mayaが高校時代(この時の同級生に、後に音楽活動でもNinE feVeRと関わりを持つ、阿修羅crewのMC_cHeePがいる)にライヴハウスで意気投合したKと、三束(サンセット)を結成。地元で、路上ライヴやデモテープ配布を行う(この時のデモテープは現在、ネットオークションなどで高額取引されている)。
約一年間の活動後、ボーカルとベースだけでは、次のステージには行けないのでは?との疑問から、二人は衝突を繰り返す。
そんな折、スタジオ練習後に立ち寄った吉野家で、向いの席に座る汚れたギターケースを背負う巨漢の男を見つける。面白半分でmayaがギターが弾けるのか?と尋ねると、肥満体の男は、ロバートジョンソンのクロスロードのBメロを店内で弾いてみせた。お店からすれば大迷惑だが、これも運命だと、mayaとKは、そのデブを自分たちのバンドに勧誘した。
「牛丼特盛、奢ってくれたら」
それが、その豚野郎の加入条件であった。こうして、牛丼特盛を平らげながら、椿がバンドに加入。バンド名を、放課後サンライズに改める。
高校卒業後の進路に困窮していたmayaとKだが、高校卒業後、フリーターとして音楽活動を続けていた椿から
「潰しが効くように、親の目や世間の目もある。大学に行く事が、決して音楽の時間を削り、回り道させるばかりではない」
との提案から、都内の大学を受験。見事合格し、上京する事になる。
既に地元で高い評価(ドラムを使わない奇抜な構成等)を受けていた放課後サンライズだが、それ故に、上京後の活動は熾烈を極める。
慣れぬ東京での生活で体調を崩す、迫り来るレポート期限が練習時間を奪う、路上ライヴでの警察の介入等、多くの初歩的問題を抱えたままでのパフォーマンスは、彼らが既に地元で得ていた高い評価を知る都心の人間達に、落胆を与えた。
そんな問題を抱えたまま、東京で二度目の冬を迎えた彼らに吉報が転がりこむ。
100%のパフォーマンスを行えない彼らの自力を見極めた、都内で爆発的人気を誇るfrom彼方が、対バンを申し込んできたのだ。
これに光明を見出した放課後サンライズの面々は、対バンに向け完璧の仕上がりを見せ、最高のパフォーマンスを行なった。
しかし、その対バンで、予想だにしない出来事が起こる。
最高のパフォーマンスをした彼らだったが、既に二枚のインディーズアルバム(共にインディーズ年間売上ランキング一位を獲得している)をdropしているfrom彼方の演奏に圧倒されていた。そんな高いレベルで音楽を行なっている彼らが、最後の曲の演奏前に、解散を発表したのだ。理由はドラム以外のメンバーの大学卒業に際しての就職によるものだった。
高次元での演奏を行える、爆発的な売上を誇っている、それでも尚、人生に置ける音楽というレールはあまりにも不安定なのだ。
音楽で生計を立てたいと考えていた放課後サンライズの面々に、from彼方の解散理由は現実という刃を突き立てる。
演奏に刺激を受け、自分たちの活動にも一抹の自信を得た放課後サンライズではあったが、ライヴ後のその顔は下を向きざるを得なかった。
しかし、最後の挨拶で、from彼方から予想外の言葉を受け取る。
「うちのドラムに、俺たちが見せられなかった光景を見せてやってはくれないか?」
そう言って、大学を卒業し、社会へと旅立つfrom彼方の面々は、唯一の年下でありながら、高い演奏力を持つ、二階堂を放課後サンライズに託した。
二階堂にとっての最初のバンド活動であり、バンドという枠を超えて信頼し合っていたfrom彼方との別れは、彼の音楽活動からの別離を意味していたが、そんなバンドメンバーの思いと、対バンで見た、放課後サンライズの熱意に興味を持ち、放課後サンライズへの加入を熱望。これを、放課後サンライズ側も了承し、二階堂が加入。自身の本名と、自分にとって、二つ目のバンドである(from彼方を忘れないという思いから)という事から、名前を2ndに改名した。
東京人である2ndのサポートと、from彼方でのコネクション等もあり、その後の放課後サンライズの活動は順風満帆の様相を見せた。
東京での三度目の冬、遂に放課後サンライズにHTBエンタテイメントからインディーズデビューの誘いがやって来る。
苦しい時期を乗り越え、自分たちの活動に確かな自信を持ち始めた彼らであったが、悲劇は彼らを離さなかった。
HTBエンタテイメント所属後、初の単独ライヴ。そんな大舞台の直前、椿が病に倒れる。
急性上気道炎
いわゆる、風邪である。36.5℃の平熱を超える熱さに倒れた椿。ギター無しでのパフォーマンスには不安を隠せなかった。
ライヴ二日前、放課後サンライズのスタジオ練習に、一人の男が現れる。
「放課後サンライズの曲なら、全部弾けます」
それは、ギターを背負った馴染みのスタジオ店員、桜井だった。放課後サンライズのファンである彼は、スタジオから漏れる演奏を聴き、放課後サンライズの演奏を耳コピしていたのだった。
意外な援軍を得て、放課後サンライズは単独ライヴで成功を収める。その後、回復した椿がサポートギターの重要性を訴え、桜井が放課後サンライズへ加入。名前を莉桜と改める。
