FCバルセロナ(Futbol Club Barcelona)とは、スペイン・ラ・リーガに所属するサッカークラブである。
本拠地はカタルーニャ州のバルセロナ。ホームスタジアムはカンプ・ノウ。愛称は「バルサ」。チームカラーは青と臙脂(Blau Grana)。
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1899年に創設。レアル・マドリーと並びスペインを代表とする強豪クラブであり、数々の栄光を手にしている欧州を代表する名門クラブの一つである。
ラ・リーガでは27回優勝しており、クラブ創設から1度もプリメーラ・ディビシオンから降格したことがない(この記録を持つのはバルセロナ以外にレアル・マドリー、アスレティック・ビルバオの2クラブだけである)。UEFAチャンピオンズリーグ(CL)では5回優勝。現在、6クラブのみであるビッグイヤーの永久保持が認められているクラブの1つであり、スペインのクラブでは唯一CL、リーガ、コパ・デルレイの三冠(トレブル)を獲得した経験のあるクラブである。バルセロナは2009年と2015年の二度達成しており、欧州のクラブで二度トレブルを達成しているのはバルサとバイエルン・ミュンヘンの2チームのみである。
「クラブ以上の存在(MÉS QUE UN CLUB)」がクラブのスローガンであり、ユニフォームの後襟にもこの言葉がプリントされているほかカンプ・ノウの客席にも椅子の色を変えて示されている。その背景には、1919年のカタルーニャ自治憲章制定運動があり、「カタルーニャ民族主義の精神の現れ」「FCバルセロナはカタルーニャ民族主義の象徴である」「FCバルセロナ人のアイデンティティーの象徴」と言われている。
「攻撃的でスペクタクルなフットボール」をクラブのアイデンティティとしており、試合に勝ったとしても内容が伴わなければサポーターから容赦ないブーイングが浴びせられる。1990年代以降は、ヨハン・クライフの哲学がクラブのアイデンティティとなっており、トータルフットボールによる側面が強いポゼッションフットボールが受け継がれている。2010年代にジョゼップ・グアルディオラがクライフの思想をさらに進化させ、世界中のフットボールに大きな影響を与えている。
レアル・マドリードとは非常に激しいライバル関係にあり両チームの対戦する試合はエル・クラシコと呼ばれ、世界で一番有名なダービーマッチになっている。バルセロナとレアル・マドリード間の移籍は「禁断の移籍」とされ、「裏切り」と呼ばれることも多い。特に2000年にルイス・フィーゴがマドリーに引き抜かれたときのサポーターの怒りは尋常ではなく、移籍後最初のクラシコでフィーゴに対して大ブーイングが起きただけでなく、豚の頭が投げ込まれたことは語り草となっている。また、同じくバルセロナを本拠地とするエスパニョールともライバル関係にあり、両チームが対戦する試合はバルセロナダービーと呼ばれる。
クラブ運営上の特徴として一般市民などからソシオと呼ばれる会員を募り、その会費でチームを運営している点が挙げられる。会員は現在世界中で18万に達しており、日本でも2004年6月よりソシオの募集が行われている。しかし、近年は巨額の債務を抱えていることが大きな問題となっており、2021年1月25日に発表された年次報告書から、その額は約1478億円にのぼることが判明。その影響でクラブの歴代最高のプレイヤーと言われるリオネル・メッシの放出を余儀なくされてしまった。
1899年にスイス人実業家ジョアン・ガンペールら11名により創立。設立から11年後の1910年にコパ・デル・レイで優勝し、初タイトルを獲得する。1912年と1913年にはコパ・デル・レイを連覇しており、人気クラブとして有名になっていき、観客席に人が入れず、当時のファンは壁に昇って試合を観戦していた。このとき彼らがお尻を外側に向けていたことから、バルサのファンのことをお尻を意味する「クレ」と呼称するきっかけとなった。
1919年の『カタルーニャ自治憲章』制定運動がバルセロナを中心をするカタルーニャで起き、クラブが参加した時に「クラブ以上の存在」というスローガンが初めて使用された。
