ナイン・インチ・ネイルズ(Nine Inch Nails)は、アメリカ合衆国のインダストリアル・ロックバンド。
ノイズやテクスチャを緻密に重ね合わせた精巧なサウンド、”怒り”や”苦悩”をテーマとした内省的な歌詞が特徴。1990年代に最も成功したロックバンドの1つであり、現在も音楽シーンの第一線で活躍し続けている。
正確にはバンドというよりも、フロントマンのトレント・レズナーによるソロプロジェクトと言った方が正しい。(初期のアルバムやシングルには「Nine Inch Nails is Trent Reznor」とクレジットされている)楽曲はすべて作詞作曲から楽曲の制作に至るまでトレント・レズナーがほぼ1人で担当している。他のメンバーに関しては、基本的にアルバム制作後のライブツアーを行う際に改めて召集される。
トレント・レズナーがミュージシャンとしての活動を始めたのは1983年頃のことである。
当時から「自分の音楽で成功すること」を強く目指してはいたものの、それまで作曲をしたことが一切無かったため、自信の無さからなかなか音楽の制作に踏み切れず、しばらくの間はスタジオや楽器店で働きながら他人のバンドで演奏する日々を送る。
1988年、ようやく自分の音楽を作ることを決心したトレントは当時勤めていたスタジオの管理人と交渉し、空いた時間にスタジオを使用する許可を得る。トレントはそこで作曲活動を始め、自身の音楽プロジェクトをNine Inch Nails(以下NIN)と命名。「Down In It」や「Sanctified」など複数の曲のデモを完成させると、それを様々なレコード会社に送り、その中で最も好意的な反応を示したTVTレコーズと契約を結ぶ。
1989年9月、シングル「Down In It」でデビュー。同年10月に発売された1stアルバム「Pretty Hate Machine」は当時はあまり話題にならなかったものの、その後2年間に渡りビルボードチャートに残り続け、2003年には売り上げ300万枚を達成している。ライブ活動も積極的に行い、ステージ上で機材を破壊したり、観客を攻撃的な態度で煽るその過激なパフォーマンスは徐々に話題となっていった。
1991年ごろからTVTレコーズはNINの音楽性について深く干渉を行うようになってくる。自分の思うように音楽が作れないと感じたトレントは契約の打ち切りを申し出るが、TVTレコーズ側はこれを拒否。業を煮やしたトレントはTVTレコーズを相手に契約問題で訴訟を起こす。
1992年、TVTレコーズと裁判に勝利したトレントは、新たに契約を交わしたインタースコープ・レコーズの元で自身のレーベルである「Nothingレコーズ」を立ち上げる。
さらに同年9月に、裁判の間に極秘裏に製作していたミニアルバム「Broken」をリリース。ポップでメロウな前作とは一転、怒りの感情に彩られたノイジーでアグレッシブな作品となった。「Broken」はビルボードチャートに7位にランクインし、収録曲「Wish」は1993年のグラミー賞ベストメタルパフォーマンスを受賞した。
1994年、2ndアルバム「The Downward Spiral」をリリース。”自己破壊”や”孤独”をテーマとした陰鬱な作風にも関わらずビルボードチャート初登場2位を記録し、全米で400万枚を売り上げるヒット作となった。
|
その後のWoodstock’94への出演(この時の泥まみれで行われた「Happiness In Slavery」の演奏は1996年のグラミー賞ベストメタルパフォーマンス選出された)や、約2年間に渡るライブツアー「Self-Destruct Tour」も大成功を収め、一気に時代を象徴する人気バンドの地位へと登りつめる。
しかし、その成功による急激な状況の変化に当のトレントはうまく順応できず、やがて周りからの次回作への期待というプレッシャーに押しつぶされ、次第にアルコールやドラッグにはまっていくようになる。
さらに親友であったMarilyn Mansonとの確執と離別、育ての親である祖母との死別などが重なり、トレントはまさにどん底とも言える精神状態に陥っていく…
そんな最悪の精神状態のなか制作された2枚組の3rdアルバム「The Fragile」は、幾たびもの延期の末に1999年9月にようやくリリースされた。前作よりも暗く難解な作風で、ビルボードチャートで初登場1位を記録するも、その翌週には一気に16位にまで転落。セールス的には苦戦を強いられた。(それでも最終的には200万枚を売り上げている。)
その後、ライブツアー「Fragility Tour」がスタート(2000年には初来日も果たした)。だが、トレントの鬱状態とアルコール・ドラッグの問題は以前進行中で、2000年にはライブのため訪れたイギリスのロンドンでヘロインの過剰摂取を行い緊急入院している。
