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FC琉球とは、沖縄市を中心とする沖縄県全県を本拠地とする、Jリーグ所属のプロサッカークラブである。

概要

日本プロサッカーリーグ
FC琉球
基本情報
創設年 2003年
クラブカラー ベンガラ(エンジ)
所属 J3リーグ
ホーム
スタジアム
ピック県総ひやごんスタジアム[沖縄県沖縄市]
ホームタウン 沖縄市を中心とする沖縄県全域
前身
サッカークラブテンプレート

2003年に創設。2014年J3リーグ発足時にJリーグに加盟。2019年には初めてJ2リーグに昇格している。クラブ名は沖縄本島を中心に存在した琉球を由来としている。

チームカラーベンガラ色(暗みのある赤色)。復元された首里城がこの色を用いている。ホームスタジアムはタピック県総ひやごんスタジアム(沖縄県総合運動公園陸上競技場)。2014年までは同じ沖縄市沖縄市陸上競技場をたるホームスタジアムとして、複数のスタジアムを使用していた。

クラブマスコットジンベイザメモチーフにしたジンベーニョ。[1]

かつてのオーナー総合格闘技PRIDE」を運営していたDSE・榊原信行社長。総監督元日本代表監督フィリップ・トルシエ氏を招き、スポーツライター金子達仁氏をアドバイザーに据え、マスコットキャラクターとして実在の人物をモデルにした「ぐしけんくん(仮)」を誕生させるなど、話題性のある運営を行っていることが特徴的。

歴史

2003年Kyuリーグ九州リーグ)の沖縄かりゆしFCを脱退した選手たちを中心として発足。県リーグ3部北、県リーグ1部とステップアップし、2005年Kyuリーグに昇格し、いきなり2位(ちなみにその時の優勝チーム2008年よりJリーグ参加を果たしたロアッソ熊本)。そのまま地域リーグ決勝大会も勝ち抜き、2006年から全リーグJFLで活動している。

地域リーグまでは強さを見せた琉球だが、JFLでは、活動範囲が全に広がったことで遠征費がかさむなどの事情もあり、中~下位に低迷していた(最高で20112012年の9位)。2013年Jリーグへの準加盟は承認されたが、観客動員はまずまずであるが、サッカー面、環境面ともまだまだ発展途上だった。
11月19日Jリーグの理事会でJリーグへの入会が承認され、2014年からのJ3リーグ参加が決定、沖縄初のJリーグ参入クラブが誕生する。これに伴い、2013年運営法人が「琉球フットボールクラブ」へと移管され、シーズン終了後には31人中22人が退団する。

J3リーグ初年度の2014年は12チーム中9位に終わる。10人が退団し、新加入が14人となった2015年も13チーム中9位となる。シーズン終了後、了洋監督が退任。

2016年からアカデミーダイクター鍾成が監督に就任。ブラジル人選手を3人獲得し、GKが復帰。J3昇格後初のシーズン勝ち越しを記録し、8位となる。年齢22.7歳と若いメンバー構成となった

2017年は、連勝こそ少なかったものの、10試合連続敗を記録するなど前年よりも成長を見せ、最終成績は13勝11分8敗、勝ち点は50。過去最高の6位で終える。
この年、初めてJ2ライセンスが交付され、地な集客活動もありホーム戦の均入場者数が増加。前年度よりもスポンサーが倍になるど成績のみならず、クラブ運営においても飛躍したシーズンとなった。

2018年はさらに戦が充実したことで鍾成監督はポゼッションを重視したリスク覚悟で攻め続ける攻撃的サッカーを展開。第17節で首位に立つと、圧倒的な攻撃でその後の試合を9勝2分1敗のハイペースで勝ち点を積み上げ、独走状態でクラブ創設15年J3参入5年にして初のJ3優勝J2昇格を決める。この年は富樫佑太中川希、富所の3選手が二桁得点記録するなど、リーグ断トツトップの70得点記録していた。
シーズン終了後、鍾成が鹿児島ユナイテッドFC監督に就任し、退任。

