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FIFAワールドカップとは、FIFA催するサッカー際大会である。FIFA所属の各・地域の男子のA代表によって行われる。

ワールドカップを名乗る大会はいくつかあるものの、一般的にワールドカップといえばFIFAワールドカップをす。サッカーワールドカップ、W杯などとも表記こともある。

概要

FIFAワールドカップは男子サッカー世界一を決めるスポーツイベントであり、4年ごとに開催される。その注度はまさに世界中の至る所で非常に高く、試合のテレビ中継の視聴率は各で記録的な数字を残す。 

1年以上かけて各大陸ごとの予選を行い、それを通過した31チームとホストによって本大会が行われる(2002年大会までは前回大会優勝は予選は免除されていた)。本大会では8グループにわけて予選リーグを行い、各リーグの上位2チーム計16チームトーナメントを行う。参加チームは拡大傾向にある(1982年大会から24チーム1998年大会から32チーム)。

ジュール・リメの発案で1930年に初めて開かれ以後4年ごとに開かれている(第二次世界大戦下の1942年、1946年は中止)。これまで21回開かれ最多優勝ブラジルの5回で全大会に出場しているのもブラジルのみ。次に多いのはドイツイタリアの4回。

当初は南ヨーロッパで開催されていたが1970年に北中カリブのメキシコ2002年アジア日本/韓国で開催され、2010年にはアフリカ大陸南アフリカ共和国で開催された(開催されていないのはオセアニア連盟ののみ)。

大会の歴史

1930年(第1回大会)

1930 FIFAワールドカップ
開催 ウルグアイウルグアイ
出場 13チーム
優勝 ウルグアイウルグアイ(初)
優勝 アルゼンチンアルゼンチン
3位 アメリカ
4位 ユーゴスラビア
得点 アルゼンチンジェルモ・スタービレ

当時のFIFA会長であるジュール・リメの提唱によって開催された記念すべき第1回大会。開催には独立100となるウルグアイが選ばれた。しかし、欧州の大半は船での長を嫌がって出場を拒否。出場したのはフランスベルギーユーゴスラビアルーマニアの4かのみとなった。そのため現在のような地区予選はく、出場13チームを4つのグループに分け、1位通過の4チームで決勝トーナメントを戦う方式となった。

記念すべき大会初ゴールフランスのリュシアンローランが記録している。決勝まで勝ち進んだのは、なぜか1試合多く消化しなければならないグループに入ったアルゼンチンと開催ウルグアイという南の2チームだった。2年前のオリンピックでも決勝でぶつかった両者の対戦は、点の取り合いを制したウルグアイ勝利し、初代ワールドカップ王者の栄冠にく。初代得点王はアルゼンチンのギジェルモ・スタービレ。大会全体を通して、他と決勝に残った2チームの実差は否めなかった。

1934年(第2回大会)

1934 FIFAワールドカップ
開催 イタリアイタリア
出場 16チーム
優勝 イタリアイタリア(初)
優勝 チェコチェコスロバキア
3位 ドイツドイツ
4位 オーストリア
得点 チェコオルドリッヒ・ネイエドリー

イタリアがホストとなり、初の欧州開催となったことで出場チーム数は32チームにまで拡大され、今回は英国4協会を除く欧州が出場を表明。そのため初めて大陸予選が開催されることとなった。一方、前回優勝ウルグアイは前回欧州勢の相次ぐ出場拒否に抗議する意味で出場を拒否。また、エジプトアフリカ勢で初めてW杯に出場している。しかし、この大会はイタリア首相ムッソリーニ率いるファシズム党が世界に誇示するために利用され、暗いを落とす大会となった。

全てノックアウト方式でおこなわれた大会は、ムッソリーニの圧が随所にかかっていたとされ、露なまでのイタリア優位の判定が下されていた。特に準決勝のイタリアvsオーストリアを裁いたスウェーデン人の審は事前ムッソリーニと会ったとされている。決勝は圧倒的なアドバンテージを得たイタリアチェコスロバキアの対戦となり、負傷を抱えながらチームを牽引したジュゼッペメアッツァのアシストからアンジェロ・スキアビオが決勝ゴールを決めたイタリアが延長戦での逆転で優勝を手にし、2大会連続でホストが王者となる。

1938年(第3回大会)