中毒は深刻だった。なのに当時の俺はそれを全く自覚していなかったんだ。当時の俺を支配していたのは「俺がアーティストとして伝えたいことなんて、もう残っていないんじゃないか?」という恐怖だった。その恐怖から逃れるためにまた酒やドラッグに手をだす、という悪循環に陥ったんだ。
その後のツアーはなんとか続行されたが、2002年にそのツアーの様子を収めたライブ作品「And All That Could Have Been」をリリースして以降、しばらくNINは活動を休止することになる。
休止期間中にリハビリと徹底的な自己管理を行い、鬱病とアルコール・ドラッグ中毒を克服したトレントは、2005年5月にNINとして6年ぶりとなる4thアルバム「With Teeth」をリリース。それまでの偏執的なノイズは鳴りを潜め、バンドサウンドや歌そのものを前面に出した作風となり、ビルボードチャートに1位でランクインした。
「With Teeth」を作り始めてやっと気付いたんだ。酒やドラッグの力を借りなくても、俺は沢山のアイディアを思いつけるってことを。ここ数年の薬中生活のせいで脳がイカれたと思ったけど、俺はまた自分の考えを持てるようになったし、本当に生き返った気分だよ。
その後約2年間は精力的にライブツアーを行い(2005年8月にはサマーソニックに出演する形で2度目の来日も果たした)、2007年にはライブ映像作品「Beside You In Time」がリリースされた。
2007年4月、5thアルバム「Year Zero」をリリース。ツアーの合間にトレントがラップトップ上で作曲したもので、前作のバンド志向のサウンドとは一転、打ち込み中心のエレクトロニカルな内容となっている。
「Year Zero」はトレントが近未来のアメリカを舞台に作り上げたストーリーを元にしたコンセプトアルバムで、アルバムやツアーのポスター等に隠された暗号を解読すると、Year Zeroの世界観にまつわるWebサイトのURLが現れ、徐々にそのストーリーが明らかになっていくという仕掛けになっている。
2007年5月、ツアーでオーストラリアを訪れた際、NINのアルバムがオーストラリアではアメリカよりはるかに高い値段で売られていることを知ったトレントは、レコード会社に対し怒りの声明を発表。
レコード会社は自業自得で負った傷を、消費者に肩代わりさせようとさせている。『ポップスは割引しなきゃ売れないが、熱心なファンのいるバンドのCDはどんなに高くても売れる』…そう説明されたよ。君らは『熱心なファン』であるが故に搾取され続けるんだ。
さらに2007年9月、ツアーで再びオーストラリアを訪れたトレントはライブ公演中にファンに対して「NINの音楽を盗め」と発言。
調べる機会が無かったんだけど、あれからCDの価格が下がってるのを見た人は誰かいるか?……(観客側から「見てない!」という声が続々と上がる)…なに見てない?…そこの君も…君もか?…そうか、誰も見てないんだな?ならどうするべきか教えよう。盗め!(観客側から歓声が上がる)盗んで君たちの友達にもくれてやれ。
これ以降トレントはレコード会社に頼らない、新たな音楽の配信方法を模索していくようになる。
2007年10月、インタースコープとの契約満了に伴い、晴れてフリーとなったトレントはまず自身がプロデュースしたソウル・ウィリアムズの新作「The Inevitable Rise and Liberation of NiggyTardust!」をネット上でリリース。
配信サイトでは無料か5$(約600円ほど)支払うかを選択することができ、5$を選択するとより高音質なバージョンをダウンロードできるという方法が用意された。
それから3ヶ月後の2008年1月、トレントは現時点でのソウルの新作の売り上げを公式サイトで発表。約15万人がアルバムをダウンロードしたが、5$を支払うことを選択したのはその内の18.3%だった。
このアルバムは宣伝に一切金をかけていないし、取材したメディアも殆ど無かった。つまり、このプロジェクトの存在を知ることができた人々は多くはソウルかNINのファンであったはずなんだ。なのにこのアルバムに5$支払う価値があると思ったのは、その内の1/5にも満たなかった…これは朗報と言えるのか?ある程度予想はしてたつもりだったが…正直、この結果にはがっかりした。
|
なお、このアルバム配信の一連の出来事についてまとめた動画がニコニコ動画にも存在している。→
しかしこれにもめげず、その2ヶ月後の3月2日にNINの6thアルバム「Ghosts I - IV」がNIN公式サイトでリリース。今度は無料、5$、10$、75$、300$の5つの価格から選択でき、それぞれ曲数や付属する特典が異なる仕様となっている。