J2初参戦の2019年J1での監督経験が豊富で前Y.S.C.C横浜監督樋口靖洋が監督に就任。開幕から4連勝を記録する予想以上の好スタートを切るが、シーズン途中にが次々と引き抜かれたことで戦が低下。一方、8月元日本代表の小野伸二が加入し話題となる。最終的に14位でシーズンを終え、J2残留という最低限のノルマクリアする。

2020年は、開幕以降9試合は勝てない状況が続いた。シーズン後半では、持ち前の攻撃が発揮し、守備を持ち直しながら徐々に調子を上げ、16位。2021年シーズン前半戦では、ボール保持を高めながら攻撃のチャンスを数多くつくる戦術を軸に暫定首位に立つこともあるなど優勝争いに絡んでいた。しかし、シーズン後半戦に入ると徐々に失速し、10月樋口監督が解任となる。ヘッドコーチを務めていた喜名哲裕が監督に就任し、最終的に18勝11分13敗で9位となり、クラブ最高成績を更新する。

2022年は堅守速攻に戦術を変更したことが裏に出てしまい大きく低迷。最下位に転落した第20節終了後に喜名監督を解任し、14年ぶりの外国人監督となる前バレンシアCFヘッドコーチナチョ・フェルナンデスを招聘。しかし、阿部の負傷を機に得点が落ち、勝利を積み重ねられないまま降格圏の21位シーズンが終了。在籍4シーズンJ3に降格することが確定する。

再びJ3で戦う2023年ヘッドコーチの倉貫一毅が監督に就任。しかし開幕10試合で3勝1分6敗と低迷し、倉貫監督を解任。チームダイクターの喜名哲裕が1年ぶりに監督に復帰。だが、それでも成績は上向かず、9月に喜名監督も辞任。6年ぶりに鍾成が監督に復帰し最終順位は17位。失点数がリーグワーストの61となった。

10月26日2024年1月1日よりクラブ名を「FC琉球OKINAWA」に変更することが発表され、エンブレムロゴマークも新しくなる。

タイトル

現在の所属選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属 備考
- 監督 鍾成 1964.4.23 2023 ガイナーレ鳥取 監督
1 GK 六反勇治 1987.4.10 2024 ジュビロ磐田 【レ】
2 DF 1991.12.22 2022 東京ヴェルディ
3 DF 侑里 2000.8.8 2023 筑波大学
4 DF 1988.11.28 2024 ガンバ大阪
5 MF 武沢一 1999.10.27 2023 東京芸術大学
6 MF 2003.10.23 2023 セレッソ大阪 【レ】
7 FW 白井陽斗 1999.10.23 2023 ファジアーノ岡山
8 FW 岩渕良太 1990.4.26 2024 藤枝MYFC
9 FW 野田之介(C) 1988.9.28 2022 京都サンガF.C.
10 MF 富所 1990.4.11 2012 AC長野パルセイロ
11 FW 石井快征 2000.9.2 2024 横浜FC
13 MF 若本 2001.3.18 2022 筑波大学
14 DF 鈴木順 1996.5.2 2024 ガイナーレ鳥取
15 DF 荒木 2000.12.16 2023 中央大学
16 DF 1991.12.22 2022 東京ヴェルディ
17 DF 幸裕 1993.7.1 2024 ガイナーレ鳥取
18 MF 平松 1998.11.26 2023 ツエーゲン金沢
19 DF 高安孝幸 2001.9.25 2023 ツエーゲン金沢
20 MF 森田 2002.2.14 2023 奈良クラブ
21 GK ジョン・ジワン 2004.5.14 2023 全北現代モーターU-18 【レ】
22 DF 上原牧人 1998.11.20 2021 西大学
23 DF 山内舟征 2000.12.13 2023 関西学院大学
24 MF 佐藤佑太 1995.5.13 2024 AC長野パルセイロ
26 DF 吉本 2001.10.23 2024 関西大学 【卒】
28 MF 覇実 2005.1.24 2023 FC琉球U-18 【H】
29 DF チョ・ユンス 2004.3.12 2023 全南ドラゴンズU-16
31 GK パク・ソンス 1996.5.12 2024 FC安養
35 GK ジョン 2002.5.2 2024 SC相模原 【レ】
39 FW 原篤人 2001.6.13 2024 静岡産業大学 【卒】
40 DF 吉直大 2006.11.7 2024 FC琉球U-15 【2】
41 DF 鍵山 2000.1.20 2023 おこしやす京都AC
42 GK 神村 2006.7.19 2024 FC琉球U-15 【2】
55 MF 幸喜 2005.5.5 2023 FC琉球U-18 【昇】【H】
89 FW 高木大輔 1995.10.14 2024 レノファ山口FC