1938 FIFAワールドカップ 
開催 フランスフランス
出場 15チーム
優勝 イタリアイタリア(2回
優勝 ハンガリーハンガリー
3位 ブラジルブラジル
4位 スウェーデンスウェーデン
得点 ブラジルレオニダス

ジュール・リメの功績をたたえ、彼のであるフランスで開催されることになったが、2大会続けての欧州開催に反発したアルゼンチンウルグアイが参加を辞退した。また、オランダ領東インドアジア勢としては初めて大会に出場している。一方、オーストリアドイツに併合されたため、出場チーム数が1チーム減り、トーナメント初戦で当たる予定だったスウェーデンが不戦勝となった。

大会でまず立ったのは南一の出場となったブラジルだった。初戦のポーランド戦では壮絶な点の取り合いとなり、「ダイヤモンド」という異名を持ったエースレオニダスハットトリックの活躍を見せ6-5で勝利。前回王者のイタリアは苦戦を強いられながら、前回同様監督のヴィットリオ・ポッツォと将のメアッツァがチームを支え、準々決勝では開催フランスを打ち破る。準決勝でイタリアブラジルの対戦となるが、ブラジルレオニダスを始め8人を入れ替えた策が裏に出てしまい敗れてしまう。

決勝では何とか勝ち上がってきたイタリアと組み合わせに恵まれハンガリーの対戦となる。6万人の観衆が見守る中、エースシルヴィオ・ピオラが2ゴールを奪ったイタリアが4-2でハンガリーを下し、ワールドカップ連覇の偉業を成し遂げ、再びジュール・リメ杯をイタリアに持ち帰る。その後、第二次世界大戦が勃発し、ワールドカップは当面開催できなくなった。

1950年(第4回大会)

1950 FIFAワールドカップ 
開催 ブラジルブラジル
出場 13チーム
優勝 ウルグアイウルグアイ(2回
優勝 ブラジルブラジル
3位 スウェーデンスウェーデン
4位 スペインスペイン
得点 ブラジルアデミール

12年ぶりに開催されることとなった第4回大会は、世界第二次大戦後の復中という状況の中、一開催に手を挙げたブラジルおこなわれることとなった。今回初めて英国4協会が参加となり、サッカーイングランドが初出場。一方で東西冷戦東欧が軒並み不参加となり、ブラジルと対立関係にあったアルゼンチンも不参加。また、アジアから出場が決まっていたインド裸足での試合参加が認められなかったことで出場を辞退。

今大会の特徴は、決勝トーナメントが開催されず、1次リーグの後の2次リーグの順位で優勝を決めるという方式だった。後にも先にも、決勝のワールドカップはこの大会だけであった。優勝以外はあり得ないという空気の開催ブラジルだったが、エースのアデミールが無双し、難なく1次リーグを突破。一方、弱小国だったアメリカイングランドを破るという大金星を挙げており、世界中を驚かせている。大会連覇中のイタリアだったが、「スペルガの悲劇」と呼ばれた飛行機事故グランデ・トリノの選手が大勢亡くなったから弱体化し、1次リーグで姿を消すこととなる。

ブラジルウルグアイスペインスウェーデンの4チームで争うこととなった2次リーグは、やはりブラジルスウェーデン7-1スペインに6-1と圧勝。そして最終節は事実上の決勝戦となったブラジルウルグアイの対戦となる。20万人の観衆が集まったマラカナン・スタジアムではもがブラジル優勝を信じていたが、ここまで9ゴールのアデミールがまさかの不発。1点をリードされながらったウルグアイは、試合終了10分前にアルデス・ギジャが決勝ゴールを決め、第1回大会となる優勝を飾る。

まさかの敗戦で優勝を逃したブラジルに、マラカナンに集まった観衆の中には自殺をする者、ショック死をする者が続出。この惨劇は後に「マラカナンの悲劇」としてり継がれ、このショックを払拭すべくブラジルユニフォームの色をから現在ではお染みのカナリア色に変えている。

1954年(第5回大会)

1954 FIFAワールドカップ 
開催 スイススイス
出場 16チーム
優勝 ウルグアイ西ドイツ(初)
優勝 ハンガリーハンガリー
3位 オーストリアオーストリア
4位 ウルグアイウルグアイ
得点 ハンガリーシャーンドル・コチシュ

FIFA創立50周年を記念し、FIFA本部のあるスイスで開催されることとなったこの大会。日本が初めてエントリーした大会であるが、アジア予選で敗退し本大会出場はならず。当時、ヨーロッパ最強と呼ばれたのが革新的な戦術を駆使し、「マジックマジャール」と呼ばれたハンガリーであり、大本命と見られたハンガリーをどこが止めるのかに注が集まった大会となった。また、この大会は初めて世界テレビ中継がされた大会ともなった。そしてこの大会は非常に得点数の多い高いとしても知られている。