さらに、その2ヶ月後の5月5日にNIN公式サイトにて7thアルバム「The Slip」を今度は無料でリリース。サンプリングレート96kHzの高音質ファイル・フォーマット(mp3、FLAC、M4A、WAV)で提供され、ダウンロード数は15万件にも達した。後にリハーサル映像を収録したDVD付きのCDアルバムも25万部限定で発売された。
|
2008年7月より、「Light In The Sky Tour」と題されたライブツアーが開始された。
過去最高規模の大掛かりなライティング・映像演出が施されたツアーで、ジェームズ・キャメロン協力のもと3Dカメラでの撮影による映像作品の制作も企画されていたが、NINの殆どの作品の権利を保有しているユニバーサル・ミュージック(インタースコープの親会社)が、以前トレントから批判されたことへの腹いせか、それらの楽曲を使用した映像作品を制作する許可を出さなかったため、この企画はお蔵入りとなってしまう。
そこでトレントは残されたライブ公演を「撮影・録音自由」にし、ファンにライブ作品を自主制作することを暗に促す。さらに2009年1月には、プロによって撮影された400GBにも及ぶ3公演分の高品質ライブ映像のデータをネット上に故意に流出させるという、とんでもない行動にでる。
"怪しい謎の人物"が"なんらかの手段"で大掛かりな機材を持ち込み撮影したもののようだ。残念だが、セキュリティが甘かったと言わざるを得ないな。本当にとんでもないクオリティーだ。
海外ではさっそくこれらのライブ映像を1つの映像作品として仕上げるべく、有志のファンによって「This One Is On Us」というプロジェクトが立ち上げられる。(それらの映像はYoutubeにも投稿されている)
己の利益など度外視した、この立て続けの大盤振る舞いに「さすがトレント!他のミュージシャンたちができない事を平然とやってのけるッ!そこにシビれる!あこがれるゥ!」とファンが熱狂する一方で、音楽を無料で提供し続けるトレントのやり方を「やり過ぎだ」と批判するアーティストたちも少なからず現れ始める。
トレントは地道に努力してる他のバンドを潰す気なのか?これじゃあ音楽に金を払おうとする奴はいなくなるぞ。いつから音楽はタダになったんだ?
音楽が無料であるべきだと思わせるのが正しいとは思えないんだ。音楽が出来るまでにはお金もかかっているってことを、皆には理解して欲しい。
|
2009年2月、NIN公式サイトにてトレントは2月からスタートする「Wave Goodby Tour」を最後に、NINとしての活動をしばらく休止することを発表。「Wave Goodby Tour」では前回のツアーのような大掛かりな演出は用いられず、よりソリッドなバンドの演奏を重視したライブツアーとなった。
NINを活動停止した後、トレントは自身の妻マリクイーンと右腕的存在であるアティカス・ロスと共に新ユニット「How To Destroy Angels」を始動。2010年に1stEP「How To Destroy Angels」、2012年に2ndEP「An Omen」をリリース。2013年には1stアルバム「Welcome Oblivion」をリリースし、北米ツアーも行われた。
さらに2010年には、アティカス・ロスと共同でデヴィッド・フィンチャー監督の映画「ソーシャル・ネットワーク」の音楽を担当。2011年にはアカデミー作曲賞初ノミネートで初受賞を果たした。
2010年11月22日にNINのデビューアルバム「Pretty Hate Machine」のリマスター版がリリース。「Pretty Hate Machine」はNINが最初に契約したTVTレコーズに原盤権を握られ、リマスター化が出来ない状況にあったが、TVTレコーズが破産し最終的にBicycle Musicが原盤権を得たことでようやく実現した。
様々なレーベルの手に渡り長年不遇な扱いを受けてきたレコードだったが、ようやく友好的なレーベルの元に落ち着き、さらに磨き上げた状態で君たちに提供できることになった。楽しんでくれ。
|
2011年12月にデヴィッド・フィンチャー監督作「ドラゴン・タトゥーの女」が公開。トレントとアティカスが再び音楽を担当した。
映画の予告編及びオープニングタイトルにはレッド・ツェッペリンの「Immigrant Song(移民の歌)」のカヴァーが使われた。ボーカルには「Yeah Yeah Yeahs」のカレン・Oが招かれた。
2013年にNINの活動再開を発表。公式サイトにてNINの最新アルバムが制作されていることを明かす。