設立から30年目を迎えようとする1929シーズンにはリーガ・エスパニョーラで初めて優勝したが、その後勃発するスペイン内戦の際、当時のフランシスコ・フランコの独裁政権による弾圧によって苦しい時代を過ごすことになる。一時はチーム解体の危機にまで直面するが、中央政府からの抑圧に屈せず「カタルーニャの象徴」として維持されていた。1940年代後半から1950年代にかけてリーグ優勝を果たすなど、チームはサッカーにおいても復権するようになり、特に1950年に加入したハンガリー出身のラディスラオ・クバラの活躍によって1952年と53年の二年連続で国内二冠を達成するなど、5つのタイトルを獲得。バルサの英雄となったクバラの存在によってスペイン内戦の際に減っていたソシオの数が増大、レアル・マドリードに対抗する存在として成長。1957年には、専用スタジアムであるカンプ・ノウが完成する。
しかし、1960年代に入るとカンプノウ完成に伴った莫大な費用によってチームは借金を多く抱えてしまい、財政難に陥ってしまう。加えて、スペイン政府がリーガに介入するようになり、カタルーニャを拠点とするバルサを目の仇とし、バルサを弱くするための新しいルールを作って弱体化を図る。このような背景から60年代のバルサは弱体化が進むようになり、10年以上リーガのタイトルから遠ざかる困難な時代が続く。
1970年代になりチーム再建のため、クラブが目をつけたのが当時トレンドとなっていたオランダの「トータル・フットボール」だった。まず、1971年にトータル・フットボールの創始者であるリヌス・ミケルスを監督として招聘。そして1973年、後にクラブの思想に大きな影響を与える人物となるヨハン・クライフが加入。これによって見違えるように生まれ変わったチームは低迷期から脱出し、1974年には長年煮え湯を飲まされてきたレアル・マドリードを相手に5-0で圧勝し、14シーズンぶりのリーグ優勝を果たす。クライフはまさにバルサにとっての救世主となった。1979年にはクライフの進言により、アヤックス・アムステルダムをモデルとした「ラ・マシア」が設立され、育成に力を入れるようになる。
1980年代になると、クライフ退団後の新たなチームの象徴としてディエゴ・マラドーナを獲得。だが、マラドーナはチームに馴染むことができず、数々の問題行動を起こすようになり、1984年には相手選手との乱闘で暴力行為をおこない、3か月の出場停止となった後にそのまま退団。マラドーナを中心としたプロジェクトはあえなく破綻してしまう。
1988年にヨハン・クライフが監督に就任。クライフは再びチームに華麗で攻撃的なパスサッカーを植え付けると、1991年から1994年までの間にリーガ・エスパニョーラ4連覇を達成。1991-92シーズンには、UEFAチャンピオンズカップを制し、クラブ史上初めて欧州の頂点に立つことになる。クライフが在任した1988年から1996年までのチームは、ミカエル・ラウドルップ、ロナルト・クーマン、フリスト・ストイチコフ、ロマーリオといった外国籍のスター選手とジョゼップ・グアルディオラらラ・マシア出身の選手が融合し、「エル・ドリームチーム」と称えられ黄金期を築くことになり、国外からも多くのファンを獲得するきっかけとなる。ドリームチームの全盛の時代は、宿敵レアル・マドリードを完全に上回った時代であった。そして、この頃の「美しく勝つ」というクライフの哲学は選手だけではなく、クラブの首脳陣やソシオにも浸透するようになり、そのままバルサの哲学として後のクラブに受け継がれることになる。もっとも、ドリームチームは1994年のロマーリオの退団を皮切りに、クーマンそしてクライフと対立するようになったストイチコフの退団、1996年にはクライフが退任したことによって終焉を迎えることになる。
1996-97シーズンにクライフの後任としてボビー・ロブソンが監督に就任し、ブラジルの怪物ロナウドが加入。当時20歳だったロナウドは圧倒的な得点力でコパ・デル・レイとUEFAカップウィナーズカップ優勝をもたらす。だが、ロブソンに「私の戦術はロナウドだ」と言わしめた新エースはわずか1年でインテル・ミラノに引き抜かれてしまう。
1997-98シーズンには、クライフと同じオランダ出身のルイス・ファン・ハールが監督に就任。就任1年目はリバウドの活躍もあって国内二冠と結果を残すが、独善的な指導方法に加え、カンテラを軽視し古巣であるアヤックスの選手を多く加入させるやり方に次第にファンとの関係が悪化。チームは「バリャックス」と揶揄されるようになり、1999-00シーズンは体たらくなサッカーを見せて無冠に終わったことでソシオの不満が爆発し、ファン・ハールは解任となる。この頃のバルサは主力だったルイス・フィーゴをレアル・マドリードに引き抜かれたこともあり4シーズン連続で無冠に終わる「暗黒時代」に突入し、2002-03シーズンにはCL出場権すら逃している。「銀河系軍団」として注目を浴びるレアル・マドリードにリーガの主役の座は完全に奪われていた。