大会が始まってからもハンガリーの圧倒的な破壊立ち、初出場となった韓国を9-0で葬り、舞台への復帰が認められた西ドイツに相手にも8-3と圧勝。フェレンツ・プスカシュ、シャーンドル・コチシュが恐るべき得点を見せつけていた。一方、大敗した西ドイツも続くトルコ戦に圧勝したことで生き残り、虎視々とリベンジチャンスっていた。

準々決勝でブラジルと対戦したハンガリーだったが、西ドイツ戦で負傷した将のプスカシュが欠場。そのもあってかブラジルとの戦いは大荒れとなり、暴力行為によって3選手が退場になる間違った方向に熱い戦いとなる。後に「ベルンの戦い」と称された不名誉な闘はハンガリーが制するが、試合後もブラジルの選手がハンガリーロッカルームへ乱入し、場外乱闘を繰り広げる後味の悪い試合となった。

決勝は、グループリーグでも顔を合わせたハンガリー西ドイツで争われることになる。エースのプスカシュが怪から復帰したハンガリーはそのプスカシュが々に先制ゴールを決めるなど2点をリードする。しかし、ここから西ドイツが驚異的なりを見せ、ハンガリーの反撃をぎながら同点に追いついてしまう。実は、西ドイツは前回の対戦でハンガリーの戦術を研究し、弱点を分析していた。そして、84分にヘルムート・ラーンがこの試合2ゴールを決め、西ドイツが33連勝中の最強ハンガリーを破る大番狂わせを演じ、初優勝ドイツ伝統のゲルマン魂を垣間見せ、ここからドイツサッカーの栄スタートする。

1958年(第6回大会)

1958 FIFAワールドカップ 
開催 スウェーデンスウェーデン
出場 16チーム
優勝 ブラジルブラジル(初)
優勝 スウェーデンスウェーデン
3位 フランスフランス
4位 ドイツ西ドイツ
得点 フランスジュスト・フォンテーヌ

サッカー界に歴史を残すスーパースターが出現した大会となった。当時17歳だったブラジルペレである。地区予選では、イタリアウルグアイという優勝経験のあるが敗退するという波乱が起きている。また、初めてイングランドスコットランドウェールズ、北アイルランド英国4協会がって本大会に出場した大会でもあった。

4-2-4の画期的なシステムで注されたブラジルは、ソ連との試合で17歳ペレデビューグループリーグ失点で終え、難なく勝ち進む。一方、初出場となったソ連イングランドを抑えて2位グループリーグを突破。フランスは、ジュスト・フォンテーヌが初戦のパラグアイ戦でハットトリックを達成し、グループリーグだけで6ゴールを奪う活躍を見せる。

決勝トーナメントに入ると、いよいよペレが本領を発揮。苦戦を強いられた準々決勝のウェールズ戦でワールドカップゴールとなる決勝ゴールを決める。準決勝ではそのブラジルとフォンテーヌがゴールを量産するフランス突。この試合でペレは後半にハットトリックを達成し、フランスを沈めて決勝進出を果たす。とはいえ、フォンテーヌの勢いはこれで終わることはなく、3位決定戦の西ドイツ戦で4ゴールを奪い、大会通算13ゴールというとてつもない記録を残す。このフォンテーヌの1大会での最多得点記録は未だに打ち破られていない不滅の記録となっている。

決勝はブラジルとホストスウェーデンの対戦となる。試合はスウェーデン将のニルス・リードホルムのゴールで先制するが、ブラジルもババがすぐさま同点ゴールを決めるなど前半のうちに逆転する。後半に入るとペレきを放ち、この大舞台でも2ゴールを決め、スウェーデンを粉砕。マラカナンの悲劇から8年、内にプロができて50年が経ち、ついにブラジルが悲願の世界王者の座を手にし、サッカーとしての地位を築いていく。この大会で一躍スターとなったペレは、後に「サッカー王様」と称され、ここからサッカー界はペレを中心に動くこととなる。

1962年(第7回大会)

1962 FIFAワールドカップ 
開催 チリチリ
出場 16チーム
優勝 ブラジルブラジル(2回
優勝 チェコスロバキアチェコスロバキア
3位 チリチリ
4位 ユーゴスラビアユーゴスラビア
得点 ブラジルガリンシャ
ブラジルババ
チリレオネル・サンチェス
ユーゴスラビアドラジャン・イェルコビッチ
ハンガリーアルベルト・フロリアン
ソ連レンチン・イワノフ