7月から始まった活動再開後初のライブツアーは、なんと日本のフジロックフェスティバルからスタート。しかも1曲目からまだ発表されていなかった新曲「Copy Of A」を披露。日本のファンを熱狂させた。
そして8月30日にコロンビア・レコードより5年ぶりとなる8thアルバム「Hesitation Marks」を発売。9月から始まった単独ツアー「Tension Tour」はこれまでの5人編成に、ベーシストのピノ・パラディーノと女性コーラス2名を加えた初の8人編成で行われ、バンドのダイナミズムをより深く追求したライブツアーとなった。
2014年1月26日に第56回グラミー賞授賞式で、NINがQueens Of The Stone Age(以下QOTSA)と共に初めて出演しパフォーマンスを行った。以前から(過去に2回受賞していながら)グラミー賞を敬遠していたトレントであるが、「価値のあるパフォーマンスを観客に届けられるなら」と出演を決意。
パフォーマンスはNINのメンバーにQOTSAのジョシュ・オムとギタリストのリンジー・バッキンガム、ドラマーのデイヴ・グロールが加わった非常に豪華なものだったが、テレビ中継ではQOTSAの楽曲を演奏している途中でカットされCMに移行。これにトレントは激怒し「”音楽最大の祭典”で、これほどの侮辱を受けるとはな。お前らマジでくたばれ」とツイート。
「かなり上手くいったな」と思いながら舞台裏に戻ると、仲間のロブが血相を変えて飛んできた。「信じられねえよ、奴らデルタ空港のCMを流すためにライブを途中で切りやがった」と。俺はそのことについてグラミー側からは一切何も聞かされていなかった。出演したこと自体は今更後悔していない。だが今後グラミーで演奏することは絶対にありえないね。
2014年2月から始まったライブツアーもまたまた日本からスタート。メンバーは前回の8人編成から4人編成に変更された。来日公演2日目にはトレントの妻であるマリクイーン・マーンディグがサプライズで登場。How To Destroy Angelsの曲を2曲披露する。(米国以外で演奏されるのは日本が初とのこと。)さらに公演3日目には映画「ソーシャル・ネットワーク」のテーマ曲「Hand Covers Bruise 」が演奏された。
ツアーは2014年8月に終了。NINは再び活動休止期間に入った。
前述の通り、NINの正式メンバーとされるのはトレント・レズナーのみで、他のメンバーに関してはライブツアーが始まるたびに改めて召集される。その選抜方法はオーディションであったり、あるいはレコーディングに参加してそのままライブへの参加を要請されたり、他のバンドメンバーから紹介されたりと様々である。
NINの中心人物。ライブではボーカル、ギター、キーボード、タンバリン等を担当。NINの活動停止後はアティカス・ロスと共にデヴィッド・フィンチャー監督の映画音楽を手掛けたり、音楽配信サービスの「Beats Music」(後にAppleに買収され、「Apple Music」となった。)に宣伝戦略顧問として雇われたりと、相変わらず忙しく働いている。
2009年にマリクイーン・マーンディグと結婚。2010年には長男のラザラス・エコー(Lazarus Echo)が誕生。2011年には次男のバルタザール(Balthazar)が生まれた。
ギターとバッキングボーカルを担当。1994年から2000年まで在籍し、2007年のツアーにまたバンドに復帰した。Guns N' Roses でもリードギターを担当していた。メロディだけでなく、時にはNIN独特のノイズやテクスチャまでギターで再現する凄腕のギタリスト。なんだかんだ言って Nine Inch Nails に一番所縁がある人物。昔はよくトレントにステージから蹴落とされていた。
アレッサンドロ・コルティーニ(Alessandro Cortini)
イタリア出身。2004年にオーディションを受け正式メンバーとなった。ライブではキーボードやシンセサイザーを担当。曲によってはギターやベース、電子ドラムなども演奏する。2008年に一度脱退するが、2013年のNIN再始動時に再びバンドに復帰。2014年に来日した際にはサポートアクトとしても出演した。トレントの別プロジェクトHow To Destroy Angelsにも参加している。
かなりのアナログシンセサイザーオタクでライブでもカスタムメイドのモジュラーシンセやカセットテープといったアナログな機材を好んで使っている。NINのいくつかの楽曲には作曲者としてクレジットされている。以前はModwheelmoodというバンドでも活動していたが、現在は活動休止中で、現在はソロプロジェクトSONOIOで活動している。
