SBM48とは、2010年の福岡ソフトバンクホークスの勝利の方程式である。
攝津正(S)、ブライアン・ファルケンボーグ(B)、馬原孝浩(M)、甲藤啓介(背番号48)の4投手のことを指す。
「勝ちにいける継投」をコンセプトに、シーサイドももち地区のホークスタウンにある専用球場(福岡Yahoo!JAPANドーム)等でほぼ毎日救援を行っており(もちろん休みの日もある)、メディアを通した遠い存在だったリリーフを身近に感じ、その成長していく過程をファンに見てもらい、共に成長していく勝利の方程式である。
本項では2009年の「SBM」結成から、SBM48が解体された2011年までについて記述する。
2008年、12年ぶりの最下位に終わったホークス。秋山幸二新監督の元、急務となったのは前年崩壊したリリーフ陣の建て直しだった。特にリーグを代表する守護神・馬原孝浩へ繋ぐ不動のセットアッパーの確立が求められていた。
故障から復帰した神内靖、前年の前半戦に活躍した久米勇紀、2007年にフル回転した水田章雄らがセットアッパー候補に上がる中、オープン戦でドラフト5位のルーキー、攝津正が11試合連続無失点を記録し、セットアッパーに指名される。攝津は走者を出しても全く動じない鋼の心臓で幾度となくピンチを救い、一気にホークスファンの間で新ヒーローに躍り出た。さらにもうひとり、新外国人のブライアン・ファルケンボーグが開幕から怪物じみた好投を見せ、こうして馬原孝浩へと繋ぐ2枚看板が確立した。
5月頃には、攝津→ファルケンボーグ→馬原のリレーが親会社の「ソフトバンクモバイル」にあやかって「SBM」と呼ばれるようになり、6月には公式の名称として定着。不動の勝利の方程式となった。
が、そんなSBMとて不安を抱えていなかったわけではなく、特に守護神である馬原の不調は明らかだった。惚れ惚れするような見逃し三振を積み重ねる攝津、鬼直球と鬼フォークと鬼制球力で全く付け入る隙を与えないファルケンボーグに対し、馬原はWBCの影響か直球のシュート回転と制球難に苦しんでおり、劇場しながら何とか凌ぐ投球を続けていた。そのため、他球団ファンの間では専ら、
と言われていたとか何とか。また、SBM以外のリリーフ陣は水田章雄がそこそこ奮闘していたものの、久米勇紀の戦線離脱もあってそれ以外は特に三瀬幸司と佐藤誠がお通夜状態であり、本来勝ちゲームで投げるべき攝津が接戦ビハインドでも登板するなど、SBMにかかる負担が非常に大きくなっていた。
結局、こんな状態でシーズンの終わりまで保つはずがない、というファンの懸念は現実となり、夏場にファルケンボーグが右肘の張りを訴えて帰国してしまう。終盤に復帰したファルケンボーグだったが、復帰後の投球内容は別人であり、そのまま大事をとってシーズンを終えることになった。
そして2009年9月11日、それまでギリギリの表面張力で耐え続けてきた馬原もついに決壊。猛烈な追い上げを見せていた楽天を相手に、鉄平のグランドスラムなどで6失点する(ただし自責点は0)。→これは悪い夢以外の何物でもない! 馬原はこの後も続けて失点して中継ぎ降格となり、ただひとりファンの懸念を余所に後半戦絶好調だった攝津を残してSBMは空中分解。チームも失速して楽天に抜かれ3位に終わった。
なお、攝津はパ・リーグ新人記録となる70試合に登板し、ホールド王と新人王を獲得。ファルケンボーグもホールドでリーグ2位につけた。
選手 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | ホールド | セーブ | 防御率 |
攝津正 | 70 | 5 | 2 | 34 | 0 | 1.47 |
ブライアン・ファルケンボーグ | 46 | 6 | 0 | 23 | 1 | 1.74 |
馬原孝浩 | 53 | 4 | 3 | 4 | 29 | 2.16 |
明けて2010年、ファルケンボーグが残留しSBMは継続となったが、懸念されたのは攝津の状態だった。新人リリーフ投手を1年で使い潰すのが近年のホークスのお家芸となっていたこともあり、また同じ過ちを繰り返すのではという不安がファンの間に充ち満ちていた。また、前年のSBM酷使の原因である、「SBM以外の、接戦ビハインドを任せられるリリーフの確立」も問題として残されていた。