開催チリでは2年前の1960年に大地震が起き、大きな被害を受けたことで開催が危ぶまれていたが、何とかスタジアムの建設を間に合わせ、開催にこぎつけることができた。

この大会は、ラフプレー立ち、暴力行為が横行する荒れた大会となっていた。有名なのがグループリーグチリvsイタリアの試合で、イタリアの退場した選手がピッチに居座り続けたり、チリイタリアの選手が相手への暴力行為で退場となり、その他にも試合中に殴る蹴るの乱闘が勃発し、ついには警察が動員されるまでの事態となる。結局ホストチリ勝利したが、後に「サンチャゴの戦い」と呼ばれたこの試合は「サッカー歴史上もっとも醜い試合」としてり継がれる。

暴力被害スーパスター・ペレも巻き込まれることとなる。相手からのファウルを辞さないマークに苦しめられていたペレは2試合チェコスロバキア戦で負傷し、以降の試合を欠場することになる。このときペレは「フットボール暴力によって汚された」という言葉を残している。ペレを失ったブラジルだったが、前回の優勝を知るメンバーが多く残っていたこともあり安定した強さを残る。特に天才的なトリッキーなドリブルを武器とするガリンシャがペレに代わってチーム魔法をかけ、牽引していく。

決勝はブラジルチェコスロバキアの対戦となる。前回同様、々にリードを許したブラジルだったが、前半のうちに同点に追いつくと、後半にはジトとババがゴールを奪い、逆転。欧州勢を中心に守備的な戦術を採用するチームが多くなった大会だったが、ブラジルが連覇で大会を締めくくることとなった。

1966年(第7回大会)

1966 FIFAワールドカップ 
開催 イングランドイングランド
出場 16チーム
優勝 イングランドイングランド(初)
優勝 ドイツ西ドイツ
3位 ポルトガルポルトガル
4位 ソ連ソ連
得点 ポルトガルエウゼビオ

FA発足から100年が経過したこの年、ワールドカップはついに発祥の地であるイングランドで開催されることとなった。この大会を世界中で視聴した人数は5億人をえているとされ、この頃にはワールドカップオリンピックに匹敵するほどの巨大なスポーツイベントに成長していた。

世界サッカーは前回以上に守備戦術が発達し、より組織的になった反面、前回同様暴力的なラフプレーにつく大会となった。サッカー界最大のスターであったブラジルペレはまたもやラフプレー被害者となり初戦のブルガリア戦で負傷を負ってしまう。ペレを欠いたブラジルは続くハンガリー戦に敗れると、第3戦のポルトガル戦にも敗れ、よもやのグループステージ敗退となってしまう。また、大会前は全く注されていなかった北朝鮮優勝補の一とされたイタリアを破るという大会史上最大の大番狂わせを演じ、アジア勢初のベスト8進出を果たす。まさかの敗戦となったイタリアの選手たちは帰後、空港ファンからトマトを投げつけられている。

準々決勝でも北朝鮮の快進撃は続き、ポルトガルを相手に前半で3点のリードを奪う。ところが、ポルトガルは「」と呼ばれた欧州最高のストライカー・エウゼビオが大爆発。この試合で4ゴールを決める大活躍によって歴史に残る大逆転勝利を成し遂げる。イングランドアルゼンチンの試合では、イングランドジェフ・ハーストのゴールが決まるが、このゴールオフサイドだとするアルゼンチンが猛抗議。退場となったアルゼンチンアントニオ・ラッティンは収まりが付かず、警察ピッチから引きずり出される事態となった。この出来事で冷静さを欠いたアルゼンチンはラフプレーばかりが立ち、イングランドが初のベスト4進出を果たす。

準決勝でイングランドはエウゼビオを擁するポルトガルと対戦。直前に会場が変更となり物議を醸した試合は、イングランド将ボビー・チャールトンの2ゴールリードポルトガルもエウゼビオが一矢を報いるが及ばず、イングランドが決勝へと進む。一方、西ドイツは若き日の皇帝フランツ・ベッケンバウアー蜘蛛と呼ばれたソ連GKレフ・ヤシンから決勝ゴールを奪い、ファイナルへと進む。

聖地ウェンブリーに10万人近いファンが集まったホストイングランド西ドイツの決勝は、一進一退の死闘となり、試合終了1分前に西ドイツが同点に追いついたことで初めて延長戦で優勝を決めることになる。その延長前半にイングランドのハーストが放ったシュートクロスバーを直撃し、ゴールライン上に落ち、審はイングランドゴールを認めるジャッジを下す。当然、西ドイツは猛抗議をするが覆らず、その後ハーストがダメ押しのゴールを決めたイングランドが初優勝を飾り、エリザベス女王からトロフィを渡される。

