合計5000機以上作られた。
日本では航空自衛隊の第2次F-Xに採用され、アメリカ空軍向けのF-4EをベースとしたF-4EJを1971年から部隊配備することになった。
導入時、野党がF-4の攻撃力に対して周辺国に過度な脅威を与えると反発したため、対地攻撃用のコンピューターや空中給油装置を外すことになった。
また、邀撃戦闘機としての加速性能を重視たため、ベースとなったF-4Eに装備されている前縁スラットは有していない。
こうして配備・運用が始まったF-4EJだが、戦闘機としての能力不足を露呈する出来事が発生した。
極東ソ連空軍に所属するベレンコ中尉の搭乗するMiG25フォックスバットが函館空港に強行着陸し、アメリカに亡命した事件であったが、この際千歳基地からスクランブル発進したF-4EJがMiG25をレーダーロストし、見失うという失態を演じた。
これは、F-4EJに搭載されているレーダーがルックダウン・シュートダウン能力を有していないためにおこったミスであったが、事態を重く見た航空自衛隊は早期警戒機の導入を行ったほか、F-4EJのレーダーを強化する計画を立てた。
そうして1980年代にF-4EJ改への改修計画が立てられ、大規模な改修が行われた。
主に改装内容は以下の通りである。
改修されなかったF-4EJの一部は偵察用としてRF-4EJに改修された。RF-4EJは偵察ポッド運用能力が追加されている。
F-4Eを偵察機に作り変えたRF-4Eと、F-4EJを偵察型に改修したRF-4EJは2019年度末に退役し、[2]戦闘機型のF-4も2020年12月に運用を終了、[3]岐阜基地の飛行開発実験団の5機のみが残っていたが、2021年3月に全機退役し、航空自衛隊から姿を消した。
最終生産機である440号機(通称シシマル)は、静岡県浜松市にある航空自衛隊浜松広報館(エアパーク浜松)で展示中。
F-4E | |
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乗員 | 2名 |
全長 | 19.20 m (63 ft 0 in) |
全幅 | 5.02 m (16 ft 6 in) |
全高 | 5.0 m (16 ft 6 in) |
主翼面積 | 49.2 m2 (530.0 ft2) |
空虚重量 | 13,757 kg (30,328 lb) |
全備重量 | 18,825 kg (41,500 lb) |
最大離陸重量 | 28,030 kg (61,795 lb) |
最高速度 | Mach 2.23 (2,370 km/h、1,472 mph) / 12,190 m (40,000 ft) |
実用上昇高度 | 18,975 m (60,000 ft) |
上昇率 | 210 m/s (41,300 ft/min) |
フェリー航行時航続距離 | 2,600 km (1,615 mi、1,403 nmi) |
エンジン製造者 | GEエアクラフト・エンジンズ (GEアビエーション) |
メインエンジン | ゼネラル・エレクトリックJ79-GE-17A 軸流圧縮式ターボジェットエンジン × 2基 |
ドライ推力 | 52.53 kN (11,808 lbf) × 2 |
アフターバーナー推力 | 79.62 kN (17,898 lbf) × 2 |
推力重量比 | 0.86 (全備重量時)、0.58 (最大離陸重量時) |
日本でのF-4EJファントム人気の一端を担うといっても過言ではない作品。原作・史村翔(中の人は武論尊)、作画・新谷かおる。
航空自衛隊百里基地に所属する神田鉄雄(通称・百里基地のゴリラ)と栗原宏美(通称・百里基地の大型コンピュータ)、二人のファントム乗りを中心としたコミック。
航空機などのリアルな描写やシリアスなストーリーで人気があるが、同じ作者(新谷)の代表作である「エリア88」に比べると場面場面でのギャグコメディが多い。
神田・栗原コンビの乗るファントムは個別番号680。尾翼とエアインテークに山型の塗装が施されており、自称「新撰組」。このF-4EJでF-15イーグルに勝ったりマッハ2.6を叩き出したり(カタログスペック上はマッハ2.23が限度)とやりたい放題。
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最終更新:2024/10/12(土) 13:00
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