2009年にドラマーとして加入。メンバー最年少(ちょうどNINが始動した1988年に生まれている。)だが、ドラマーとしての実力はかなりのもので、トレントからは「2006年に初めてアイランのプレイを見た時はぶっ飛ばされた。ジョッシュが去った後にスティックを握るのにふさわしい人物だ」と全幅の信頼を置かれている他、NINのライブを見たKISSのジーン・シモンズからも「ループに対し完璧なタイミングで叩けている。恐ろしく優秀なドラマーだ」と絶賛を受けた。
ドラムのみならずギターやベース、キーボードの演奏もでき、腕前もなかなかのもの。なのでバンドが4人編成の時はなにかと酷使されている。(「March Of The Pigs」ではドラムとピアノを演奏したり、「Hurt」ではベースとドラムを演奏したりと、曲によっては1人で2つの楽器を担当していることもある。)自身のバンドThe New RegimeではNINと同じように、アルバムではボーカルとほぼ全ての楽器を自分で担当している。ボーカリストとしてのスキルもなかなか高い。
NIN創立時のメンバーでトレントとは高校時代からの友人。結成当初はキーボードを担当していたが、当時のドラマーがすぐに脱退してしまったため、その後を引き継ぐ形でドラマーに転向した。サウンドデザインやプログラミング、エンジニアリングなどにも精通しており、1997年にNINを脱退した後はプロデューサーやDJ、作曲家として活躍している。2004年には、Marilyn Mansonに代理ドラマーとして参加し、2007年にはキーボーディストとして正式メンバーとなったが、自身のソロ活動やプロデュース業に専念するため2011年に脱退した。
1989年のツアーでドラマーに転向したクリスの代わりに臨時のキーボーディストとして参加。本来はNINの初代アートディレクターで、「Pretty Hate Machine」や「The Downward Spiral」など初期のNINの作品のアートワークを手掛けた。現在も使用されている、あの「NIИ」のロゴも彼の作品である。
NINの初代ギタリストで1989年に加入。それまでのNINはボーカル、キーボード、ドラムの3人編成だったが、ギタリストが加わったことで4人編成となる。1993年に脱退し、その後はFilterという自身のバンドを結成し活動している。トレントとの仲は険悪なようで、インタビューではトレントに対し「”Piggy”なんて曲を書きやがって」と恨み言を口にしている。(”Piggy”はNIN在籍当時のリチャードの渾名らしい)余談だが、ターミネーター2のT-1000役として有名な俳優のロバート・パトリックは彼の実兄である。(T2のメイキング映像では、ロバートがNINのTシャツを着ているのが確認できる)
1991年にキーボーディストとして加入したが1994年に脱退。在籍期間がちょうどNINが売れ始め、メディアへの露出が増え始めた頃だったため、それまでのキーボーディスト(前任者が4人いたが、いずれもごく短期間で脱退している)よりは存在が認知されている。「March Of The Pigs」のPVや、Woodstock’94のライブ映像などで、その姿が確認できる。
1991年に一時NINを脱退していたクリス・ヴレナ(当時トレントと喧嘩してたらしい)の後任として加入。その年のロラパルーザツアーとヨーロッパツアーに参加するが、以前からヘロイン中毒に苦しんでおり、1993年に一酸化炭素中毒による自殺で死去。その後はクリス・ヴレナがドラマーとしてバンドに復帰した。
1994年に発売された2ndアルバム「The Downward Spiral」ではクレジットにてジェフに対し哀悼の意が捧げられている。
1993年に加入。ダニーの加入以後、NINのライブバンドは5人編成が基本となる。ベーシストと思われがちだが、本来はギタリスト。曲によってはキーボードも担当する。サウンドデザイナー、プログラマーとしても優れており、NINの幾つかの曲には作曲者としてもクレジットされている。2001年に脱退後は主にプロデューサーやリミキサーとして活躍している。
2009年のLA公演では、8年ぶりにNINのライブにゲスト出演している。
1994年に加入。元々はスタジオのエンジニアとして働いていたが、1994年のツアーの途中でジェームズ・ウーリーが脱退したため、ライブ・キーボーディストとなった。「Sin」や「Even Deeper」などの曲ではテルミンも演奏する。プログラマー、エンジニアとしても優秀で、トレントは「チャーリーがメンバーに加わったことによって、ライブでの負担が大きく減った。技術的なことで俺があれこれ指示しなくて済むようになった」と語っている。NINの幾つかの曲には作曲者としてもクレジットされている。