その後、莉桜の加入を機に、バンド名をNinE feVeRへ改める。由来は、メンバー同士での大富豪でのオリジナルの役である。
その頃から、ライヴでの各メンバーへの負担軽減や、新たな音楽性開拓を目指し、サポートメンバーの募集を2ndが提案。これは、from彼方での活動で、正統派としての活動に、なにか一つ面白みが欲しいと予てから2ndが想っていた事だったので、その話を聞いていたメンバーはこれを承認。サポートメンバーの募集が開始される。
しかし、既に一定の人気を誇り、バンドとして完成系に近いメンバー構成のNinE feVeRに加わろうという者は皆無に等しく、募集人数も想うように増えず、また、集まる人間も、どこかスキルに事欠く者ばかりであった。
そんな折、mayaのバイト先を、高校時代の親友である由井一月が訪れたのである。まったくの偶然の再会であったが、そこで、mayaのバンドの話の流れで、由井一月が阿修羅crewというHIPHOPグループで、MC_cHeePの名で活動している事を知る。mayaは思い切って、NinE feVeRとのコラボレートを提案。MC_cHeePもこれを了承し、ライヴに出演する(この時の楽曲が、『女性専用車両に置ける戦争』である)。
それをきっかけに、MC_cHeePがサポートメンバーとしてNinE feVeRに参加する事になる。
MC_cHeePの加入直後、stylist候補として、クレア・ヴィクイット・砂川が現れる。
メンバー面接にて、自身のハーフとしての生い立ち、美容専門学校での挫折、海外留学、そして愛する人との死別ーーこの話に涙を禁じえなかったNinE feVeRの面々は、クレアを募集からの加入第一号として、NinE feVeRに迎え入れた。
また、MC_cHeePの加入を聞きつけた、阿修羅crewの楽曲を引き受けたこともある、DJ oneがサポートメンバーとして加入。楽曲の幅に大きな影響を与える事になる。
新たなメンバーを迎え、NinE feVeRは初の全国ツアー『お金が無い無いNinE feVeR!』を敢行。
そのファイナルである新宿公演後に、NinE feVeRに衝撃が走る。
大成功で終幕した初の全国ツアー、その打ち上げ後、早朝の新宿にてホームレスとジャンケンバトルで所持金を奪い合う男を発見したのだ。
NinE feVeR、サポートメンバーの面々は、そのあまりの衝撃に彼にかけた言葉は一つだけだった。
「俺んトコ来ないか?」
往年のヤンクロックバンドの名言をパクったその一言は、その男の胸を打った。
こうして、当時ギャンブルに明け暮れていた大学生のFSがサポートメンバーに加入。演奏中にチョークを食べるなどの圧倒的パフォーマンスでNinE feVeRを盛り上げる事となる。
音だけでなく、"動き"にも信条を持っていたNinE feVeRにとって、FSの加入は、ツアー終了後に燃え尽き気味だったそれぞれのメンバーのモチベーションを高めることになった。
勢いそのままに、NinE feVeRは初のフルアルバム『放課後サンライズ』をドロップ。軒並み入荷店、通販サイトで売り切れが続出し、その年のインディーズチャートを席巻した。
連日の製作作業からのディベルプ、そして販促イベント、ライヴに奔走するNinE feVeRの面々。その疲れが頂点に達した『放課後サンライズ販促ツアー』最終日、事件が起こる。
全サポートメンバーの終結したライヴ、mayaのボーカルが響き、Kのベースが唸り、椿と莉桜のギターが歪み、2ndのドラムが跳ねる。そこに、MC_cHeePのライムが飛び、FSが弾け、DJ oneのサンプリングが深みを持たせ、クレアのセットが彩りを加える。高次元で融合したNinE feVeRのライヴ、事件は一瞬だった。
勿論、DJ oneのサンプリングが一瞬消えたからといって、普段のメンバーならば意にも介さずそのトラブルを処理できただろう。しかし、疲労のピークに達していた面々は自分の事で精一杯であり、フォローに周る余裕は無かった。DJ oneがトラブル処理する間での僅かな時間は、メンバーのモチベーションをギリギリでつないでいた自分たちの絶対的な演奏が空白となる瞬間であり、各々の手は止まりかけていた。
その影は、ショルキーをアンプに繋ぐと、そのままNinE feVeRの演奏に溶け込んだ。
言葉は必要ではなかった。気づけば、NinE feVeRとその男は、数年来のメンバーかの様に舞台で交差していた。
それを聞くと、mayaはマイクを通して、「突然ですが、今日はサプライズがあります。NinE feVeRの新メンバー、クドです」
極限状態での演奏は、その男がNinE feVeRにとって必要不可欠であるとmayaに確信させた。それに異を唱えるメンバーも勿論いなかった。
こうして、NinE feVeRの数年来のファンであったクドがキーボードとして加入した。
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最終更新:2024/03/28(木) 21:00
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