※備考欄は【】=全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手

過去に所属した主な選手

歴代監督

監督 在任期間 備考
新里裕之 2003年 沖縄県3部優勝&1部昇格(2003年)
与那ジョージ 2004年2006年 沖縄県1部優勝北九州リーグ昇格(2004年)
・全地域リーグ優勝JFL昇格(2005年)
吉澤英生 2007年  
ジャンポールラビ 2008年  
新里裕之 2009年2011年
松田岳夫 2012年  
了洋 2013年2015年 J3参入(2014年)
鍾成 2016年2018年 J3優勝J2昇格(2018年)
樋口靖洋 2019年2021年10月
喜名哲郎 2021年10月2022年6月
倉貫一毅 2022年6月 暫定監督
ナチョ・フェルナンデス 2022年6月10月 J3降格(2022年)
倉貫一毅 2023年2023年5月
喜名哲郎 2023年5月9月
白井裕之 2023年9月 暫定監督
鍾成 2023年9月

ニコニコ動画との関係

2008年11月23日ホーム終戦流通経済大学サッカー部戦(北公園陸上競技場)は、ニコニコ動画ワンデイ・スポンサーとなって「ひろゆき記念」と銘打ち、ひろゆき氏をゲストに招き、ニコニコ生放送を通して生中継された。ひろゆき氏が普段あまりサッカーを見ないこともあって、中継は案の定終始gdgdであり、試合にも1-4と敗れた(当時の流通経済大学サッカー部JFLでも中~上位の実を持つため順当な結果ではあった)。

しかし、これが契機となったか、2009年からはニワンゴが年間を通じてのスポンサーとなった。2009年は胸に、2010年以降は背中ニコニコ動画のロゴユニフォームに入っている(なお、ユニフォームスポンサーの相場としては胸>背中なので2010年以降は若干トーンダウンしている)。競技場にも広告看板を出しており、後述のニコニコ生放送での中継にもしばしば写り込む。

ニコニコ動画にはインタビューゴールシーンなどの動画公式配信されている。2010年にはニコニコ大運動会フットサル大会にU-15チームが参戦。湘南ベルマーレU-15XANADU、そして憎きJASRACを下して優勝を飾っている。

ニコニコ生放送

2009年以降は、RBC琉球放送)で中継が行われる試合で、映像を借りる形でニコニコ生放送が行われている。実況解説はともにRBCアナウンサー解説者のものである。ハーフタイムなどは、運営が寄せられたメールなどを読み上げたりして時間をつぶしている。例によってgdgdな進行が散見されるが、それはそれでまた味があるとのも。

2009年は18チーム中16位に沈んだこともあって、生放送での勝率は芳しくなかった。一転して、2010年は最初の放送となった試合で3-1の圧勝を収める。中継しているRBC側も勝率の悪さは自覚していたようで、しく余裕のある実況解説となった。これが転機になったか、2010年は5度の生放送で3勝2分と負けることがかった。中には終了間際に決勝点や同点ゴールを挙げる試合もあり、盛り上がりを見せている。

2012年を最後にスポンサーからは撤退している。

関連動画

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *2009年から2013年までは石垣市出身の元ボクシング世界王者の具志堅用高をモデルとした「ぐしけんくん(仮)」を用いていた。
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