2001年に脱退以降は、「SAW」シリーズや「バイオハザード3」などの映画音楽を手がけている。
1999年にドラマーとして加入。「ジェロームが加わわり、1stアルバムのような古い曲にも新たな活力がもたらされた」とトレントは語っている。ドラム以外にも、ギターやピアノの演奏もでき、2002年のアルバム「Still」ではギタリストとしてもクレジットされている。
2005年のツアーでも前回から唯一続投したメンバーだったが、9月のライブ中に胸痛を訴え緊急入院。一時はツアーに復帰するもののその後再び入院し、そのまま年内にバンドを脱退した。(持病の甲状腺疾患の治療薬の副作用と疲労が重なって起きた心臓発作だった)脱退後トレントとはなんやかんやあって絶縁状態である。(詳細についてはこちら)脱退後は自身のプロジェクトnearLYや、映画音楽の作曲などで活躍している。
Marilyn Mansonのトゥイギー・ラミレズとして知られる。トレントとはMarilyn Manson時代からの知り合いで、2005年にNINに加入する際もジョーディだけはオーディションではなく、トレントが直接参加を依頼したらしい。ベース担当だが、曲によってはギターやキーボードも演奏する。それまではテープやシーケンサーで演奏されていたシンセベースのパートも、ジョーディがエレキベースでアレンジして演奏するようになったため、バンドサウンドのグルーヴ感と音の厚みがより増した。
2007年にNINを脱退し、2009年には古巣であるMarilyn Mansonに復帰している。
2005年に加入。元The Icarus Lineのギタリストで、NINにはプロデューサーのアラン・モウルダーからの推薦でオーディションを受け加入した。ギターやマイクスタンドを振り回したり、アンプを破壊したりと、ステージ上ではとにかく暴れまくる。(それが原因でライブ会場のセキュリティから何度か訴えられたことも。)トレントからギターのパートは「前任者(リチャードやロビン)のマネはせず、お前が自分でアレンジしろ」と直言されたそうで、「Head Like A Hole」や「Only」などの楽曲は、イントロや間奏がアルバムからはかなりアレンジされている。
Vandals、Devo、Guns N' Roses、A Perfect Circleなど様々なバンドで活躍する敏腕ドラマー。
2005年9月に心臓発作でダウンしたジェロームの代理として10月4日と10月5日のライブに出演する。その時のライブについて、トレントは「演奏していてこれほど快適に感じるのは、ジョッシュの才能が本物である証だろう」と絶賛。その時はピンチヒッターとして2公演に出演したのみで、後の公演はアレックス・キャラペティスというドラマーが引き継いだが、トレントはアレックスの技量に不満を抱いていたようで、2005年12月にはジョッシュが再びドラマーとして復帰。晴れて正式メンバーとなった。
ジャスティン・メルダル=ジョンセン(Justin Meldal-Johnsen)
2008年に加入。ベーシストとして様々なミュージシャンのアルバムに参加している。NINには友人でもあるジョッシュ・フリースから紹介され、オーディションを経て正式メンバーとなった。ジョッシュとは以前から他のバンドで何度も共演しており、リズム隊としてのコンビネーションは抜群。「Something I Can Never Have」や「Lights In The Sky」などの曲ではコントラバスも演奏する。
2009年にNINの活動休止に伴い脱退。
2013年に加入。ライブではシンセサイザー、ベース、ギター、マンドリン、二胡などを様々な楽器を担当。普段は自身のプロジェクトであるTelefon Tel Avivで活動しており、2000年のNINの「The Fragile」のリミックスアルバム「Things Falling Apart」ではリミキサーとして参加している。
30年以上のキャリアを持つベテランベーシストで、8thアルバム「Hesitation Marks」のレコーディングに参加している。ライブには2013年9月から始まった「Tension Tour」にのみ参加。このツアーでは、さらにリサ・フィッシャーとシャーロット・ギブソンがバックボーカリストとして加わり、NINとしては初の8人編成となった。
NINのプロデューサー兼レコーディングエンジニア。1994年の「The Downward Spiral」以来、すべてのNINの作品のプロデュース、レコーディング、ミキシングを担当。他にもThe Jesus And Mary ChainやThe Smashing Pumpkins、My Bloody Valentineなどのバンドも手がけている。ディストーションなどの「ひずみ」の音の扱いに長けた人物で、ノイズを多用するNINの音楽には無くてはならない存在。