2003年、ジョアン・ラポルタが会長に就任。クライフの推薦によってフランク・ライカールトを監督に招へいし、暗黒時代から脱却すべく改革に乗り出す。2003年にロナウジーニョ、2004年にデコ、サミュエル・エトーが加入。さらにはカルレス・プジョルやシャビらカンテラ出身の選手が主力として成長を遂げる。特に華麗なテクニックで人々を魅了するロナウジーニョは新たなクラブの象徴となり、2004-05シーズンに6年ぶりのリーガ優勝、さらに2005-06シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ優勝を果たし、暗黒時代からの脱却に成功しリーガの主役へと返り咲く。またこの時期にリオネル・メッシがカンテラから昇格し、トップチームでのデビューを果たしている。ところが、その後の2年間は補強の失敗と主力の怪我が相次いだことで無冠が続き、またも暗黒時代に突入しそうな空気が漂っていた。
2008-09シーズンからジョゼップ・グアルディオラが監督に就任し、ロナウジーニョやデコといった主力を放出し、リオネル・メッシ、シャビ、アンドレス・イニエスタらカンテラ出身者を中心としたチーム作りに着手。さらに、高い位置からプレスをかけてフランク・ライカールト時代より一層ポゼッション指向で攻撃的なチームとなる。リーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、CLのすべてを制覇し、スペイン勢史上初の3冠(トレブル)を達成。さらにスーペル・コパ・デ・エスパーニャ、UEFAスーパーカップを制覇、そしてアラブ首長国連邦で行われたFIFAクラブワールドカップで、エストゥディアンテス・ラプラタを延長戦で破り、前人未到のシーズン6冠を達成した。
その後も「ペップ・バルサ」は手の付けられないほどの圧倒的な強さを見せ、このときのバルサスタイルは世界中に影響を与えるほどの大きなムーヴメントとなる。グアルディオラは在任した2008年から2012年までの間にリーガ・エスパニョーラ3連覇、CL2回優勝、コパ・デルレイ2回優勝、クラブワールドカップ2回優勝という偉業を成し遂げ、チームに新たな黄金時代を築くことになった。この頃、人気・実力で宿敵レアル・マドリードをも凌駕し、後に歴代最強チームとも称されるようになる。
2010年にサンドロ・ロセイが会長に就任すると、カタール財団との胸スポンサーに端を発する商業主義の導入によってクライフやグアルディオラと対立するようになり、2014年にジョゼップ・マリア・バルトメウが会長に就任すると商業主義色がさらに鮮明になる。その結果、2012年にネイマール、2014年にはルイス・スアレスを巨額の移籍金を支払って獲得。2014年に監督に就任したルイス・エンリケはメッシ、スアレス、ネイマールの「MSNトリオ」の類まれな個人能力を前面に出していく。MSNトリオは2014-15シーズンで公式戦122ゴールというとんでもない数字を叩き出し、クラブ史上二度目となる三冠獲得(トレブル)という偉業をもたらす。
しかし、MSNトリオが驚異的な破壊力をもたらすと同時に、グアルディオラが築いたポゼッションスタイルは次第に失われるようになり、2015年にシャビが退団したことでMSN依存の傾向は年々加速していく。
2017年夏に2億2000万ユーロという破格の移籍金でネイマールがパリ・サンジェルマンに移籍したことによってMSNトリオは崩壊。2018年夏にはイニエスタがヴィッセル神戸に移籍した後は中盤の構成力の低下が顕著となり、絶対的エースであるメッシに依存するサッカーになってしまい、「FCメッシ」と揶揄されるようになる。それでも、2018-19シーズンにリーガ連覇を成し遂げるが、CLでは守備の脆さが露呈されることになり、2年連続で3点差からの逆転を許しての敗退という屈辱を経験。加えて、バルトメウ政権がおこなった無計画な補強戦略によってクラブは巨額の負債を抱えていることが発覚。さらには、バルトメウらフロント主導による「バルサゲート事件」までもが暴露されたことで、メッシら中心選手とクラブが対立するなど混迷に包まれるようになっていた。2020年10月に諸悪の根源であるバルトメウは会長を辞任するが、チームの衰退は避けられないものとなっていた。