疑惑の判定となった延長戦でのハーストの勝ち越しゴールだが、その後何年にも渡って論争が続けられることになる。現代のテクノロジーで当時の映像を解析した結果、ゴールラインえていなかったことが明らかとなり、「世紀の大誤審」としてり継がれることとなった。

1970年(第8回大会)

1970 FIFAワールドカップ 
開催 メキシコメキシコ
出場 16チーム
優勝 ブラジルブラジル(3回
優勝 イタリアイタリア
3位 ドイツ西ドイツ
4位 ウルグアイウルグアイ
得点 ドイツゲルト・ミュラー

これまで欧州と南で開催されてきたワールドカップは、初めて中メキシコで開催されることになった。当時のメキシコは政情が不安定であり、史上初の高地での開催ということで不安要素が多かったが、実際は後にり継がれる名勝負を数々生み出した大会となった。また、初めてカラーテレビ放送がされた大会でもあった。

大会最大の注はやはりブラジルだった。4度の出場となったペレを筆頭にジャイルジーニョ、リベリーノ、トスタンといった名手がい、史上最強チームの呼びもあるチームは、前回王者イングランドと同居することとなったグループリーグを3戦全勝で難なく突破する。西ドイツは、「爆撃機」と呼ばれるゲルト・ミュラーが6ゴールを決め、こちらも3連勝でベスト8に進出。イタリアウルグアイスウェーデンという強ったグループ2では、タレントったイタリアが苦戦しながらも首位で通過。

決勝トーナメントに入ってもブラジルは頭一つ抜けた強さを見せつけ、準々決勝でペルーを、準決勝ではウルグアイをそれぞれ撃破し、順当に決勝へと勝ち進む。トーナメントもう一つの山は戦が繰り広げられ、イングランド西ドイツという前回大会の決勝のカードが準々決勝で実現。延長までもつれ込んだ試合は、ミュラーの決勝ゴールが決まり、西ドイツが前回のリベンジを果たす。得点不足に苦しんでいたイタリアは、準々決勝でルイジ・リーヴァが2ゴールを決めて開催メキシコを撃破。

イタリア西ドイツの準決勝は、まさにワールドカップ歴史に残る名勝負となる。西ドイツベッケンバウアーが試合中に肩を脱臼するが、テーピングを巻いて出場を続ける。その不屈の闘志が伝わったのか、後半終了間際に同点ゴールが生まれ、試合は延長戦へ。延長戦に入ると、両チームがそれぞれゴールを奪い合うという一進一退の死闘となるが、最後はジャンニリベラが4点を決めたイタリアが決勝へと駒を進める。敗れた西ドイツだが、肩を脱臼しながら120分戦い続けたベッケンバウアーの姿は伝説となる。

決勝は麗な攻撃スタイルブラジルとカテナチオのイタリアという対極のスタイルを持つ両雄の対決となった。西ドイツ戦の死闘で疲労困憊のイタリアに対し、ブラジルの強な攻撃が容赦なく襲い掛かり、試合は一方的な展開となる。自らのヘディンシュートで先制ゴールを決めたペレは、その後もジャイルジーニョとカルロスアルベルトゴールアシスト世界中を魅了するパフォーマンスを披露したブラジルが史上初となる3度優勝を飾り、ジュール・リメ杯を永久保持することとなる。

ブラジルに3度のワールドカップ優勝をもたらし、伝説的なプレイヤーとなったペレにとってこれが最後のワールドカップとなった。また監督を務めたマリオ・ザガロは、1958年1962年と選手として優勝を経験。史上初の選手・監督両方でワールドカップを制した人物となる。永久保持となったジュール・リメ杯だが、その後盗難被害に遭い、犯人逮捕されたものの現在行方不明のままとなっている。

1974年(第9回大会)

1974 FIFAワールドカップ 
開催 ドイツ西ドイツ
出場 16チーム
優勝 ドイツ西ドイツ(2回
優勝 オランダオランダ
3位 ポーランドポーランド
4位 ブラジルブラジル
得点 ポーランドグジェゴシ・ラトー

この大会から現在使用されているワールドカップトロフィが登場し、大会は新たな時代へと突入することになった。そしてペレの時代が幕を閉じ、西ドイツフランツ・ベッケンバウアーオランダヨハン・クライフという2人のスーパースターサッカー界の中心として活躍していた。また、初のオセアニア勢としてオーストラリアが初出場した大会ともなった。

当時、革新的なポジションにこだわらない全員攻撃・全員守備を掲げたオランダの「トータルフットボール」が旋を起こし、スタイリッシュサッカー世界中を魅了する。一方、西ドイツもDFが自由ポジションを変え、攻撃にも絡むリベロを採用した戦術を披露する。また、2年前のオリンピック金メダルを獲得したポーランドも評判通りの強さを見せ、前回準優勝イタリアを敗退に追い込み、2次リーグへと駒を進める。