2005年の「With Teeth」以降、すべてのNIN作品にプロダクションやプログラミング等で関わっている。元々はトレントが主催していたNothingレコーズ所属の12 Roundsというバンドのメンバーだった。現在のトレントの右腕的存在で、デイヴィッド・フィンチャー監督の映画音楽もトレントとの共同作業で担当している。トレントの別プロジェクトHow To Destroy Angelsのメンバーでもある。
NINの現在のアートディレクター兼フォトグラファー。アルバムのアートワークからライブ演出用のヴィジュアルアートワークまで、とにかくNINのあらゆるデザインを一手に引き受けている。元々ロブは高校時代にNINのファンサイトを立ち上げており、それがトレントの目に止まったことがきっかけでNINのアートディレクターに起用された。起用された当時ロブは芸術学校の学生で19歳だった。
トレントの別プロジェクトHow To Destroy Angelsではアートワークだけでなくメンバーも務めている。
NINの公式作品はそれぞれ「Halo」(Haloとは例えば聖像の頭の周りやその上方に描かれる、光背, 後光の意味)を冠したシリアル・ナンバーが付けられている。2004年にナッシング・レコードが事実上活動を停止した関係からか、それ以降の先行シングルを含めたシングル曲のリリース形態がアメリカとヨーロッパで大きく異なっている。アメリカでリリースされている12インチ・シングルはリミックス曲が多数収録されており、それらはヨーロッパや日本でリリースされているシングルでは聴く事が出来ない物が多い。
Halo 01 - Down In It
Halo 02 - Pretty Hate Machine
Halo 03 - Head Like A Hole
Halo 04 - Sin
Halo 05 - Broken [1]・[2]・[3]・[4]・[5] Broken Movie [1]・[2]
Halo 06 - Fixed
Halo 07 - March Of The Pigs
Halo 08 - The Downward Spiral [1]・[2]
Halo 08 DE DVD-A - The Downward Spiral (Deluxe Edition)
Halo 09 - Closer To God
Halo 10/10 v.2 - Further Down The Spiral
Halo 10 promo - Hurt / Piggy
Halo 11 - The Perfect Drug (Versions)
Halo 12 - Closure
Halo 13 - The Day The World Went Away
Halo 14 - The Fragile [1]・[2]・[3]・[4]
Halo 15 - We're In This Together (Pt.1, 2, 3)
Halo 16 - Things Falling Apart
Halo 17 CD1 - And All That Could Have Been
Halo 17 CD2 - Still [1]・[2]
Halo 18 - That Hand That Feeds
Halo 19 - With Teeth [1]・[2]
Halo 20 - Only
Halo 21 - Every Day Is Exactly The Same
Halo 22 - Beside You In Time [1]・[2]・[3]・[4]・[5]
Halo 23 - Survivalism
Halo 24 - Year Zero [1]・[2]・[3]
Halo 25 - Y34RZ3R0R3M1X3D
Halo 26 DE LE - Ghosts I - IV
Halo 27 CD LE - The Slip [1]・[2]・[3]・[4]・[5]・[6]
nin.com - NIN公式サイト
remix.nin.com - NIN公式リミックスサイト
NINRemixes.com - NIN非公式リミックスサイト
掲示板
提供: インプレゾンビ
提供: 鶏卵
提供: ゆんなの
提供: urakata
提供: 金魚網
急上昇ワード改
最終更新:2025/03/17(月) 07:00
最終更新:2025/03/17(月) 07:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。