2021年にジョアン・ラポルタが再び会長に就任するが、クラブの経営危機の影響によって長年チームの象徴となっていたメッシが退団を余儀なくされる。2021-22シーズン途中に成績不振によってロナルド・クーマン監督が解任されると、多くのサポーターが待ち望んだシャビの監督就任が実現し、クラブ再建を託されることになる。2022-23シーズン夏の移籍市場では、財政難による経営立て直しのために将来の放映権や子会社の株式売却等を敢行するという強引な手法によってロベルト・レヴァンドフスキやハフィーニャらを獲得する大型補強を実現させる。だが、CLではバイエルン・ミュンヘン、インテルを相手に力負けをし、よもやの2シーズン連続でのグループステージ敗退。深刻な財政難に苦しむクラブにとって大きな痛手となる。しかし、ラ・リーガではバルサらしからぬ手堅い堅守を売りにしたサッカーで首位を快走。これまでの「美しく勝つ」から「確実に勝つ」スタイルへと変貌を遂げたシャビ・バルサはシーズン14回のクリーンシートを達成し、リーグ断トツ最少失点となる20失点で終え、最後は独走態勢で4シーズンぶりにリーガのタイトルを奪還。一方、シーズン中にジェラール・ピケが現役を引退、シーズン終了後にはセルヒオ・ブスケツ、ジョルディ・アルバが退団と黄金期を支えた功労者が全てチームを去ることに。
また、一度はトップ登録に移行し背番号を6に変更したガビだったが、バルサの財政難が理由で取り消しとなり、背番号が30に戻るという不祥事を起こしている。さらに、俗にネグレイラ事件と呼ばれる審判買収疑惑が浮上する。
スペインのクラブはカンテラと呼ばれる育成機関を所有しているが、中でもバルセロナはヨーロッパのクラブチームの中でも予算面などで充実している。カタルーニャ出身の子弟か、家族とともにカタルーニャに移住した外国人を「ラ・マシア」と呼ばれる選手寮に入寮させ、クラブの哲学を徹底して叩き込ませている。
このラ・マシアから多くのスター選手が輩出されており、世界最高の選手と呼ばれるリオネル・メッシもラ・マシアで育っている。2010年代前半に黄金期を築いたチームは主力の大半がカンテラ出身の生え抜きの選手であり、これはボスマン判決以降の欧州のビッグクラブでは異例の出来事であった。ちなみに、当時監督であったジョゼップ・グアルディオラもラ・マシアで育ったクラブの生え抜きである。2010年のバロンドール投票では最終候補の3人をリオネル・メッシ、シャビ、アンドレス・イニエスタというラ・マシア出身選手で独占するという偉業を成し遂げている。
日本では久保建英が幼い頃からラ・マシアで育てられ、プロサッカー選手となったことで知られている。
一方でスペインでは法律により18歳になるまではプロ契約ができないため、セスク・ファブレガスのように育成した選手がトップチームに昇格する前に国外のクラブへ引き抜かれるという事例もたびたび起きている。もっとも、バルサも南米などから選手を半ば強引な手段で青田買いをしている。また、近年はクラブのカンテラ軽視が問題視されており、受け継がれてきたクラブの哲学が失われることが危惧されている。
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | ![]() |
シャビ | 1980.1.25 | 2021 | アル・サッド |
1 | GK | ![]() |
マルク=アンドレ・テア・シュテーゲン | 1992.4.30 | 2014 | ボルシアMG |
2 | DF | ![]() |
ジョアン・カンセロ | 1994.5.27 | 2023 | マンチェスター・C |
3 | DF | ![]() |
アレックス・バルデ | 2003.10.18 | 2021 | バルセロナB |
4 | DF | ![]() |
ロナルド・アラウホ | 1999.3.7 | 2020 | バルセロナB |
5 | DF | ![]() |
イニゴ・マルティネス | 1991.5.17 | 2023 | アスレティック・ビルバオ |
6 | MF | ![]() |
ガビ | 2004.8.5 | 2021 | バルセロナB |
7 | FW | ![]() |
フェラン・トーレス | 2000.2.29 | 2021 | マンチェスター・C |
8 | MF | ![]() |
ペドリ | 2002.11.25 | 2020 | ラス・パルマス |
9 | FW | ![]() |
ロベルト・レヴァンドフスキ | 1988.8.21 | 2022 | バイエルン |
11 | FW | ![]() |
ハフィーニャ | 1996.12.14 | 2022 | リーズ |
13 | GK | ![]() |
イニャキ・ペーニャ | 1999.3.2 | 2018 | ガラタサライ |