ペレが代表を引退したブラジルは新たな10番リベリーノを中心に2次リーグまで進んでくるが、オランダとの対戦ではの差を露呈。個人技のブラジルに対し、オランダクライフヨハン・ニースケンスの二大エースが試合を決め、8得点0失点という驚異的な成績で決勝へ進出する。ホスト西ドイツゲルト・ミュラーの決勝ゴール台風となっていたポーランドを破り、決勝へと進出。

ミュンヘンおこなわれた西ドイツオランダの決勝はとんでもないスタートとなる。オランダキックオフから西ドイツに全くボールを触らせないままクライフがPKを獲得する。これをニースケンスが決め、オランダが先制。出鼻を挫かれた西ドイツだったが、前半のうちにPKを獲得し同点に追いつくと、前半43分にミュラーゴールを決め、逆転する。ここから西ドイツはベルティ・フォクツがクライフマンマークによって封じ込め、オランダの組織の機を狂わせる。守ってはGKゼップ・マイヤーが好セーブを連発。ベッケンバウアーを中心に規の取れたプレーを見せた西ドイツ勝利し、20年ぶりの優勝を飾る。

優勝に終わったオランダだったが、大会で見せた「トータルフットボール」はサッカー界に大きな変革をもたらすきっかけとなり、サッカーの潮流が個から組織へと移り変わるきっかけを作ることとなった。現代サッカー流はこのときのオランダ(もっと言えばアヤックス)と言っても過言ではない。

1978年(第10回大会)

1978 FIFAワールドカップ 
開催 アルゼンチンアルゼンチン
出場 16チーム
優勝 アルゼンチンアルゼンチン(初)
優勝 オランダオランダ
3位 ブラジルブラジル
4位 イタリアイタリア
得点 アルゼンチンマリオケンペス

10回ワールドカップは、当時軍事政権下にあったアルゼンチンで開催されることとなり、この決定に議論が巻き起こった。軍導で運営される大会をオランダヨハン・クライフは危惧し、出場を辞退する。西ドイツベッケンバウアーも代表をすでに引退していたため、前回を盛り上げた2大スターって不在となり、やややかさに欠いた大会となったことは否めない。

政府から優勝を至上命題とされていたアルゼンチンは、ホルヘ・メノッティ監督革によってこれまでのダーティーで時代遅れとなっていたスタイルを払拭し、攻撃サッカーへと変貌していた。メノッティが発掘した若い選手が多く起用されたチームは苦戦を強いられながらも2位で1次リーグを通過する。大会の台風となったのはペルーだった。初戦でスコットランドを破るサプライズを起こすと、第2戦では前回準優勝オランダ相手にドローに持ち込む。第3戦のイラン戦には快勝し、1位グループを突破。

2次リーグに入るとアルゼンチンは闘士と呼ばれたエースマリオケンペス爆発ポーランド戦で2ゴールを決めると、決勝進出のために大量得点が必要となったペルー戦でも2ゴールを奪い、6-0での大勝によって決勝進出を果たす。ただ、この試合は軍事政権がペルーを買収した八百長の疑いがかけられている。欧州勢が固まったもう一つのグループ西ドイツイタリアを抑えたオランダが首位で通過。

ホストアルゼンチンと2大会連続ファイナルに残ったオランダの組み合わせとなった決勝は、ケンペス吹雪が舞う中でゴールを決め、アルゼンチンが先制。だが、クライフが去り前回よりを落としたオランダもニースケンスを中心に押し込み、後半に同点に追いつく。延長戦に入ると、ケンペス中央突破からまたもゴールをこじ開け、アルゼンチンが勝ち越し。ケンペスはその後、ダニエル・ベルトーニのダメ押しゴールアシストし、アルゼンチンが初優勝を果たす。