そうして迎えたシーズンでは、前年不調に喘いだ馬原孝浩は完全復活し、四凡マイスターとして抜群の安定感を取り戻す。またファルケンボーグはただでさえ無双だった前年以上のパーフェクトセットアッパーぶりで、8回9回の安定感は間違いなくリーグ最強となった。
ただし攝津は、もちろん充分に優秀な投球内容を続けてはいたが、さすがに前年ほどの凄みは見せられない状態が開幕から続いていた。そんな中でも、相変わらず先発陣の駒不足もあって、攝津が2試合に一度以上のペースで登板する状態が続く。攝津・ファルケンボーグの負担を減らすため、もう1枚のカードが必要なことは明らかだった。
そこで白羽の矢が立ったのが、5年目の甲藤啓介だった。開幕直後から主にビハインドの場面を任されていた甲藤は、その時点で防御率は決して良くはなかったが、制球力の向上が評価されたか、4月27日の楽天戦で1点差の7回という本来攝津の仕事場である場面に抜擢される。甲藤はこの場面を見事に無失点で切り抜け、首脳陣の期待に応えた。
これで自信をつけたか、以降の甲藤は見違えるように安定感のある投球を見せるようになる。主に僅差のビハインド、攝津やファルケンボーグの代役として、それまで攝津が酷使されていた場面を任されるようになり、3人目のセットアッパーとしての地位を築いた。
SBMに甲藤が加わったことで、「SBMK」や「KSBM」のような新たな呼び方が提唱されたが、語呂の悪さからなかなか馴染まずにいた。そこに、甲藤の背番号48からTwitter上でファンが言い出した「AKB48」にあやかっての「SBM48」という呼び名を某スポーツ紙が使用。ファンを含め「これはひどい」「それはねーよ」という意見も上がったが、結局語呂の良さから公式の名称となった。なお、甲藤の入場曲はシーズン途中からそれにちなんでAKB48の「会いたかった」に変更されている。
かくして結成された12球団最高峰のリリーフ陣SBM48だったが、完投できる先発が杉内俊哉しかいないというチーム事情もあって、人数が揃っても4人合わせて250試合ペースという酷使状態は相変わらずであった。ビハインドの場面ではシーズン途中のトレードで加入した金澤健人がそこそこ奮闘しさらに駒は増えていたが、杉内と和田以外は5回投げれば上出来の先発陣ではそれでもいっぱいいっぱいであり、特にシーズンを通して一軍で投げるのが初めてである甲藤は後半戦やや疲れが見え始めていた。
そんな中、主に敗戦処理でひっそり投げていた森福允彦が8月半ばから調子を上げ、8月26日のオリックス戦で延長11回・12回に5者連続三振を奪う。その翌日のロッテ戦、5回一死満塁の場面で火消しに抜擢されると見事に抑えてプロ初勝利。続く登板でも中盤のピンチをきっちり切り抜け、待望の左腕リリーフとして一気に台頭した。この森福の台頭に、ホークスの公式Twitterアカウントが「SBM48ちょ(えすびーえむふぉーてぃーえいちょ)」(ちょは森福の愛称である「ちょめ」が由来)という呼称を言い出したところ、某大本営が真に受けて記事にしてしまう。さすがに「それはねーよ」と思ったのか某ニッカンは金澤を加えて「火消シックス」という名前を提唱。なんでも名前つければいいってもんじゃ……。
この中継ぎ6人衆を擁したホークスは、残り6試合で首位西武と3.5ゲーム差という絶望的状況から、最後の直接対決3連戦を3連勝(うち2試合では森福が勝利投手に)して一気に逆転。144試合目でついに7年振りの優勝を決めた。攝津とファルケンボーグが42ホールドポイントで最優秀中継ぎ投手のタイトルを分け合う。甲藤は5年目ながら新人王候補となっていたが逃した(受賞は榊原諒)。
……が、クライマックスシリーズではアドバンテージ含め3勝2敗と王手をかけて迎えた第5戦で6回から投入したファルケンボーグが7回にまさかの炎上。攝津も打たれて逆転負けを喫する。続く第6戦でもファルケンボーグが打たれ万事休す。優勝の原動力となったSBM48、その中でも最強の安定感を誇ったファルケンボーグが打たれて終戦するという、ある意味では2010年のホークスを象徴する結末となってしまった。