14 | FW | ![]() |
ジョアン・フェリックス | 1999.11.10 | 2023 | アトレティコ・マドリード |
15 | DF | ![]() |
アンドレアス・クリステンセン | 1996.4.10 | 2022 | チェルシー |
17 | DF | ![]() |
マルコス・アロンソ | 1990.12.28 | 2022 | チェルシー |
18 | DF | ![]() |
オリオール・ロメウ | 1991.9.24 | 2023 | ジローナ |
20 | DF | ![]() |
セルジ・ロベルト(C) | 1992.2.7 | 2011 | バルセロナB |
21 | MF | ![]() |
フレンキー・デ・ヨング | 1997.5.17 | 2019 | アヤックス |
22 | MF | ![]() |
イルカイ・ギュンドアン | 1990.10.24 | 2023 | マンチェスター・C |
23 | DF | ![]() |
ジュール・クンデ | 1998.11.12 | 2022 | セビージャ |
26 | GK | ![]() |
アンデル・アストララガ ※ | 2004.3.3 | 2023 | バルセロナB |
27 | FW | ![]() |
ラミン・ヤマル ※ | 2007.7.13 | 2023 | バルセロナB |
30 | MF | ![]() |
マルク・カサド ※ | 2003.9.14 | 2022 | バルセロナB |
31 | GK | ![]() |
ディエゴ・コチェン ※ | 2006.3.19 | 2023 | バルセロナB |
32 | MF | ![]() |
フェルミン・ロペス ※ | 2003.5.11 | 2023 | リナレス |
33 | DF | ![]() |
パウ・クバルシ ※ | 2007.1.22 | 2023 | バルセロナB |
※は二種登録選手。
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掲示板
71 ななしのよっしん
2022/11/14(月) 01:26:52 ID: myrVwOsuua
借金が明るみになってから、メッシ移籍、2年連続CLグループ敗退、資産売却、移籍市場でのゴタゴタ、ピケに圧力かけて引退と、悪いニュースしか聞かない。特に移籍市場での補強と年俸関係の話はひどかった。
グリーズマンの人種差別問題も、2年前に練習中ふざけて言ったことが出ただけだから、普通ならゴシップ系メディアが面白おかしく取り上げて済む話。あそこまで大問題にしたのは、高い移籍金と年俸払っても活躍しないグリーズマンを切りたかったのでは??と、今では思う。
72 ななしのよっしん
2023/03/12(日) 11:48:09 ID: Goh+svG46Q
検察庁がバルセロナの金銭支払いを確認…地元紙は「降格」「事業体解散」の可能性も指摘
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スペイン検察庁は、バルセロナがスペインサッカー連盟(RFEF)審判技術委員会(CTA)のホセ・マリア・エンリケス・ネグレイラ元副会長の会社に730万ユーロ(約10億5,000万円)を支払っていたことを確認した模様だ。10日、スペイン紙『アス』が報じている。
通称“ネグレイラ事件”とは、バルセロナがネグレイラ元副会長の設立した会社『Dasnil 95』に対して金銭を支払っていたとされる疑惑のこと。2月15日にスペインのラジオ局『カデナ・セール』が一報を伝えると、スペインのみならず世界に衝撃が走った。
73 ななしのよっしん
2023/05/03(水) 10:33:11 ID: Goh+svG46Q
バルセロナ、ラ・リーガ撤退を検討か。"ネグレイラ事件"の処分懸念で海外リーグ移籍の可能性と報道
https://
バルセロナがラ・リーガからの撤退を検討していると報じられた。
ジョアン・ラポルタ会長は、審判買収疑惑スキャンダル"ネグレイラ事件"の渦中で、ラ・リーガからの撤退の可能性を検討するようクラブに求めたとのこと。
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最終更新:2023/10/01(日) 15:00
最終更新:2023/10/01(日) 15:00
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