最近の大会

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開催地 優勝 優勝 ゴールデンブーツ
(最多得点
ゴールデンボール
MVP
1982 スペインスペイン イタリアイタリア ドイツ西ドイツ イタリアパオロ・ロッシ イタリアパオロ・ロッシ
1986 メキシコメキシコ アルゼンチンアルゼンチン ドイツ西ドイツ イングランドゲーリー・リネカー アルゼンチンディエゴ・マラドーナ
1990 イタリアイタリア ドイツ西ドイツ アルゼンチンアルゼンチン イタリアサルバトーレ・スキラッ イタリアサルバトーレ・スキラッ
1994 アメリカアメリカ ブラジルブラジル イタリアイタリア ブルガリアリスト・ストイチコフ 他 ブラジルロマーリオ
1998 フランスフランス フランスフランス ブラジルブラジル クロアチアダヴォル・シュケル ブラジルロナウド
2002 日本日本
韓国韓国
ブラジルブラジル ドイツドイツ ブラジルロナウド ドイツオリバー・カーン
2006 ドイツドイツ イタリアイタリア フランスフランス ドイツミロスラフ・クローゼ フランスジネディーヌ・ジダン
2010 南アフリカ南アフリカ スペインスペイン オランダオランダ ドイツトーマス・ミュラー ウルグアイディエゴ・フォルラン
2014 ブラジルブラジル ドイツドイツ アルゼンチンアルゼンチン コロンビアハメス・ロドリゲス アルゼンチンリオネル・メッシ
2018 ロシアロシア フランスフランス クロアチアクロアチア イングランドハリー・ケイン クロアチアルカ・モドリッチ
2022 カタールカタール
2026 カナダカナダ
メキシコメキシコ
アメリカアメリカ

記録

歴代優勝回数

順位 優勝 優勝 優勝 ベスト4
1位 ブラジル 5 1958,1962,1970,1994,2002 2 4
2位 ドイツ 4 1954,1974,1990,2014 4 5
2位 イタリア 4 1934,1938,1982,2006 2 2
4位 アルゼンチン 2 1978,1986 3 0
4位 フランス 2 1998,2018 1 3
4位 ウルグアイ 2 1930,1950 0 3
7位 イングランド 1 1966 0 2
7位 スペイン 1 2010 0 1

国別出場回数

順位 出場回数 最高成績
1位 ブラジル 21 優勝
2位 ドイツ 19 優勝
3位 イタリア 18 優勝
4位 アルゼンチン 17 優勝
5位 メキシコ 12 ベスト8
6位 フランス 11 優勝
6位 イングランド 11 優勝
6位 スペイン 11 優勝
6位 ベルギー 11 ベスト4

選手別出場大会数

順位 出場回数 出場した大会
1位 アントニオ・カルバハル 5 1950,1954,1958,1962,1966
ローター・マテウス 1982,1986,1990,1994,1998
ジャンルイジ・ブッフォン 1998,2002,2006,2010,2014
ラファエル・マルケ 2002,2006,2010,2014,2018

出場試合数

順位 選手名 試合数 出場した大会
1位 ローター・マテウス 25 1982,1986,1990,1994,1998
2位 ミロスラフ・クローゼ 24 2002,2006,2010,2014
3位 パオロ・マルディーニ 23 1990,1994,1998,2002
4位 ウーベ・ゼーラー 21 1958,1962,1966,1970
4位 ヴワディスワフ・ジュムダ 21 1974,1978,1982,1986
4位 ディエゴ・マラドーナ 21 1982,1986,1990,1994
7位 グジェゴシ・ラトー 20 1974,1978,1982
7位 カフー 20 1994,1998,2002,2006
7位 フィリップ・ラーム 20 2006,2010,2014
7位 バスティアン・シュバインシュタイガー 20 2006,2010,2014

最年少出場

選手名 年齢 達成した大会 達成した試合
北アイルランドノーマンホワイトサイド 17歳41日 1982年大会 グループリーグ 北アイルランドvsユーゴスラビア

最年長出場

選手名 年齢 達成した大会 達成した試合
エジプトエサム・エル=ハダリ 17歳41日 2018年大会 グループリーグ エジプトvsサウジアラビア

通算得点数

順位 選手名 得点 出場した大会
1位 ミロスラフ・クローゼ 16 2002,2006,2010,2014
2位 ロナウド 15 1994,1998,2002,2006
3位 ゲルト・ミュラー 14 1970,1974
4位 ジュスト・フォンテーヌ 13 1958
5位 ペレ 12 1958,1962,1966,1970
6位 シャーンドル・コチシュ 11 1954
6位 ユルゲン・クリンスマン 11 1990,1994,1998
8位 ヘルムート・ラー 10 1954,1958
8位 オフィロ・クビジャ 10 1970,1978,1982
8位 グジェゴシ・ラトー 10 1974,1978,1982
8位 ゲーリー・リネカー 10 1986,1990
8位 ガブリエル・バティストゥータ 10 1994,1998,2002
8位 トーマス・ミュラー 10 2010,2014,2018