選手 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | ホールド | セーブ | 防御率 |
金澤健人 | 38 | 1 | 1 | 1 | 0 | 2.89 |
森福允彦 | 36 | 3 | 1 | 5 | 0 | 2.59 |
甲藤啓介 | 65 | 2 | 0 | 15 | 0 | 2.96 |
攝津正 | 71 | 4 | 3 | 38 | 1 | 2.30 |
ブライアン・ファルケンボーグ | 60 | 3 | 2 | 39 | 1 | 1.02 |
馬原孝浩 | 53 | 5 | 2 | 2 | 32 | 1.63 |
2011年、右の先発不足というチーム事情と、2年連続70試合以上登板という酷使無双状態を切り上げるため、攝津正の先発転向が決定。これによりSBM48は解体となった。大場翔太のリリーフ転向、藤田宗一の加入でどちらかを名前から「S」に入れて再結成という願望めいた話題もあったが結局立ち消えとなっている。
攝津の抜けたリリーフ陣は、開幕前に甲藤啓介が右肘痛で戦線離脱(結局一軍に戻れないままシーズンを終えた)、開幕後は馬原孝浩が絶不調に陥り二軍落ち、ブライアン・ファルケンボーグも右肘の張りで登録を抹消され、一時はSBM48がブルペンから全員姿を消す事態に陥った。しかし、甲藤・ファルケンボーグ・馬原が不在の間も、森福允彦、金澤健人らがしっかりとその穴を埋め、SBM48の不在を感じさせない働きを見せる。さらに前年トレードで加入した吉川輝昭、シーズン中に獲得したヤンシー・ブラゾバンらが脇を固め、前年と変わらぬ層の厚さを見せた。
しかし何よりも2011年は、この2年リリーフ陣に頼り切りだった先発陣が様変わり。杉内俊哉と和田毅の2枚看板に攝津正が加わり、さらにD.J.ホールトンが完全復活して勝ちまくる。この4本柱が1年通してローテを守った上、前半戦は前年台頭した山田大樹が大活躍、岩嵜翔も谷間で健闘。大場翔太が後半戦に覚醒の気配を見せ、終盤には大隣憲司も復活の気配を見せるという先発8人衆が形成された。最終的に先発のクオリティ・スタート(6回以上自責点3以内)成功率は12球団ぶっちぎりの79.2%という驚異の数字を叩きだし、チーム防御率2.32という12球団最強投手陣がここに完成した。
この投手陣と分厚い野手戦力を備えたホークスはシーズンを通して安定した戦いを続け、最終的に2位日本ハムに17.5ゲーム差をつけるぶっちぎりの強さでリーグ2連覇を達成。そして秋の風物詩もついに打ち破り、悲願の日本シリーズ進出、そして日本一を果たすことになった。
SBMの誕生から解体までの3年間の軌跡は、「2009年:絶対的勝利の方程式の構築」→「2010年:脇を固めるリリーフ陣の整備」→「2011年:先発陣の充実」という、最強投手陣完成に至る道のりそのものである。
掲示板
18 ななしのよっしん
2013/02/25(月) 18:52:20 ID: dxaxY2Ub4P
19 ななしのよっしん
2013/08/04(日) 02:30:06 ID: QxRjqkQzJ8
半分オリックスに行ってしまった
20 ななしのよっしん
2018/11/04(日) 17:38:20 ID: T/SdzU0C68
攝津戦力外により、ついにSBM全員居なくなった記念に……orz
ちょっと気になるんだが
羨望の7回(攝津が欲しい)
絶望の8回(ファルケンは打てない)
希望の9回(馬原なら何とかなる)
これだけど、現実としては馬原って2点以上リード時の4凡終了率がほぼ100%だったんだが
希望の9回(馬原なら何とかなる(ならない))
これが正しくね?
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最終更新:2024/04/25(木) 15:00
最終更新:2024/04/25(木) 15:00
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