一大会得点数

順位 選手名 得点 記録した大会
1位 ジュスト・フォンテーヌ 13 1958
2位 シャーンドル・コチシュ 11 1954
3位 ゲルト・ミュラー 10 1970
4位 アデミール 9 1950
4位 エウゼビオ 9 1966
6位 ジェルモ・スタービレ 8 1930
6位 レオニダス 8 1938
6位 ロナウド 8 2002
9位 グジェゴシ・ラトー 7 1974

一試合得点数

順位 選手名 得点 記録した試合
1位 ロシアオレグサレンコ 5 1994年大会グループリーグ ロシアvsカメルーン
2位 ポーランドエルンスト・ヴィリモフスキ 4 1938年大会1回戦 ポーランドvsブラジル
ブラジルアデミール 1950年大会2次リーグ ブラジルvsスウェーデン
ハンガリーシャーンドル・コチシュ 1954年大会グループリーグ ハンガリーvs西ドイツ
フランスジュスト・フォンテーヌ 1958年大会3位決定戦 フランスvs西ドイツ
ポルトガルエウゼビオ 1966年大会準々決勝 ポルトガルvs北朝鮮
スペインミリオ・ブトラゲーニョ 1986年大会ラウンド16 スペインvsデンマーク

最年少得点

選手名 年齢 達成した大会 達成した試合
ブラジルペレ 17歳239 1958年大会 準々決勝 ブラジルvsフランス

最年長得点

選手名 年齢 達成した大会 達成した試合
カメルーンロジェ・ミラ 42歳39日 1994年大会 グループリーグ カメルーンvsロシア

日本代表の成績

開催年 開催 成績 代表監督 得点 失点
1930 不参加
1934 不参加
1950 不参加
1954 予選敗退 重丸
1958 不参加
1962 予選敗退 高橋
1966 不参加
1970 予選敗退 長沼
1974 予選敗退 長沼
1978 予選敗退 二宮
1982 予選敗退 三郎
1986 予選敗退 孝慈
1990 予選敗退 横山謙三
1994 予選敗退 ハンスオフ
1998 グループステージ敗退 岡田武史 0 0 3 1 4
2002
ベスト16 フィリップ・トルシエ 2 1 1 5 3
2006 グループステージ敗退 ジーコ 0 1 2 2 7
2010 ベスト16 岡田武史 2 1 1 4 2
2014 グループステージ敗退 アルベルト・ザッケローニ 0 1 2 2 6
2018 ベスト16 西野朗 1 1 2 6 7

本大会での通算得点数

順位 選手名 得点 出場した大会
1位 本田圭佑 4 2010,2014,2018
2位 稲本潤一 2 2002,2006,2010
2位 岡崎慎司 2 2010,2014,2018
2位 乾貴士 2 2018
5位 中山雅史 1 1998,2002
5位 鈴木隆行 1 2002
5位 森島寛晃 1 1998,2002
5位 中田英寿 1 1998,2002,2006
5位 中村俊輔 1 2006,2010
5位 玉田 1 2006,2010
5位 遠藤保仁 1 2006,2010,2014
5位 香川真司 1 2014,2018
5位 大迫勇也 1 2014,2018
5位 原口元気 1 2018

ジンクス

次回大会・今後

次回の2022年大会はカタールでの開催、2026年大会は3かカナダ/メキシコ/アメリカ合衆国での開催が決定している。

開催ともなれば、世界中の注を一身に集め、観光客をはじめとする様々かつ大きな経済効果が期待されるため、どのも誘致に熱心である。もちろん日本も例外ではなく、2018年および2022年大会の誘致を真剣に考えていた。 

現在のところ、同一で2回開催した事例は、メキシコイタリアフランスドイツブラジルの5カ。このうち、ドイツの1回は、西ドイツ大会であったため別での開催とも言える。2014年大会を開催したブラジルは、1950年に1度開催しているため、事実上5カの事例となった。2度の招致がもっとも短かったのはメキシコで、1970年に1度W杯を経験した16年後1986年大会を再び招致している(もっともこの時は、開催が決まっていたコロンビア経済危機により権利を返上し、開催したばかりでインフラが整っていたメキシコピンチヒッターを務めたものである)。残りのは、2回までに少なくとも60年前後の開きがある。そのため、日本韓国とか、招致するのすぎじゃね?とかいうことはあまり気にしなくていい。もっとも、ホストとしてのが同じならば、他のべて著しく不利になるのは当然だが。

ちなみに、実はメキシコ2022年大会にも名乗りを上げ、前代未聞の3度開催を実現しようとしていたが、自重した。なお、メキシコは単独は取り下げたもののカナダおよびアメリカとの共催という形での再開催を実現している。

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最終更新:2021/11/28(日) 18:00

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